2025年11月26日水曜日
森村泰昌著「空想主義的芸術家宣言」を読んで
自分自身が名画の登場人物など対象になりきり、撮影した写真作品で有名な現代美術家の著作です。
25年前の著書なので、現代の視点から見ると、少し乖離する部分もあるかも知れませんが、著者の美術作品
の発想が大変ユニークであるのに比例して、本書における森村の論の立て方も極めて斬新で、このような考
え方もあるのだと感じさせられると共に、何か煙に巻かれたような読書体験でした。
それは、彼が芸術や社会的事象、文化などについて思考するにあたり、現代社会において一般的な論理的方
法ではなく、空想的、感覚的な思考法を用いているからで、その視線が一見突拍子もないようで、実は的を
射ているというところに驚かされ、納得させられるのです。
勿論、随所に挿入されている、彼自身がモデルの写真作品が、読者の空想をいやが上にもかき立てるのは、
言うまでもありません。その中でも、私の印象に残った部分を書き出して見ると、まず第2の空想の章の「値
打ち」についてです。ここでは、落語「はてなの茶碗」と「千両みかん」の考察を通して、芸術作品の価値
について論じています。
つまり、「はてなの茶碗」の水漏れする茶碗が、目利きに見出されたという想定から高値で売買される話と、
「千両みかん」の季節外れのみかんが、病気を治癒させるという想定から高値で取引される話を例にとって、
ものの価値には、「この世」のものと「あの世」のものがあり、「この世」のものが実用的なものであるのに
対して、「あの世」のものは形はないが人が追い求めるものであり、芸術のそれは、「あの世」の価値に属す
ると結論づけます。異論はあるでしょうが、論理的思考では解決が難しい事柄を、皮膚感覚で簡潔に説明して
いると感じました。
次に、第4の空想の章の「お手本」についてです。芸事などには初心者がなじみやすいように「お手本」が
ありますが、森村は小さい頃から「お手本」に習うのが苦手で、失敗を繰り返したといいます。美術の修得に
おいてもデッサンが苦手で、それでも絵が上手になりたくて、芸術表現がしたいという思いから、現在の対象
に成りきり写真で撮影するという表現方法を生み出したといいます。
そして、その生き方を通して彼が編み出した人生哲学は、「お手本」を出来るだけ参考にせず、それが出現す
る以前の初心に返って物事に取り組む、空想的初心術であると論じています。これなどは、私たち読者にとっ
ても、自由な発想を生み出す思考法として、有用であると感じました。
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