2008年に若くして第50回グラミー賞の五部門で受賞するなど、不世出の歌手と言われ
ながら、アルコールの過剰摂取で27歳で夭折したエイミー・ワインハウスの生涯を、
歌唱シーンは勿論、未公開やプライベート映像も交えて描く、ドキュメンタリー映画です。
第88回アカデミー賞「長編ドキュメンタリー賞」受賞作でもあります。
彼女が歌手として成功していく過程を描きながら、何とも切なく、悲しい映画でした。
やるせなさの通奏低音をなすのは、これで彼女も、ジャニス・ジョプリンやジミ・ヘンド
リックスに並び称せられる、音楽シーンを彩る伝説のミュージシャンの一員になるだろう
ということが、暗示されていることです。
エンターテインメントの世界が、才能あるほんの一握りの人だけが生き残ることが出来る
非情なさがを有しながら、その裏返しとして、人気絶頂期に夭折した人をことさら
もてはやすという、他人の不幸をも興行的に利用することを厭わない場所であることが
白日に晒され、人間存在の根本的な悲しみを感じさせます。
またエイミー自身も音楽を愛し、溢れるばかりの才能を有しながら、彼女の繊細な
性格はこの業界の体質と合わず、その不協和が彼女の精神や身体を次第に蝕んでいく
様子は、観る者にいたたまれない思いを感じさせずに置きません。
さらに彼女の歌の才能が、その不幸な生い立ちや充たされない人生と深く結びついて
いることも、悲劇を助長しています。幼くしての両親の離婚や過食症の経験、ドラッグ
中毒の男と結婚して、ドラッグやアルコールへの依存を深めていくことも彼女の音楽に
反映されて、名曲、名歌唱を生み出します。
このような下りを観ていくと、彼女の人生には一見救いがないように感じられますが、
彼女の歌唱シーンや、音楽への取り組みを映すシーンには、彼女が自身のストレートな
思いを歌にして表出することによって、自らの心を解放する喜びを味わったり、音作りに
妥協を許さず真摯に向き合う姿に、音楽への愛とそこで生きることの充実感を、感じさせ
ます。
そのようなシーンの中で特に印象に残ったのは、エイミーが尊敬する大御所トニー・ベ
ネットとデュエットのレコーディングをする場面で、彼女のトニーと音楽への敬意が直に
伝わって来て、好感を持ちました。
結局彼女にとって音楽こそが生きた証であり、彼女の歌が聴き継がれることが、不幸な
人生を生き急いだ意味であるという、当初の感慨とは矛盾するところに、私の心は落ち
着いたのでした。
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