2022年8月25日木曜日
「鷲田清一折々のことば」2400を読んで
2022年6月5日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」では
解剖学者・養老孟司の随想「人生論」(「アステイオン」第96号)から、次のことばが取り上げ
られています。
現代人は「仕方がない」が苦手である。何事
も思うようになるとなんとなく思っている風
情である。
そうです。実はほとんどのことが思うようにならず、自分の体さえままならないのに、私たちは
何でも思い通りになる、いやせめて、少しばかりはのぞみがかなうと考えている節があります。
勿論、大筋ではかなうこともある。でもそれは恣意的にかなうのではなく、流れの内でかなう
ことになった、ということではないでしょうか?
ではどうしてそのように考えるようになったのか?恐らくそれは、我々の生活レベルが上がり、
社会も安定して、大多数の人が、人生の既定のレールに乗れるようになって、そこを進むことが
当たり前と思うようになった。
あるいは教育においても、合理的な思考方法や機会の均等ということが盛んに奨励されて、我々
が願えば望みはかなえられる、という考え方が主流になったということ、と深く関係している
ように思われます。
でも実はそれは幻想に過ぎず、本当は我々の望むことが手放しでかなえられることは、ほとんど
ないのです。
このことを前提として、私たちは日々を過ごさなければならない。それは何も望みを捨てること
ではなくて、かなわないのが当たり前、たまたまかなえば感謝しなければならない、ということ
だと、私は思います。
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