2019年3月8日金曜日

京都国立近代美術館「横山大観展」を観て

生誕150年を記念する大観の回顧展です。

横山大観というと近代日本画の東の大成者、朦朧体、雄大な富士の画と、すぐに思い
浮かべられる紋切り型の代名詞が多く存在し、私も最初既知感に囚われて、本展に
赴くのをためらいました。

しかし会期も押し詰まり、結果として思い切って足を運んで良かった、と感じました。
それは頭に溜め込まれているイメージだけではない、大観の絵画世界の多様さを知る
ことが出来たからです。

まず朦朧体という言葉で示される、岡倉天心の指導の下、彼が日本の伝統絵画への
挑戦者、変革者であるというイメージがありました。しかし本展で実際に初期の作品を
観て、その目新しさに感銘を受けたのは、挿入される色彩の鮮やかさでした。

従来の日本の絵画にはなかった新しい顔料を積極的に取り入れ、十分な効果を伴って
使いこなすことによって、後世の日本画に大きな影響を与えました。大観の面目躍如
たるところでしょう。

他方彼の水墨画では、力強く勇壮な作品が印象に残りました。「雲去来」は、墨の黒々
とした色と画面の地の白のコントラストが彼独自の描法も相まって、けれん味のない
潔さを現出していると感じさせますし、彼の水墨画の技術の集大成と言われる、全長
40メートルを優に超える画巻、重要文化財「生々流転」は、自然の中の水の循環を
情緒豊かに、なおかつ荘厳に描き上げることによって、悠久の時の流れを表現するに
至っています。

彩色画の表現方法も多様で、綿密で鮮やかな色使いで装飾的な画面を作り出す作品、
思い切った単純化で祝祭的な雰囲気を生み出す作品、あるいは、ユーモラスな人物
表現が泰然とした気分を醸し出す作品などが見られます。

私が一番意外性を感じたのは、後期の作品「野に咲く花二題(蒲公英、薊)」で、一見
大観の画題とは思われないか弱い野の花を、優しい色彩で丹念に、慈しむように
描いています。彼の普段は画の表に出ない、心の温かさを見る思いがしました。

「昭和」の大観の代名詞である富士は、戦時体制とも結びついて彼のイメージを形作り
ましたが、彼の画業を通覧した後に改めて観ることによって、思想の衣をはぎ取った
純粋な絵画としてその美しさを愛でることも可能ではないかと、今回気づかされた思い
がしました。


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