2017年11月15日付け朝日新聞朝刊、「後藤正文の朝からロック」では
「頭にも効く?「白湯健康法」」と題して、人が往々に陥り易い、人生の中で成長と
老化を分化する考え方に疑問を呈しています。
「白湯健康法」の効能はともかく、私たちがともすれば、人生の場面場面で、成長と
老化を別個の価値基準で考え勝ちであるという主張には、はっとさせられました。
若い時分には、自分の心身に成長の余地があるなどとはとても思えなくて、現状が
変わらないことへの苛立ち、焦燥感に常に苦しめられて、急き立てられるように
日々が過ぎて行ったものですが、私自身60歳を越したこの時点で、成長と老化の
分化というと、無論老化に重きが置かれます。
肉体的にも人生はこれから下り坂、要は如何に老化を遅らせて余命を息災に
過ごせるか?健康についての関心事は、どうしてもそちらに傾きます。
勿論それは重要なことで、健康な状態を長続きさせることは、以降の人生を
有意義なものとする確率を高めます。
しかし他方健康ということだけに絶対的な価値観を置くと、老化は目の敵になり、
自身の心身にその兆候を見つけることは、悲嘆につながります。
さらには、今現在はある程度の健康を維持していても、これからの人生を老化の
一途と規定すると、先に見えて来るのは絶望だけということにも、なりかねません。
でもこれから待ち受ける人生の道のりで、肉体は衰えて行っても、経験や知識が
蓄積されることによって、私たちの思考や感受性は、まだまだ成長して行く余地が
あると考えたら、どうでしょうか?
人生にはまだまだ希望があり、楽しみがある。楽観的かもしれないけれど、そう
考えて日々を過ごせたらと、改めて思いました。
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