2026年8月20日木曜日
「鷲田清一折々のことば」3610を読んで
2026年4月3日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」3610では
編集者白石政明の『ケアと編集』から、次の言葉が取り上げられています。
「あれかこれか」という閉じられた問題
設定そのものに穴を開けて、問いの外に
出る力をその人に差し出そうとしている
例えば患者は、病苦のみならず、なぜ私に不幸が降りかかるのかという「答えのない問い」
にも苦しんでいるという。それを「素手でガッシと」受け止める看護師は、悲観的なこと
でも敢えて明るく伝えるとか、元気に振る舞うとか、矛盾した受け答えになる。苦しみの
受け止め方を変えるには、問いの変換が必要という意味で、上記の言葉が語られている
ようです。
これは大変難しい問題です。理不尽な苦しみに囚われている人を如何に勇気づけ、希望を
もたらすことが出来るか?私の脳裏には、オー・ヘンリーの短編「最後の一葉」が想い
浮かびました。
病気によって生きる希望を失った女性は、ちょうど晩秋の頃、窓から見える壁に伝う植物
の最後の一葉が散ったら、自分も死ぬと考えます。そのことを知った友人の老画家が、嵐
の最中にその壁に一枚の葉を描いて、女性に生きる希望を取り戻させ、自らは嵐に打たれ
て体力を失い、死を迎えるという話です。
ケアをする側も、自らが身体を壊しては元も子もありませんが、「問いの外に出る力」を
悲嘆に暮れる看護される立場の人にもたらすという意味で、「最後の一葉」には象徴的な
意味があると感じます。
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