2022年1月4日火曜日

「鷲田清一折々のことば」2236を読んで

2021年12月18日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」2236では 孔子の『論語』巻第一・爲政第二から、次のことばが取り上げられています。    不知爲不知、 是知也、 訳すと「知らないことは知らないこととする、それが知るということだ」ということだ そうです。 知らないことを、わざと知ったかぶりすることは言うに及ばず、知らないという自覚や 認識がないことに気づくことも、大いに知の世界を広げてくれる。 考えてみれば、ある物事を深く知るということは、まだ十分には知らないということに 気づくことの繰り返しではないか?私にはそう思えて来ます。 まず、初歩的なことを知り、それからまだ少しのことを知っているに過ぎないことに 気づき、更にそこから先を知って、そこでなお自分の知識が生半可なものであることを 自覚して、より深く知ろうとするというように・・・。 つまり、物事を知るためには、対象に謙虚に向き合わなければならず、それなくして 知識の深まりはない、ということです。 つまり、偏狭にならず、物事を大枠で捉えようとする、客観的で寛容な思考態度と、 自分の知識の乏しさや限界に対して謙虚である思考姿勢が、本人の知ることへの意欲を 高め、知識、知恵を深めるのではないでしょうか? 私はこのように考え、自分の知を鍛えるということに、取り組んで行きたいと思います。

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