2019年3月15日金曜日

3月15日付け「天声人語」を読んで

2019年3月15日付け朝日新聞朝刊、「天声人語」では、ミュージシャンで俳優のピエール
瀧容疑者がコカインを使用したとして、麻薬取締法違反の疑いで逮捕されたことを受け
て、出演テレビドラマ、番組の自粛、撮影が終わっていた映画の出演場面に代役を立て
ての撮り直しなどが行われようとしている現象に触れて、戦後の無頼派作家、坂口安吾
の文学作品が、本人の無軌道な生活にも拘わらず今も愛読されていることを例に、逮捕
と出演作品は分けて考えるべきではないかと、最近のこのような風潮に疑問を投げかけ
ています。

このコラムでの指摘は、少なからぬ反響を呼んだようですが、私もピエール瀧容疑者
逮捕後の出演テレビドラマや映画の厳格な処置についての報道に触れて、少し腑に落ち
ないところもあったので、これを機会に考えてみることにしました。

まず、安吾が活躍した時代と現在では、作家、芸能人などの品行に対する一般の人間
の受け止め方が随分違うと思います。つまりその当時は、文士や役者や芸人は民衆を
感動させ、楽しませる作品を書き、演じ、芸を見せることが出来れば、当事者の素行は
二の次で、あるいは逆に不品行が作品や演技を鍛え、芸を磨くという考え方もあったと
思います。またそのような風潮は、比較的最近まで続いていたと記憶します。

それに対して現代社会では、作家、芸能人といった社会に影響力のある人々は、一般人
に一挙手一投足が注目されるという意味からも、生活態度においても模範的であることが
求められ、増してや麻薬摂取の広がり、低年齢化は現代の深刻な社会問題でもあり、
今回の事件での業界の厳しい対応は、やむを得ないところもあると感じます。

ただ、出演ドラマや映画が瀧容疑者だけによって成り立っている訳ではなく、優れた作品
が彼一人の不祥事によって多くの視聴者や観客の目に触れることが出来なくなるのは、
惜しい気がします。私は少なくとも、誰もが手軽に見られるテレビではなく、観たいと考え
る人が能動的に映画館で観る映画作品なら、そのまま公開しても差し支えないと考え
ます。

その意味でも、白石和彌監督映画「麻雀放浪記2020」が公開まで時間がないということで、
瀧容疑者の出演場面もそのままに公開されるということを知り、勇気づけられる気がしま
した。

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