2024年1月20日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」2974では
ドイツ文学者種村季弘の「雨の日はソファで散歩』から、次の言葉が取り上げられています。
身の回りの一つ二つのものを捨てれば、
かなりの程度世を捨てられるし、世から
捨てられるのである。
私たちは、圧倒的にものに囲まれた世界に生きています。それを実感したのは、私が生まれ
育った明治時代に建てられた京町家を取り壊し、新しい住居兼店舗付き集合住宅に建て替えた
から。
旧居の老朽化と、家業を継続するために、当初は断腸の思いで決断したのですが、実際に建て
替える課程で、一番心痛を感じたのは、長い年月の間に家の中にため込まれた、曾祖父時代
からの古道具類を処分することでした。
現実に捨てるとなると、それぞれの品物にまつわる私の幼い頃からの記憶がフラッシュバック
して、身を切られるような切なさ、裏さみしさを覚えざるを得なかったのでした。
全てを処分してからは、一種の空虚感、心にぽっかりと穴の開いたような、どうしようもない
やるせなさを感じました。
そして2年ほどの歳月が流れた今、改めて振り返ってみると、ある種のしがらみを逃れたような、
前向きで清々しい気持ちでいられる自分を感じます。
古い生活を守っていける余裕があるなら、それも素晴らしいのですが、私は今現在、悔いは無い
と思っています。
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