2015年8月24日月曜日

辻惟雄著「日本美術の歴史」を読んで

著名な美術史家である辻惟雄の、縄文時代からマンガ、アニメを含む広義の
現代美術に至るまでを概観する、言わば日本美術史の入門書です。

本書を私が読むにあたり特に期待したのは、日本美術全体を通しての固有の
特質を知ることであり、もち論少し重なり合う部分もありますが、かつて我が国
美術史の中で忘れ去られていた、伊藤若冲、曾我蕭白、長沢蘆雪といった
奇想の画家に再び日の光を浴びせさせた仕掛人の一人である著者が、
いかなる視点を持って日本美術史を指し示してくれるのか、ということでした。

さて縄文時代から本書を読み進めて行くと、最近の歴史研究でも次第に明らか
になり始めていることですが、従来からイメージされて来たように日本民族と
いう独自の民族が日本列島に太古より存在し続けているのではなく、往古の
それぞれの時代に文化的特色を持つ民族が大陸より流入し、この島で個々の
文化を発展させたことが分かります。

それが大別すると、縄文美術を擁する縄文文化であり、弥生美術を有する
弥生文化なのです。以降両者の文化的特色が混ざり合い、干渉し合うという
形で日本文化が形成されて来たように読み取れます。

以後、辺境地である日本の美術は、先進地である大陸から新たな美術が
もたらされる度にその影響を受け、それを我が国特有のものに彫琢するという
ことを繰り返して来ました。明治以降も、移入先が中国から西洋に入れ
替わっただけで、その基本的パターンは変わらないのです。

辻は日本美術の固有の特質を探るヒントとして、「かざり」「あそび」「アミニズム」
の三つのキーワードを上げます。

「かざり」は、対象を美しく見せる趣向として、江戸期以降町人文化の発達と共に、
より洗練され繊細さを増し、庶民の美意識の中にも確立されて行ったと思われ
ます。

「あそび」は、あどけなさ、純粋さへの日本人の憧れと、私には感じられます。

「アミニズム」は、神道、修験道に代表される自然への畏敬、親和感を示す
でしょう。

江戸時代後期、日本美術が一つの到達点を迎えた爛熟期において出現した、
伊藤若冲を始めとする奇想の画家たちの作品も、これら三つの傾向を極端な
形で表わすものに他ならないと、著者は説くのです。

本書は日本美術史の教科書の役割を担う概説書として企図されたものであり、
それだけに著者の嗜好を優先するよりも、全体を万遍なく取り上げようという
意識が感じられますが、現代美術の分野において、マンガ、アニメを大きく
取り扱っているところなど、既存の価値観に囚われない、辻の面目躍如たる
ところがあると、感じました。

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