2022年4月19日火曜日

濱口竜介監督作品映画「ドライブ・マイ・カー」を観て

先日、アカデミー賞の国際長編映画賞を受賞した、濱口監督の上記作品を京都シネマで観ました。 まず、映画館で映画を観るのは、コロナ禍もあって2年ぶりで、単なる映画鑑賞を超えて、本当に 貴重な、非日常の掛け替えのない時間に思われて、私たちがコロナ感染症によって失ったものの 大きさを、改めて感じさせられました。 さてこの映画は、人と人の心の通じ合うことの難しさと、しかしお互いが心を開いて向き合うこと が出来るならば、それは決して不可能なことではないということを、静かに、じっくりと語りかけ る作品で、決して声高に主張することはありませんが、観る者はその言わんとするところを自然に、 心に染み入るようにして受け取ることになります。 また、いたるところに、暗喩に満ちたシンボルとメッセージが散りばめられていて、ここでは映画 の題名ともつながる、主人公家福悠介の愛車赤いサーブについて考えてみたいと思います。 まだ妻を失ったことによる心の傷から立ち直れない悠介は、自家用車を運転しながら、亡くなった 妻が相手役のセリフを吹き込んだテープで、劇のセリフ回しを練習する習慣を続けていて、ある 演劇祭で演出家として呼ばれた時にも、宿泊場所から会場への往復の時間にその習慣を継続する ために、あえてその自動車で現地入りします。 しかし演劇祭側が交通トラブルを避けるために、その期間は指名した運転手に運転させることを 条件にしたために、悠介は止む負えず受け入れることになります。そして、彼と陰のある無口な 若い女性ドライバー渡利みさきとの、亡き妻の音声テープを聴きながらのドライブが始まります。 悠介の赤いサーブの車内は言うまでもなく、妻との思い出が詰まった空間で、そこに紛れ込んだ みさきは最初は部外者ではありますが、彼女に自らの心の傷ともつながる、心配りの行き届いた、 優れた運転テクニックがあるために、悠介とみさきの心は次第に通じ合うようになっていきます。 ラストでみさきが韓国のある土地で、このサーブを運転しながら日常生活を送っていることを示す シーン、彼女ははたしてこの車をもらい受けたのか、あるいは悠介と二人で異国の土地で暮らして いるのか、その答えは示されませんが、彼女が悠介と心を通わせていることだけは確かだと、感じ ました。

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