2025年2月6日木曜日

「鷲田清一折々のことば」3096を読んで

2024年5月25日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」3096では 彫刻家・批評家小田原のどかの展覧会《ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?》 の図録でのインタビューから、次の言葉が取り上げられています。    「歴史のもしも」を考えることが「抵     抗」になりうる この展覧会を観ていないし、図録も読んでいないので、私の憶測の域を出ないのですが、「ある種の作品 にのみ不変の価値を認める美術史の制度は、政治的な負荷のかかった規範とその解釈の歴史であった」と 小田原も語っているようなので、現在定着している美術史を批判的に捉え直すことの必要性を、彼女は 訴えているようです。 確かに現在流通している美術史は、蓄積されてきたものであるにしても、ある作品の歴史的な位置づけや、 評価は、これからも更新される可能性があるものですし、それで確定したものということはないでしょう。 例を挙げれば、印象派が出てきた時には、新古典派の絵画が主流であった画壇や批評家たちによって、 散々けなされたようですし、その中で徐々に受け入れられて、今日の評価を得ている訳です。 またナチスは、政権を担当していた時、伝統的な絵画表現を評価し、前衛的な表現手法の画家やその作品 を弾圧しました。それ故、歴史のもしもは、新たな可能性を見出すことにもなるのでしょう。 その意味では、埋もれた画家の発掘、再評価の試みなどは、現在の価値観に抵抗を示す、刺激的な試みで あるのかも知れません。そのような画家の作品に出会った時の私の喜びは、評価の定まった作品に接する 時の安心感に比して、心をざわつかせるものであるに違いありません。

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