2015年2月6日金曜日

漱石「三四郎」の中の、晴れがましい会の受付をする三四郎のいでたちについて

2015年2月4日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「三四郎」106年ぶり連載
(第八十五回)に、与次郎に乗せられて、彼と一緒に精養軒の会の
受付を勤めた三四郎が、自らの身なりについての感慨を述べる
次の文章があります。

「その時三四郎は黒い紬の羽織を着た。この羽織は、三輪田の
お光さんの御母さんが織ってくれたのを、紋付きに染めて、お光さんが
縫い上げたものだと、母の手紙に長い説明がある。」

「三四郎はこの出で立ちで、与次郎と二人で精養軒の玄関に立っていた。
与次郎の説明によると、御客はこうして迎えるべきものだそうだ。
三四郎はそんな事とは知らなかった。第一自分が御客のつもりでいた。
こうなると、紬の羽織では何だか安っぽい受附の気がする。制服を着て
来れば善かったと思った。」

和装業に携わる私としては、こんな記述が気になります。あれこの時代、
紬の黒紋付きより大学生の制服の方が正装だったのか!もちろん、
少しくだけた素材の紬ではありますが、黒紋付きの羽織ですから、今の
慣習では十分に正装だと感じるのですが・・・

そういえば現代でも、正式なお茶会では紬の着用は控えるべきという
ことなので、私の認識がやはり間違っているのかもしれません。

しかし、和装離れが進んだ今の社会の一般的な感覚では、着物を着る
ということが、何か改まった特別なことと感じられます。

時々お客さまから、ちょっと晴れがましい席で、紋付きの色無地着物を
着用してもおかしくはないかと相談を受けるのですが、場にもよりますが
今の世の中、着物を着る事自体が先方に儀礼を示すことなので、非礼では
ないと思いますと、お答えすることにしています。

着物の時代も、ずい分遠くなりにけりということでしょう。

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