2024年12月18日水曜日
平野啓一郎著「マチネの終わりに」を読んで
中年を迎えた天才的クラシックギタリストの蒔野聡史と、国際ジャーナリスト小峰洋子の、運命的でありながら、
実らなかった恋を描く、恋愛小説です。
二人の職業柄、芸術や国際政治の問題が、彼らの関係に深い影を落としますが、悲恋小説の王道とも言える、
ほんの少しの行き違いが運命を暗転させるストーリー展開が、切なく感じられました。
まず感銘を受けたのは、蒔野が招待されたマドリードでのギターフェスティバルの往路、洋子の住むパリに立ち
寄り、既に婚約者のいる彼女に愛を告白し、その返事を確かめるために帰路にも訪れた彼女のアパルトマンで、
彼女が直前まで派遣されていた紛争中のイラク、バグダッドから、身の危険を感じて彼女を頼り、避難して来た、
イラク人の若い女性と出会い、この女性を慰め、勇気づけるためにギターを弾く場面です。彼は、自分のギタリ
ストとしての使命感と、他にはこの女性を癒やす方法を見いだせないために、ギターを手に取りますが、洋子の
部屋で、無心に美しい音楽を奏でる蒔野と、その音色に感動する怯えた避難民の女性、そして慈愛を持ってこの
様子を見守る彼女の間に流れる掛け替えのない時間は、蒔野と洋子の愛を確信させ、静かな深い感動を与えます。
それまでの描写で、蒔野の天才ゆえの一種鼻持ちならない性格に、辟易することがありましたが、この場面を
経て、彼自身が芸術的にも一皮むけたように感じられました。
次に印象に残るのは、一人の人間の少しの嫉妬、悪意と時と偶然の悪戯によって、二人の愛が決定的なすれ違い
を生み出す場面です。もし休暇で日本を訪れる洋子の飛行機が遅れなければ、その時蒔野のギターの恩師が脳
出血で倒れなければ、あるいは、病院に向かう彼がタクシーに携帯電話を忘れなければ、その携帯を彼を個人的
にも慕い、後に彼の妻となるマネージャーの三谷に、取りに行かせなければ・・・。
この場面をよんでいて、歯がゆさとやるせなさに、胸が締め付けられる思いがしました。これほど悪いことが
重なることはあり得ることか?しかしこれは物語上の事とは言え、現実においても悲劇的な出来事は、往々にし
て悪い偶然の重なりによって、もたらされるとも思われます。
その意味では読書によって、このような理不尽な体験をすることは、私たちに実人生の不幸な場面での心の処し
方を、学ばせてくれるかも知れないと感じました。
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