2019年12月5日付け京都新聞夕刊の「現代のことば」では、現代アメリカ文学専攻
の同志社大学教授・藤井光が、「2019年ノーベル文学賞の余波」と題して、オースト
リアの作家ペーター・ハントケの受賞が、各方面からの批判を呼んでいることについ
て、語っています。
その批判は、ハントケがかつて、旧ユーゴスラビアの内戦におけるセルビアが関係
した大量虐殺を、擁護する論陣を張ったことに対するもので、この選考結果によって
選考委員の1人が抗議のために辞任、授賞式当日も、アルバニア、ボスニア・ヘル
ツェゴビナ、クロアチア、コソボ、北マケドニア、トルコの関係国の大使が欠席した
そうです。
私は先日、朝日新聞で池澤夏樹の「終わりと始まり」というコラムを読んで、ハントケ
がユーゴスラビア内戦における欧米大国の干渉に、1人敢然と異議を申し立てたと
いう印象を受けました。しかし実際にはその内戦の実情を知っていた訳ではなく、
関係国のこの反応から見ても状況は想像以上に複雑で、限られた情報だけで、物事
を判断することの危うさを、改めて感じました。
しかし同時に、立場が変わればものの見方も変わるという意味において、関係国の
この反応が全ての真実を物語っているという確証はなく、やはりこの内戦に対しても
今後は利害関係を越えて、更に冷静で客観的な検証が必要であると、感じました。
もう一点、藤井はこのコラムで、SNSやメディアの発達によって、文学者が創作以外
の発信の場を持つことが容易になり、その結果作品だけではなく、本人がどのような
価値観を持っているかということが、支持を集めるための評価基準となり易く、出版社
や書店は、本人の価値観を前面に出した文学作品の売り込みも可能になった、と
述べています。
そういう傾向は逆に、作品をベースにした本来の多義的な文学理解の可能性を狭め、
価値観の違いによって作家を色分けし、作家間の分断を生み出し易いことにもなる
ので、結果として文学の多様性を損なう恐れがあります。
今回のノーベル文学賞を巡る騒動も、そのような側面があるようにも感じられますし、
またSNSやメディアの発達そのものが、人々の心を一つにする働きを持つと同時に、
分断を煽る働きをも持つことを、現代に生きる私たちは、改めて肝に銘じなければ
ならない、と感じました。
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