2024年5月10日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」3082では
思想史家・藤田省三の「藤田省三著作集まえがき」から、次の言葉が取り上げられています。
自分の後ろ姿は全き完了形として手も眼
も加えることが出来ない。
少し難しい表現ですが、自分の後ろ姿は、自分の目では直接見ることが出来ない。一方、他人は
自分の気づいていない自分を目撃している。人の眼差しには常に死角がある。という意味だそう
です。
なるほど本人は、自分の心の内は認識することが出来るけれども、後ろ姿で何を発信しているか
は、自分では確認することが出来ません。それゆえ、他人が自分のことをどう思っているか、
どのように捉えているかということが、余計に気になるに違いありません。
でも、いくら努力しても、自分の後ろ姿や佇まいを見ることは困難です。では、他人にどう見ら
れているかという不安や気がかりを解消するには、どうすればいいのでしょうか?
一つは自らの内面を磨き、見られても恥ずかしくない自分を作り出すこと。もしくは、他人の目
など眼中にないようにするために、平静を保つ精神力を養うことでしょうか?
しかし両解決法には共通するところがあって、要するに精神力を磨くことは、自分自身の自信を
生み出し、他人の目に揺らがない確固たる自己を生み出すことなのだと思います。
なかなか難しいけれど、私自身もそのようでありたいと思います。
0 件のコメント:
コメントを投稿