2022年7月26日火曜日
「鷲田清一 天眼 「はかる」ことができない?」を読んで
222年5月15日付け京都新聞朝刊「天眼」では、哲学者・鷲田清一が「「はかることができない?」
と題して、「思う・考える」を意味するフランス語のpenser(パンセ)が、「量る」「秤る」を
意味するラテン語penso(ペーンソー)からきているという指摘について、語っています。
これは、「はかる」が文化人類学者・川田順三によると、「比喩を用いて認知を拡大して行くやり
方」を意味し、たとえば、全体が量として不明なときに、なにか尺度とか目安になるものをあて
がって全体を知ることだ、というのです。
そして、その目安になるものの一つが私たち自身の体であり、広げた掌や両手の幅、指先からひじ
までの長さ、歩幅などであるということです。
つまり我々人間は、等身大の身体の尺度を使って、物事を考えるのであり、そうすることによって
初めて、実感を持って全体の意味を把握することが出来る、ということなのでしょう。
とかく近年は、電脳社会の進展によって、頭で考えることと身体が分離されてしまい、私たちは
ネットの世界から絶え間なく流入して来る膨大な情報に、振り回され勝ちですが、やはり、身体
感覚で物事を考えるという習慣を、持ち続けるべきでしょう。
そして本稿でも鷲田が指摘しているように、今回のコロナ禍、ウクライナ侵攻という非常事態に、
我々が全体を見通すことが出来ないという戸惑い、得体のしれない焦燥感に囚われる中で、闇雲に
事態に翻弄されるのではなく、地道に自らの身体感覚に照らし合わせて、少しづつ行く末を模索
する姿勢が、必要なのではないでしょうか。
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