2024年6月26日水曜日

「鷲田清一折々のことば」2974を読んで

2024年1月20日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」2974では ドイツ文学者種村季弘の「雨の日はソファで散歩』から、次の言葉が取り上げられています。    身の回りの一つ二つのものを捨てれば、    かなりの程度世を捨てられるし、世から    捨てられるのである。 私たちは、圧倒的にものに囲まれた世界に生きています。それを実感したのは、私が生まれ 育った明治時代に建てられた京町家を取り壊し、新しい住居兼店舗付き集合住宅に建て替えた から。 旧居の老朽化と、家業を継続するために、当初は断腸の思いで決断したのですが、実際に建て 替える課程で、一番心痛を感じたのは、長い年月の間に家の中にため込まれた、曾祖父時代 からの古道具類を処分することでした。 現実に捨てるとなると、それぞれの品物にまつわる私の幼い頃からの記憶がフラッシュバック して、身を切られるような切なさ、裏さみしさを覚えざるを得なかったのでした。 全てを処分してからは、一種の空虚感、心にぽっかりと穴の開いたような、どうしようもない やるせなさを感じました。 そして2年ほどの歳月が流れた今、改めて振り返ってみると、ある種のしがらみを逃れたような、 前向きで清々しい気持ちでいられる自分を感じます。 古い生活を守っていける余裕があるなら、それも素晴らしいのですが、私は今現在、悔いは無い と思っています。

2024年6月19日水曜日

唐十郎著「佐川君からの手紙 舞踏会の手帖」を読んで

本書を私の本棚の片隅に眺めながら、長年読まずに来たのに、今回手に取った理由は、先日フェースブックで、 佐川一政氏の弟と思しき人の現在の姿を伝える記事を見たからで、その記事の中で一政氏や両親は既に亡くなり、 弟さんだけが取り残され、単身夢の跡のような日常を送っているということでした。それで、最後の後押しを された気分で、本書を読み始めたのです。 劇団状況劇場のテント公演で全国を股にかけ、一世を風靡した劇作家唐十郎の1983年度芥川賞受賞作の小説で、 その当時購入した単行本なので、今は亡き吉行淳之介や大江健三郎の評が帯に添えられています。私の記憶では、 本書自身が世間の大きな反響を呼んだのは、1981年6月にパリ在住の日本人留学生佐川一政被告がーオランダ人 女子留学生ルネ・ハルテヴェルトを射殺、遺体を電動肉切り器で切り刻んで食べるという、いわゆるパリ人肉食 殺人事件の被告本人がー、著者がこの事件を映画化する噂を聞いて、著者宛てに手紙を送って来たことにイマジ ネーションを得て、本書を執筆したからで、2年前に日本全国を震撼させたあのショッキングな事件と、唐十郎 という希代の人気劇作家が直接的につながる形での小説誕生に、センセーショナルな期待が高まったからでしょ う。 実際に唐十郎は、佐川被告の手紙での呼びかけに答えるようにその当時のパリを訪問し、刑務所で面会を試み ながら果たせず、そのことを本書にも記述していますが、まず忘れてはならないのは、この小説が色々な要素 から一見実録小説に見えながら、実際は著者一流の幻想小説であるということです。 つまり、著者は被告の手紙や事件の記録、現場に佇んだ実感をヒントにして、空想の翼を縦横に広げ、虚構の 演劇空間としてのこの物語を作り上げているのです。それが証拠として、唐十郎は小説の中に、自身の祖母から イメージされたK・オハラという架空の登場人物を創作し、この異国で絵画のヌードモデルとして生計を立てる、 輝かしい裸身を持った若い日本人女性は、佐川被告の人肉食殺人事件に深く関与するのですが、この女性が事件 に絡まることによって、肉感的で生々しく、残忍な出来事は、グロテスクではあるが耽美的な事柄へと見事に すり替えられているのです。 著者の鮮やかな手さばきに、感心させられる小説です。

