2022年8月9日火曜日

稲垣栄洋著「生き物の死にざま」を読んで

各生物の生き様を、科学的知見に基づき分かりやすく記述する書物ですが、その人間的感情に寄り添う 独特の表現方法が、読後の余韻を残します。 例えば冒頭の「空が見えない最後 セミ」では、地中で長い年月の幼虫時代を過ごすも、地上に出て 成虫になってからは生き急ぐような短い生涯を閉じる、この昆虫が力尽きて地面に仰向きに転がる様を ”空が見えない最後”と記して、哀れさを誘います。 この昆虫は地中では木の根の養分を吸って長い時間をかけて滋養を養い、交尾という最終目的のために 地上に出て、目的を果たすと直ぐに命が尽きるという、客観的に見ると合理的な生涯を送るのですが、 この記述を読むと、読者はセミの一生を人生のはかなさと重ねざるを得ません。 また、「メスに食われながらも交尾をやめないオス カマキリ」では、体の大きなメスと交尾するため に文字通り命がけで近づくオスは、下手をするとメスに食べられてしまいますが、よしんば食われながら も交尾を止めないという、そして交尾中にオスを食べたメスは、通常の二倍以上の卵を産み、オスの死 も報われるといいます。 ここでは著者は、”何という執念だろう。何という壮絶な最後なのだろう。”と記して、子孫を残すこと に特化された生き様を読者に提示します。 「草食動物も肉食動物も最後は肉に シマウマとライオン」では、シマウマの赤ちゃんが肉食獣から身を 護るために生まれて数時間で立ち上がること、大人のシマウマでも油断したり、体が衰えると肉食動物 の餌食になり、彼らにとって天寿を全うする安楽な死はないということ。また他方ライオンも、狩りの 失敗が続けば飢え、犠牲となって真っ先に死ぬのは子供ライオンであり、狩りに携わりケガをしたメス ライオンは、やがて来る死を待つばかりになり、リーダーのオスライオンも、力が衰えれば若いオスに 群れを乗っ取られ、自分の子供を殺された上に、行き倒れとなって死を迎えざるを得ない、といいます。 著者は、”どう転んでも、最後は食われて死ぬ。それがシマウマの生き方”、”百獣の王であるライオン にとってさえも、安楽な死はない。王としての強さを失ったときが、ライオンにとって「死」なのである。 ”と記して、自然界の弱肉強食の厳しさを表現しています。 このように見て行くと、自然界の掟は何より子孫を残すことが優先され、大量に生まれることによって それを克服するものはあるものの、弱いものから失われて行くことが分かります。この現象は、自然淘汰 、進化の法則に合致するものです。 それに対して文明社会を築いた私たち人間は、ある程度までこの自然のくびきから、足を踏み出すことが 出来たと言えるでしょう。しかし高慢になって、この自然の摂理を歪めてはならないと、改めて思いまし た。

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