2021年12月18日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」2236では
孔子の『論語』巻第一・爲政第二から、次のことばが取り上げられています。
不知爲不知、 是知也、
訳すと「知らないことは知らないこととする、それが知るということだ」ということだ
そうです。
知らないことを、わざと知ったかぶりすることは言うに及ばず、知らないという自覚や
認識がないことに気づくことも、大いに知の世界を広げてくれる。
考えてみれば、ある物事を深く知るということは、まだ十分には知らないということに
気づくことの繰り返しではないか?私にはそう思えて来ます。
まず、初歩的なことを知り、それからまだ少しのことを知っているに過ぎないことに
気づき、更にそこから先を知って、そこでなお自分の知識が生半可なものであることを
自覚して、より深く知ろうとするというように・・・。
つまり、物事を知るためには、対象に謙虚に向き合わなければならず、それなくして
知識の深まりはない、ということです。
つまり、偏狭にならず、物事を大枠で捉えようとする、客観的で寛容な思考態度と、
自分の知識の乏しさや限界に対して謙虚である思考姿勢が、本人の知ることへの意欲を
高め、知識、知恵を深めるのではないでしょうか?
私はこのように考え、自分の知を鍛えるということに、取り組んで行きたいと思います。
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