2016年12月22日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「吾輩は猫である」連載164には
泥棒を連れた刑事への苦沙弥のとんちんかんな対応を批判する迷亭に対して、
あくまで自説を抗弁する先生に、とうとう迷亭が匙を投げる様子を記する、次の
文章があります。
「迷亭も是において到底済度すべからざる男と断念したものと見えて、例に似ず
黙ってしまった。主人は久しぶりで迷亭を凹ましたと思って大得意である。」
やれやれ、救いがたい滑稽さを露呈する苦沙弥先生です。でもどんなに強情でも
憎めないところが、彼の人徳のなせるわざだと言えるでしょう。
私の実人生に照らし合わせてみると、世の中というものは、例え正しいと信じた
ことでも強引に押し通すと、得てして相手との関係に齟齬を来すものであると
感じます。この苦沙弥の行状についても、ただ笑い飛ばすだけではなく、自らの
戒めとすべきかもしれません。
この小説では、苦沙弥が頑固で融通うが利かないけれども、単純で正直者で
あるのに対して、親友の迷亭がいい加減で嘘つきであるにもかかわらず、
物事を客観的に見ることが出来る柔軟さを持ち合わせているというように、
二人の性格が対照的に戯画化されています。そのために互いの言動やものの
考え方が、より強調されて読者に伝わるのではないでしょうか?
いずれにしても二人のキャラクターは、それぞれ違う形で作者のそれを反映する
ものでしょうから、漱石は自分の性格を分離して描くことによって、自身で楽しんで
いるのかもしれません。
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