2019年3月13日水曜日

京都国立近代美術館「京都の染織」展を観て

同美術館が開館した1960年代から今日までの京都の染織を、28人の染織家の作品
によって概観した展覧会です。

まず染織と一括りにする中でも、染と織という大きな区別は言うに及ばず、それぞれ
における技工、表現方法の多様さに驚かされます。更には衣装といった工芸的作品
からパネル、屏風、立体的オブジェと作品のジャンルも多様で、色彩的な美しさが
目を惹く作品が多いこともあって、さながらめくるめくワンダーランドに迷い込んだよう
な趣きがありました。

作品の展示方法も、染と織の作品を区分けして展観するのではなく、それぞれの
作家の表現方法や作品の傾向も含めて、程よく両者をミックスさせて配列している
ので、染織作品が根底に持つ軽みが知らず知らずのうちに体感出来る展覧会に
なっていると感じました。

また言うまでもなく、個々の作家の美意識の高さ、技量の確かさは、長い年月文化
の中心であった京都という土地でこそ培われた伝統の裏付けを実感させますし、
同時に作品の芸術性の高さからは、60年代以降進取の気質にも富む京都の作家
たちが、染織の従来の概念に果敢に挑戦した様子も見て取ることが出来ます。

具体的に個々の作品から印象に残ったものを取り上げると、喜多川七重の染色
パネル「フクシマの母子」は、従来の染色作品のイメージを変える重厚なホルムと
色使いのろうけつ技法で、存在感の際立つ裸体の子を抱く母親を通して、大震災
という未曽有の災禍の中での母性を浮かび上がらせ、力強い表現法で壊れやすく
繊細なものを描き出す鋭い感性を、素晴らしく感じました。

鳥羽美花の3帖からなる屏風作品「辿りついた場所Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ」は、白山紬の地に
型染の技法を使って、廃墟を思わせる雄大な風景をスケール大きく、しかし同時に
はかなさを宿す抒情性を伴って描き上げ、従来の染色作品にないモニュメント性を
獲得していると感じました。

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