2023年1月9日月曜日
高橋たか子著「怒りの子」を読んで
著者の作品を読むのは初めてで、しかも、この著者について何の予備知識もありません。私の家の
建て替えに伴い本箱を整理していて、埋もれていた本を中心に、新築完成後の7月から読書している
ので、2~30年前に刊行された本を読んでいることになります。それはそれで、新鮮で楽しいと感じ
ています。
この作品は、舞台が私の生まれてから暮らす京都なので、従って30年余り前のこの町を描いている
ことになります。だから、今現在とはまとう雰囲気が違うところもあり、しかし、私自身が幼少期
からこの町で育つ中で感じて来たこと、あるいは、その当時には気づきませんでしたが、この本で
描かれることによって、ああそうであったかと思い起こすことが確かにあると、感じました。
それは古い町で、小さい家が狭いところに立て込んでいるために、因習に縛られる部分や、親密さ
と警戒感、対抗心がないまぜになった、複雑な人間関係が支配していることです。この感覚は、
実際にそこに住んでいる地元民にはある意味免疫が出来て、あまり意識もしなくなっているのです
が、部外者で突然にそこに放り込まれた人間には、あたかも魔窟に一人佇む心地かも知れません。
その意味で一昔前、京都の街中に他地方から嫁入りする女性は苦労すると言われたのも、頷ける気
がします。
さてこの本の主人公美央子も、地方から出て来て、京都の得体のしれなさに飲み込まれてしまった
1人です。彼女は、この町で専門学校に通いながらも、人生の目標が見出せなくて、結婚願望を目的
とはき違えて、親戚筋の年配の独身男性に好意を寄せるも、振り返ってもらえず、自暴自棄になって
殺人を犯します。
このストーリーは、よくある青春の蹉跌を描いた小説とも言えますが、被害者が京都の市井の醜い
部分を体現するような存在であり、美央子が絡みつくそれを断ち切ろうとして、悲劇が起こったとこ
ろに、人間の普遍的な性の深淵を描く重厚さがあります。
また美央子が憧れる、この町で逞しく暮らす親戚の初子が、具体的に語られる訳ではありませんが、
キリスト教の信仰を持っていることは、著者が魂の平穏のために必要なものとして暗示したかった
ことかも知れませんし、殺人事件の後美央子が、この事件の原因が不可抗力とも解釈できる状況の
中で、あえて罪を認め、服役中に初子の「愛」という言葉を回想する場面には、彼女に許しが訪れ
ることを示唆しているとも思われます。
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