2015年2月10日火曜日

若桑みどり著「クアトロ・ラガッツィ下ー天正少年使節と世界帝国」を読んで

しかし何という運命の悪戯、境遇の落差でしょう!九州のキリシタン大名を
始め、信徒たちの期待を集めて出発し、ヨーロッパのカトリック社会で
盛大な歓待を受け、バチカンで法王に祝福された少年使節たちが、8年後
日本に帰還した時には、キリスト教を巡る我が国の社会環境は、180度
変貌していたのです。

織田信長に代わり天下人となった豊臣秀吉は、キリシタン弾圧へと方針を
大きく転換します。その流れの中で帰国した少年使節でしたが、以降、
時代の趨勢を押し止めることは出来ず、徳川家康が正式の禁令を出して、
キリシタンへの弾圧は苛烈を極めるのです。

当時の我が国の政権の、キリスト教に対する対応方針の劇的変化は、
無論、為政者の資質によるところが大きいのですが、世界的に見ても
国内事情においても、社会環境の急激な変化を反映するものである
ことを、本書は教えてくれます。

つまり、いち早く世界進出を成し遂げて隆盛を極めたカトリック国、
スペイン、ポルトガルの覇権は、次第に新教国、オランダ、イギリスに
取って代わられ、日本との交易においても、オランダが自らの有利な
地位を獲得する手段として、宗教を利用して植民地化を謀るカトリック国の
危険性を時の為政者に吹き込んだこと。国内的にも、天下統一を達成した
為政者は、自らを頂点とする封建体制の維持のために、外部勢力の
影響や内部の異分子を、極力排除しようと努めたのです。

徳川の治世の長い鎖国時代を、近年再評価する傾向もありますが、
国際社会の中での開放度、人民の思想信教の自由という観点から見れば、
その直前の時代より著しく後退した社会であったのです。そしてその残滓は、
今日の私たちの社会にも、なお影を落としているように思われます。

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