戦前期からの国民的人気を誇る歌人で歌壇の重鎮、それゆえ戦後、その
文学活動に対する戦争責任を問う声も上がった斉藤茂吉を、他方、
治安維持法違反で投獄され、転向した文学者中野重治がいかに論ずるか?
私が本書を手にした主な理由は、それを知ることにありました。
一つ重要なことは、本書が執筆されたのは第二次大戦開戦直前で、言わば
なお当局の監視下にあり、その言論活動を厳しく制限されていた中野が、
文字通り文学における時代の気分を代表する存在であったろう茂吉を、
俎上に載せたということです。
そのために本書では、私には残念ながら当時の時代背景、文学状況に
対する無知、また読解力の欠如もあって読み取ることが出来ませんが、
茂吉への批判を巧みに避けながら、なおかつこの歌人を冷徹に見据えて、
自らの文学的信念に沿った歌論を展開している、といいます。
そのような中野の企図が計らずも、この茂吉論を奥行きの深いものにして
いるのかも知れません。
私が本書を読んでまず感じたのは、中野が茂吉の人と歌を決して嫌いでは
なかったということです。いやそれどころか、恐らく当時の歌壇では抜きんでた
才能と、高く評価していたことです。
考えてみれば、中野が茂吉に敵意を持って挑みかかる構図は、私の稚拙な
先入観による思い込みで、よしんばこの歌人を論ずるに足る存在と認識して
いなければ、文学的良心に則した著者は、到底本論の筆を執らなかったで
しょう。
それゆえ本書では、茂吉の優れた歌人としての資質を表す、歌に込められた
鋭い感性、深い内省、人柄としての純朴さ、真摯さ、熱情が的確に示されて
いますが、同時にそれらの特質を併せ持つことによる、時流に押し流される
危うさも、浮かび上がらせているように感じられます。
私が中野の茂吉に対するこのような示唆から連想するのは、戦争画を描き
戦後同じく批判された藤田嗣治で、彼のこれら一連の作品を観た時、
画家自身が結果としては時代に迎合しながらも、恐らく本人にとっては、純粋に
芸術表現として戦争というモチーフに立ち向かった末に、出来上がった絵画で
あると感じたことです。
それゆえそれらの絵画は、時代背景や成立の前提を排除すると、今なお
観る者の心に深く訴えかける力を持つのでしょう。茂吉の歌の魅力を
解き明かすと共に、芸術家の戦争責任についても、考えさせられる好著です。
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