2025年7月23日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」3448では
詩人・翻訳家関口涼子の随想「味を呼び戻す」(群像編集部編『おいしそうな文学。』所収)から、
次の言葉が取り上げられています。
美味の数々を夢見ることは、病床や戦火
の下でも言葉によって生を自分たちの側
に取り戻そうという行為なのだろう。
人は死を間近に感じるような状況で、食べ物のことを夢想する存在でもあるのでしょう。例えば私は、
オリンピックの日本人メダリストのマラソンランナーが、次回のオリンピックを目指すも怪我からの
回復が思うに任せず、国民の期待に応えられない申し訳なさから、自死を遂げた時の遺書で、自らの
母親が作ってくれた食べ物のお礼を延々と列記していたことを、この言葉から思い出します。
それほどに、美味しい物を食べたいという根源的な欲望は、死の間際でも人を駆り立て、逆に生への
名残惜しさを想起させるものなのでしょう。
また、苦しい状況にある時に、美味しかった食べ物のことを想像すれば、一瞬その苦境を忘れて、前
に向かって進めるということもありうると思います。
根源的な願望を想起する力、それを言葉に出来る力。これからは更に、そのような力が求められると
思います。
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