2022年3月1日火曜日

和田洋一著「新島襄」を読んで

同支社中学、高校、大学出身の私は、授業、礼拝等で、校祖新島の話を数多く聞かされて 来ましたし、その他にも彼の伝記を読み、ドラマを観て来ました。しかし本書は私にとって、 彼の生涯を辿る上で最も感銘を受けた書物であり、この本を読むことによって、新島が同志 社の学校教育に託したものの意味を、初めて理解したように感じました。 無論そのように感じられたのは、すでに私に、彼の経歴や言動に対するある程度以上の蓄積 があったからに違いありません。だが同時に、例えば同志社で語られる新島のエピソードや、 教えは半ば神格化されているところがあり、またその他に接した伝記やドラマは、彼を興味 本位に描いたり、俗物的に描いたりしていると、感じられるところがありました。 その点本書は、同志社の内部事情にも詳しい筆者が、新島という傑出した人物の生涯を、 資料に則して欠点も含め、公正に描いているところに価値があると思います。そしてその 視点が、私に彼の生き方への共感を呼び起こしたのだと感じます。 新島の鎖国の禁を破っての日本脱出や、日本最初のキリスト教教育に基づく、私立英学校の 設立の決意といった大きなエピソードは別にして、本書に記された彼の考え方や行動の中で、 私が共感を覚えたのは、彼が滞米中には日本新政府の資金援助を拒み、帰国後も役人になる ことを断って、一貫して在野の立場で学校設立を目指したことで、それは彼がキリスト教の 伝道者の資格を持ち、キリスト教団及びアメリカの篤志家の資金援助で、活動を行ったこと と深く関係しますが、まだキリスト教への反発が激しかった当時の日本で、公の力を借りず、 終始変わることのない教育方針を貫いたことに、彼の意志の強さ、宗教的信念を感じます。 そしてこのような経緯で設立された同支社が、現在でも多少ブルジョア的な気質と公の力に おもねらない独立心を有していると感じられるのは、新島の気質によるところが大きいで しょう。 そうして生涯を学校設立に賭して、志半ばで倒れた彼の遺言に、生徒を尊重し、形にはめず 伸びやかに教育し、教育機関として惰性に陥ることのないこととありますが、私の学生時代 にはこの自由な校風に甘え、とかく怠惰な学校生活を送ったという反省はあるものの、人生 も終盤に差し掛かって、新島精神は確かに、私の中に息づいていると感じられることに、 つながっているに違いありません。

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