2024年6月12日水曜日

2024年6月度「龍池町つくり委員会」開催

6月11日(火)に「龍池町つくり委員会」が開催されました。 今回は、前回に決定した、短期的視点、長期的視点に則って、話し合いを進めていきました。 まず、6月20日(木)に開催される、自主防災会の総会に合わせて、マンガミュージアムに貯蔵する水、食料 等災害用備蓄品の量、扱いについて議論を進めました。これは前回の拡大理事会で、能登の災害ボランティア として参加した経験のある、ある町会長さんから、当学区の水の備蓄はどれぐらいの量であるかという質問が あり、その答えにそれではとても足りないのではないかという意見が出されたからです。 当学区の避難所マンガミュージアムは、ビジネス街に隣接しており、またミュージアムという機能からも、 もし日中に地震災害が起これば、大変多くの避難者が殺到する可能性があります。しかしそれに対して、現在 のところ水、食料の備蓄は限られ、その量で避難者に対応するには、心許ないところがあります。 まず、当委員会にはマンガミュージアムの事務長も参加して頂いているので、避難所開設時の事務局の役割に ついてお尋ねしたところ、ミュージアム側はあくまで器としてこの施設を提供し、実際の避難指揮については、 龍池自治連の連合会長に従うということ。ミュージアムに想定されている避難者数は409名であること。この度 京都市より下水を利用したマンホールトイレ5基が設置されますが、その使用限度数が1日50回で、5基で50回X5 の250回であることが報告されました。 実際の災害時には下水が使用可能かも分からず、またダンボールベッド、毛布等の休息用の備品も少ないのです が、それらに代用するものを如何に充実させていくか、また水、食料等はあくまで予備用で、学区民一人一人 に、各自で備蓄するように働きかけること、これらのことが確認されると共に、来る自主防災会総会で、各町 会長に説得力のある説明をすることが、必要であることが認識されました。 長期的視点に立った活動計画である、京都外国語大学南先生との共同事業は、本日は南先生と一緒に協力して くれる、OB、現役生さんそれぞれとの顔合わせがあり、次回以降に具体的な活動計画を練っていくことになり ました。

2024年6月4日火曜日

高畑勲著「映画を作りながら考えたこと」を読んで

ご存じ、宮崎駿と共に、数々の名作アニメを生み出した、スタジオ・ジブリの中心メンバーで、アニメ映画 監督、プロデューサー高畑勲の携わった映画についての論考、対談等をまとめた本です。文字通り映画制作 の舞台裏を語ったもので、それ自体に、例えば優れた創作作品に接した時のわくわくするような気分は感じ られませんが、本書を読むことによって、慣れ親しんだあのジブリ映画が生まれた背景、制作者の意図が より深く理解出来て、個々の映画を初めて観た時の感動が蘇って来るのを感じました。その意味で大変幸福 な読書体験でした。 本書によって気づかされたことは色々ありますが、まず最初に印象に残ったのは、高畑勲と宮崎駿が東映動画 の組合活動を通して出会ったということです。当時のアニメーターの厳しい労働環境への問題意識を二人が 共有していたということで、以降のジブリ作品の根底に、社会問題への真摯な問いかけが存在していることに、 改めて納得させられました。 また、このことにも通じますが、宮崎駿が自らの原作を映画化して「風の谷のナウシカ」を完成させた時に、 プロデューサーとして参加した高畑が、映画の完成度を30点と、かなり辛口に厳しく採点したことが挙げられ ます。 この映画は、近未来の核戦争によって荒廃した世界に生きる一人の勇敢な少女が、その世界においてもなお 武力を行使し、覇権を競う人々が招いた人類滅亡の危機から人々を救う、哲学的で深遠なテーマを有する原作 を、壮大なスケールで迫力たっぷりに、それでいて詩情豊かに描いた傑作で、この作品によって宮崎監督の名 は一躍有名になりましたが、高畑は敢えて、彼の更なる環境問題への鋭い切り込みの可能性を信じて、この ような採点をしたのでしょう。 次に感銘を受けたのは、高畑自身が監督をした「火垂るの墓」の制作意図として、戦中の食糧不足の中で、 主人公の少年が幼い妹を連れて辛く当たる遠縁の未亡人の家を飛び出す場面、この少年の行動が、忍耐を美徳 とするのではなく、誇り高く現代的で、現在の若者にも共感を得やすいのではないかと述べている部分で、彼 が制作当時の若い世代に、戦争の悲惨さを如何に訴えかけるかということに、切実に腐心していたことが窺え て、改めて感心させられました。