2024年6月19日水曜日

唐十郎著「佐川君からの手紙 舞踏会の手帖」を読んで

本書を私の本棚の片隅に眺めながら、長年読まずに来たのに、今回手に取った理由は、先日フェースブックで、 佐川一政氏の弟と思しき人の現在の姿を伝える記事を見たからで、その記事の中で一政氏や両親は既に亡くなり、 弟さんだけが取り残され、単身夢の跡のような日常を送っているということでした。それで、最後の後押しを された気分で、本書を読み始めたのです。 劇団状況劇場のテント公演で全国を股にかけ、一世を風靡した劇作家唐十郎の1983年度芥川賞受賞作の小説で、 その当時購入した単行本なので、今は亡き吉行淳之介や大江健三郎の評が帯に添えられています。私の記憶では、 本書自身が世間の大きな反響を呼んだのは、1981年6月にパリ在住の日本人留学生佐川一政被告がーオランダ人 女子留学生ルネ・ハルテヴェルトを射殺、遺体を電動肉切り器で切り刻んで食べるという、いわゆるパリ人肉食 殺人事件の被告本人がー、著者がこの事件を映画化する噂を聞いて、著者宛てに手紙を送って来たことにイマジ ネーションを得て、本書を執筆したからで、2年前に日本全国を震撼させたあのショッキングな事件と、唐十郎 という希代の人気劇作家が直接的につながる形での小説誕生に、センセーショナルな期待が高まったからでしょ う。 実際に唐十郎は、佐川被告の手紙での呼びかけに答えるようにその当時のパリを訪問し、刑務所で面会を試み ながら果たせず、そのことを本書にも記述していますが、まず忘れてはならないのは、この小説が色々な要素 から一見実録小説に見えながら、実際は著者一流の幻想小説であるということです。 つまり、著者は被告の手紙や事件の記録、現場に佇んだ実感をヒントにして、空想の翼を縦横に広げ、虚構の 演劇空間としてのこの物語を作り上げているのです。それが証拠として、唐十郎は小説の中に、自身の祖母から イメージされたK・オハラという架空の登場人物を創作し、この異国で絵画のヌードモデルとして生計を立てる、 輝かしい裸身を持った若い日本人女性は、佐川被告の人肉食殺人事件に深く関与するのですが、この女性が事件 に絡まることによって、肉感的で生々しく、残忍な出来事は、グロテスクではあるが耽美的な事柄へと見事に すり替えられているのです。 著者の鮮やかな手さばきに、感心させられる小説です。

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