2022年4月5日火曜日

中沢新一著「アースダイバー神社編」を読んで

文化人類学者中沢のアースダイバーシリーズは、太古から現在に至る、日本の地形からそれぞれの 地域、場所で営まれて来た人間の社会活動、生活を跡付け、検証する、時空を超えた壮大なスケー ルの読み物で、私はいつも楽しく愛読して来ました。本書はその中でも、神社という日本人の精神 世界の源流を探究することを目指すもので、大きな期待を持ってページを開きました。 私自身特に、市街域ではない自然が残された場所の神社を訪れると、何かただならぬ気配を感じ たり、神秘的な気分に囚われることがあります。それ故神社というものは、人智を超えた特異な 自然の力が表されたところに建立されたものであるということを、おぼろげながら感じて来ました。 本書でも中沢は、代表的な各地の神社の成立史を辿って行きますが、神社の元となる聖地という ものの成立が、文字通り太古の昔にまで遡るものであることから、そのそれぞれの聖地の起源を 考えるということは、日本列島への縄文時代、弥生時代の大陸からの人類の流入について考える ことになります。 縄文時代に大陸から到達した人々はまだ稲作を知らず、狩猟採集の生活を中心としましたが、彼ら が神聖な場所と考える形の良い山があり、その手前に池や川などの豊富な水が存在する地点、豊な 森や巨大な岩を、建築物は造らずそのままの形で、信仰の対象としたといいます。つまり彼らは、 自らの生活スタイルも相まって、人間も自然の一部と考え、その規範の下に生活を営みました。 他方遅れて弥生時代に大陸からやって来たのは、稲作技術を携えた半農半漁の人々で、各地に定着 して、それぞれの場所で生活スタイルを変えながら、しかし稲作農業で余剰生産物を生み出すこと によって自然を改変し、自らの信仰対象の場所に建造物を建立しましたが、実は縄文人と弥生人は 同じ中国南部沿岸地域が起源で、それ故信仰対象のスタイルには共通点があり、縄文人の聖地が 地域によって差異はあるものの、弥生人の聖地ともなり、この重層性の上に、現在ある神社が形 作られたといいます。本書では今日の残る、それぞれの神社の縄文、弥生的な痕跡をも、検証して います。 一昔前には、日本人は単一民族であるということが大きな特徴であるように宣伝されましたが、 人類学を初め学術の発展によって、多様性の中から今日の日本が生まれたことが、次第に明らかに なりつつあります。日本人の同質性の長所は認識しつつも、これからは多様性にも目を向けるべき であるということを、本書は語っていると感じられました。

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