2015年8月7日金曜日

漱石「それから」における、三千代に告白した時の魂の浄化を夢想する代助

2015年8月5日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「それから」106年ぶり連載
(第八十八回)に、呼び出した三千代の到着を待つ間に、代助が思いを
告白した瞬間を想像して満ち足りた気分になる、次の記述があります。

 「彼はしばらくして、
 「今日始めて自然の昔に帰るんだ」と胸の中でいった。こういい得た時、
彼は年頃にない安慰を総身に覚えた。何故もっと早く帰る事が出来な
かったのかと思った。始から何故自然に抵抗したのかと思った。彼は
雨の中に、百合の中に、再現の昔のなかに、純一無雑に平和な生命を
見出した。その生命の裏にも表にも、欲得はなかった、利害はなかった、
自己を圧迫する道徳はなかった。雲のような自由と、水の如き自然とが
あった。そうして凡てが幸であった。だから凡てが美しかった。」

代助は自らの三千代への愛情を確信し、それを解き放った瞬間の幸福を
夢想します。それは彼の人生における、最も輝かしい空想の一つかも
しれません。

人は人生の中に、人間関係や経済的な制約、あるいは健康問題など、
様々な葛藤を抱え、とかくままならぬ思いをいだいて生きています。

もしその悩みを一気に解消することが出来たら、それは誰しも折々に
感じることです。しかしそれは、往々にして叶わぬこと。

でも代助は想像の力の助けによって、今その葛藤を振り払おうと
しています。その決断のための夢想は、飛び切り美しいものでなければ
ならないのは、言うまでもありません。

0 件のコメント:

コメントを投稿