2017年11月2日木曜日

大丸ミュージアム京都「追悼水木しげる ゲゲゲの人生展」を観て

水木しげるといえばすぐに「ゲゲゲの鬼太郎」が思い浮かぶ、日本の妖怪漫画家の
代表的な存在ですが、漫画のみならずその波乱の人生は、「のんのんばあとオレ」
などの自伝的エッセイや布枝夫人の著書を原作とする、NHKの連続テレビ小説
「ゲゲゲの女房」などで広く知られています。

そして私は彼の漫画作品に親しむばかりではなく、彼の生き方にも、その作品から
滲み出る思想と、ぶれぬ一貫した精神のようなものがあるのを感じ、常々好ましく
思って来ました。それゆえ本展にも、水木の創作活動の原点を知りたいと思い、
会場に足を運びました。

第一章境港の天才少年画家では、学校の図画以外の成績は芳しくない腕白少年、
同時に色々なものに対して好奇心旺盛で蒐集癖があり、近所の「のんのんばあ」
から妖怪の話などを聴いて目に見えない世界に興味を持つ、というところは
自伝エッセイ通りですが、その頃彼が描いた絵を実際に観ると、なるほど年齢に
そぐわぬ力強さと上手さで、おまけに大正時代の地方の少年の絵にしてはモダン
で、大層研究熱心と感じられました。彼には漫画の描き手としての確かな素養が
あったのです。

第二章地獄と天国を見た水木二等兵では、この時の片腕を失う過酷な戦争体験
や、戦場で生死の境を彷徨する兵士の姿とは対照的な、現地の人々の穏やかな
日常を同時に垣間見たことが、以降の彼の生き方を決定づけたことを、戦争漫画
や絵画作品を通して示しています。ここで特徴的なのは、彼が漫画において極力
戦闘体験を美化せぬ姿勢を保ち、また戦争の悲惨さを描き出すにしても、過度に
感情的にならず客観性を保持しようとしていることで、そこに水木の漫画家として
の矜持を見る思いがします。

第三章貧乏神との闘いでは、ようやく復員しても絵描きとしての生活の目途は
立たず、紙芝居作家、貸本漫画家と職を移しながら糊口をしのぐ時期を現します。
この頃の作品にはきわ物呼ばわりを恐れぬ一途さがあり、次章福の神来たる!!
の大ヒット期と合わせて、彼の人生観を揺るぎないものにすることになったので
しょう。その後の水木が50歳を過ぎた頃から意識して仕事の量を減らし、好きな
妖怪研究に没頭したこと、家族との時間を大切にしたことは、彼の人生観の
確かさ、正しさを示しているのでしょう。

彼が長年に渡り蒐集した妖怪像、精霊像のコレクションが一面に並べられた
スペースは壮観で、水木が晩年まで幸福な表現者であったことを示しています。
しかしそこに至るまでの彼の切磋琢磨は、並大抵のものではなかったであろうと、
改めて感じました。

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