2015年11月22日日曜日

安部公房著「砂の女」を読んで

忘れ去られた海辺の砂丘の村で、理不尽にも蟻地獄のような砂底の
あばら屋に、閉じ込められた男の物語です。映画化もされた名作です。

まず驚かされたのは、この小説の特異な場面設定と尋常ならざる話の
運びを、破たんなくまとめる作者の構想力と筆力です。

読み始めは、余りに異様な物語の進み行きに、果たしてついて行けるのか
といぶかりましたが、作者の巧みな話術に、気が付けば知らず知らずの
うちに、男と一緒に怒り、戸惑い、悲しみ、喜んでいました。

小説が時に読者を、現実には体験出来ない世界へ誘ってくれることを、
端的に示す作品でもあります。しかしさらに読み進めて行くと、この物語の
異様な場面設定が、日常生活ではなかなか気づくことの出来ない、
人間存在の本質をあぶり出す、装置の役割を果たしていることが次第に
見えて来ます。その意味では、優れて演劇的な小説とも言えるでしょう。

この視点から見て行くと、彼が閉じ込められた四方を砂の壁に覆われた
家は、それ自体絶望的な閉塞感を催させる存在ですが、社会的、家庭的な
しがらみに支配された、現実生活を生きる人間というものを考える時、
その人が暮らす家は状況によって時には、砂底の家に匹敵する精神的に
閉ざされた空間となりうる可能性があります。

同様に主人公が落とし込まれた家が、絶えず四方の壁からの砂の崩落に
よる埋没の危機に瀕し、彼がそこで生活することを強いられる理由が、毎日
砂かき作業の肉体労働を、しなければならないということにあることも、
日常生活の中で現実の人間が、否応でも生活の糧としての労働に従事
しなければ生きて行けないことの暗示とも取れます。

また砂底の家で彼を迎える、夫、子供を失った村の女との葛藤が、
肉体関係から始まり、次第に愛情へと転化する疑似夫婦としての生活も、
日常世界における男女の相互理解と、愛情の深化のメタファーとも感じ
させます。

このように特異な状況の中で、人間の本性、運命をいやというほど見せつけ
られた後、それでもなお希望と救いがあると感じさせてくれたのは、結末部分で
彼が強制ではなく、この砂底の家で生きて行く意味を見出したことです。

逆境の中での不屈の意志と創意工夫が、人に生きる意欲を再生させるこの
描写は、それまでの重苦しい気分を一気に反転させてくれる、心に残る
結末でした。

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