2022年5月16日月曜日

瀬戸内寂聴著「諧調は偽りなり(上) 伊藤野枝と大杉栄」を読んで

寡聞にして、「美は乱調にあり」の続編、「諧調は偽りなり」が、上下巻に分かれていることは 知りませんでした。まず、(上)から読み始めます。 本書では、神近市子が大杉に傷を負わせる「日蔭の茶屋事件」以降の大杉と野枝、この二人との 愛憎の四角関係にあった市子と保子、そして辻潤のその後の消息を中心に描いています。それは 取りも直さず、「大逆事件」以降の、国家権力の日本の社会主義運動弾圧の軌跡を描くことでも あります。 少し話が逸れますが、現在ロシアが隣国ウクライナに軍事侵攻し、ウクライナでは夥しい一般 国民が犠牲となり、国外への逃避が続いていると、連日ニュースで伝えられています。ロシア 国内でも、一方的な侵略に対して反対の世論もあるようですが、プーチン大統領は情報統制を 強めて、軍事行動の正当性を国民に信じ込ませようとしているようです。この情報操作という 部分が、本書で描かれている社会主義運動への国家の強権行使と重なり、時代を隔てても生々し い現実を見る思いがします。 さて、市子の大杉への刃傷事件を経て、かえって結びつきを強めた大杉と野枝は、次第に強まる 官権の締め付けの中で、住居を転々としながら三人の子供を設け、文字通り一心同体となって 非合法社会主義運動に邁進します。 その生き方は刹那的で無軌道、自分勝手で、周囲に迷惑をまき散らしているように見えますが、 なぜか憎めません。特に大杉は、周辺の人々に犠牲を強いながらも、そのうちの大多数に愛され、 その活動を野枝が全力で支えるという関係が成り立っています。 彼が愛される理由としては、その人柄によるところが大きいでしょう。そして思想統制が強まり 息苦しい当時の日本で、正に前面に立って抗う政治思想界の風雲児という位置づけで、周囲の 人々は熱い視線を送っていたと思われます。 大杉と野枝が運動を通して愛情と絆を深める中、保子は身を引き、市子は出獄後事件を忘れて 平穏な暮らしを求めようとします。しかし市子が、文筆で金を稼ぐことが出来る当時として先進 的な女性であったために、金づるとして当てにされて、運動からなかなか抜けることが出来な かったのは大いに皮肉です。彼女にも社会主義への共感が残っていたのでしょう。 辻潤も野枝を大杉に奪われる損な役割を担わされましたが、野枝を精神的に覚醒させた功績は大 きく、今日ではダダイストの文筆家として、大杉以上の評価を受けていると言います。彼自身の 思想を体現し、全うした生き方だったのでしょう。

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