2022年7月20日水曜日

西村賢太著「苦役列車」を読んで

つい先日亡くなった、作家西村賢太の芥川賞受賞作「苦役列車」「落ちぶれて袖に涙のふり かかる」2作からなる、文庫本を読みました。 瀬戸内作品共々、作家が亡くなるなどのはっきりとした機会がなければ、普段から気になっ ている小説家の作品を読むことも出来ないのかと、自分のものぐささに飽きれたくなります。 さて西村の小説は、自身の荒れた人生を露悪的に描く私小説作品という評判をかねがね耳に して来ましたが、「苦役列車」は正にその典型的な作品と思われます。作家の分身である 主人公貫多は、彼の父親が強姦事件を引き起こしたために一家離散し、中学卒業で家を飛び 出し、安下宿に転がり込んで日雇い労働で糊口をしのぐも、怠け癖と風俗通いで常に金欠に 陥り、家賃滞納で下宿を転々とする、その刹那で絶望的な生活が赤裸々に描かれています。 私には経験をしたことのない世界で、物珍しさというものもありますが、しかし人生は一寸 先は闇、あるいは運命のいたずらによって、彼と同様の境遇に置かれた可能性がなかった はずではなく、そのような立場にある学歴はありませんが、知的観察力と思考力を有する 主人公が、どのように感じ、どのように行動するのかは、大変興味深く感じました。 本作では頑なに心を閉ざしていた貫多が、労働現場で同年輩の同僚日下部と出会うことから 物語が動き始めますが、話し相手が出来るということが、どれほど心の張りになるかという ことが実感され、心を動かされました。 人生に張り合いが出来ると勤労意欲も湧き、そうすると劣悪な労働環境の中でも、少しの 改善の可能性が見出せます。ままならぬ人生の中のわずかな救いが示されるようで、少し 心が和むのを感じました。 結局貫多は自らのひねくれた性格と、劣等感から日下部と袂を分かちますが、彼には普通の 人間の生活を憎みながらも、それに憧れるところがあります。その微妙な心理が、この斜め に構えた独特の小説の記述を生み出していると感じさせます。 ラストの、主人公が私小説作家藤澤清造の作品コピーを、人足作業ズボンの尻ポケットに 忍ばせているという描写は、実際に私小説作家となり、この作品で芥川賞を受賞する西村の 将来を暗示する結末となっていますが、彼の以降の作家としての成功を知る私には、この 小説のトーンからして、釈然としないものを感じました。本作の貫多はもっと既存の枠に 収まり切らない、破天荒な人間であり続けてほしかったと感じました。

0 件のコメント:

コメントを投稿