2022年8月20日土曜日

井上光晴著「西海原子力発電所・輸送」を読んで

私の瀬戸内寂聴の文学への関心は、瀬戸内と井上光晴の親密な関係を描いた、光晴の子荒野の 著作を経て、光晴自身の小説へと行き着きまいた。 文学が結ぶ縁とは誠に面白いものだと改めて感じながら、本書はまた、執筆時の読書界の反響 とは異質の感慨を、今手に取る読者に与えます。 それはつまり、「西海原子力発電所」が将来起こり得る原発事故への不安を描く小説であり、 「輸送」は仮想の核廃棄物輸送事故を扱う作品だからで、今現在の私たちは、既に東日本大震災 による福島原子力発電所の取り返しのつかない大事故を、現実に経験しているからです。実際の 事故を目の当たりにした時、全ての虚構は吹き飛んでしまいます。 しかし、福島の事故があればこそ、この2作品は文芸文庫という形で再版されたのであり、著者 の井上もこの2作品の執筆当時、チェルノブイリの原発事故の影響を受けたと、語っています。 つまり、原子力発電がこれほどの危険性をはらみながら、私たちが長年に渡り原子力の平和利用 という美名の下に、見て見ぬふりをして来た欺瞞性を、早くもこの当時において、井上が小説と いう形で広く読者に訴えかけたという意味において、大きな意義があると感じます。 さて、そのようなことを前提に置いてこの2作品を見て行くと、「西海」では物語の舞台が九州 ということもあって、原子爆弾の被爆者による原発の危険性の認識と告発が描かれています。 これはある意味当然のことですが、原発の大事故後の現在から振り返ってみると、戦後の原発 推進政策は正に私たち被爆国の国民が、科学技術の発展による原発の安全性を盲目的に信じる ことによって、成り立って来たことが分かります。この小説はそのことを、私たちに改めて問い かけて来ると感じます。 「輸送」では核物質漏洩事故後の人々の日常生活の破綻と精神の崩壊が、生々しく描かれてい ますが、これに類する悲惨を我々はすでに、眼前にしています。 しかし事故の発生地域から離れた場所に居住している私たちにとっては、歳月を重ねると共に 事故の記憶を薄れさせる恐れがあります。その意味でも、この小説の当事者の内面を抉る切実 な記述は、貴重であると感じました。

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