2023年6月3日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」2751では
神学、宗教学者・森本あんりの『不寛容論』から次のことばが取り上げられています。
寛容はちっとも美徳ではない
寛容とは元来、自分とは異なる信念の持ち主を「しぶしぶ認める」ことであり、相手にとって
それは己の価値を見下されることに等しい、と森本は言います。
これは難しい。人は自分の価値観を他人に押し付けないために、自らが肝要であろうとする
ものであると思います。そして私自身も、そのように自身に言い聞かせて、不寛容にならない
ように心がけて来たと感じます。
でも言われるように、寛容な態度を受ける側にとっては、確かにそれは、相手に見下された
ように受け取るかもしれません。
そこで森本は、自分は存外不寛容な人間だと認めるほうが、不寛容は認めないとするより、
人々が共存できる場は僅かに広がる、と回答します。
これは広がりを持つ逆転の発想です。自分の弱さ、至らなさを認めることによって心に余裕が
出来て、かえって人に自然に寛容な態度で接することが出来る。
このように自らの弱点を謙虚に見つめて、他者に接することが、本当の意味での不寛容を和ら
げることになるのでしょう。
社会的に弱い立場の人々への多数派の接し方という意味でも、役に立つ態度だと思います。
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