2015年2月18日水曜日

漱石「三四郎」における、三四郎が貸した三十円の値打ちについて

2015年2月16日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「三四郎」106年ぶり連載
(第九十二回)に、三四郎が母に無心した三十円の使途について、その
金を彼女が野々宮さんに託し、本人に直接確かめてくれるようにとの
依頼を受けて、野々宮さんが三四郎に問いただす会話の中に、三十円の
値打ちを巡る次のやり取りがあります。

「なに、心配する事はありませんよ。何でもない事なんだから。ただ
御母さんは、田舎の相場で、金の価値を付けるから、三十円が大変重く
なるんだね。何でも三十円あると、四人の家族が半年食って行けると
書いてあったが、そんなものかな、君」と聞いた。

「そうすると、月に五円の割りだから、一人前一円二十五銭に当る。
それを三十日に割り付けると、四銭ばかりだがーいくら田舎でも少し
安過るようだな」と野々宮さんが計算を立てた。

三四郎も後悔する暇がなくなって、自分の知っている田舎生活の有様を
色々話して聞かした。その中には宮籠という慣例もあった。三四郎の
家では、年に一度ずつ村全体へ十円寄附する事になっている。その
時には六十戸から一人ずつ出て、その六十人が、仕事を休んで、村の
御宮へ寄って、朝から晩まで、酒を飲みつづけに飲んで、御馳走を食い
つづけに食うんだという。

これらの記述が、その当時の都会と田舎の生活の落差、さらには、
其の頃にはまだ田舎には形をとどめていたであろう、村社会のハレと
ケを巡る習俗の名残りを活写していて、とても面白く感じました。

私は時々、近代化した現代の社会とそれ以前の社会に、大きな文化的な
隔たりが存在するように感じることがあります。しかしそれが具体的にどの
ようなものなのかを、なかなか実感することは出来ません。

このような文章を読んでいると、今よりも生老病死が身近な上に、
貨幣経済は未成熟であり、日々の生活の中で、人びとが喜怒哀楽を
全身で発散していた村社会が見えるような気がします。

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