2014年5月13日火曜日

芳澤勝弘著「白隠ー禅画の世界」を読んで

私は白隠の禅画の力強く飄逸なたたずまいが好きで、これまで
数回、展覧会に行っています。

禅画という性格上、白隠がそれらの絵を描いた時代背景、
それぞれに込められた禅的な意味合いを知ることが出来たなら、
より深くその芸術を賞味することが出来るのではないかと考えて、
本書を手に取りました。

この本を読み始めてまず驚かされたのは、一見飄逸の相を見せる
こともある彼の禅画が、時に時代に鋭く切り込む批評精神を示す
ものでもあるということです。

例えば、「富士大名行列図」は、富士山の聖性と大名行列の華美を
対比して、大名の奢侈を容赦なく批判しています。

白隠はこの絵によって、大名の行いを戒めているということです。

この批判行為が当時の世にあって、なみなみならぬ覚悟を必要と
するものであったことは、十分に推測がつきます。

なお、禅画を読み解くためには、画中の賛と呼ばれる詞書も重要で、
この「富士大名行列図」でも、賛が巧みな判じ言葉として画意を
示しているということです。

また、白隠の墨跡「南無地獄大菩薩」、禅画「十界図」の解説も、
私には忘れえぬものです。

彼のの考えでは、極楽と地獄は表裏一体で、心を磨き、修行を
積んで、極楽へと至る境地を見出さなければならない。この墨跡、
禅画はその教えを表しているのです。

白隠の禅画が発する烈しさ、強さ、伸びやかさ、そしてユーモア
さえも、彼自身の己を律する厳しさ、たゆまぬ研鑽の結果が、
自ずと滲み出たものなのでしょう。

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