2022年6月13日月曜日

「鷲田清一折々のことば」2351を読んで

2022年4月16日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」2351では 哲学者鶴見俊輔の『神話的時間」から、次のことばが取り上げられています。    老いることは、自分の付き合っている他人が    死ぬことなんです。他人の死を見送ることで    す。 私自身も高齢に達して、ようやくこのことが分かるようになって来た気がします。 両親の死、身近な年上の人の死、そして思いがけぬ友人の死。次第にそのような悲しみに 接する機会が増えて来ました。このような人々の死は、あたかも心身の一部分がえぐり 取られるような喪失感を伴います。上記のことばのように、大切なものを失うことは、 体力の低下にも似て、老いに通じるのかも知れません。 更に思い至るのは、直接には面識がある訳ではありませんが、テレビや映画で慣れ親しん だ芸能人やアナウンサーなどのメディア関係者、作品に親しんで来た作家や画家、そして 政治家、企業経営者と言った著名人の死です。 これらの人々の訃報は、私にとって自身の属する世界の構成物の一部が、すっぽりと抜け 落ちたような寂しさを味わわせ、共に共有して来た時代の空気が、最早過去のものになっ たような感慨を起こさせます。 身近な人々を失うこと、そして同時代を生きた影響力のある人々を亡くすことは、私たち の心を内部から、あるいは外側から、むしばんで行くのかも知れません。

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