「蒲団」は、余りにも有名な明治期自然主義文学の傑作といわれる小説です。
私自身その名は折に触れて、色々な文学史上の言説の中で目にして来ました。
例えば、つい先日読んだ鶴見俊輔と関川夏央の対談本「日本人は何を捨てて
きたのか」の中でも、著者花袋の生真面目さという観点から、その名が挙がって
いました。
そんなこんなで、私は長年の間に妄想を膨らませ、「蒲団」はつつましやかな
明治時代の家庭を扱った家族小説と、勝手に決め込んでいました。ところが
いざ読んでみると、妻子ある作家がうら若き美貌の女弟子に抱くよこしまな
恋情を赤裸々に描く小説で、まず衝撃を受けました。百見は一読に如かず、
といったところでしょうか?
さて実際に「蒲団」を読み終えて、さすがに脱稿後百年以上を隔てても、強い
熱量で読者を惹きつけて止まない名作だと感じました。しかし創作当時と著しく
社会通念や価値観が異なる現代社会に生きる読者が、この小説の魅力に
ついて改めて考える時、作品が出来上がったその時代における価値と、現在
にも通じる言わば普遍的な価値とでもいうようなものを並行して考えることも、
意味があるように感じられます。
従ってそのような観点から論を進めて行くと、作品発表当時のセンセーションは、
私にはあくまで推測の域を出ませんが、西洋的なものの考え方や、倫理観が
流入して来てもまだ、江戸時代の儒教的な倫理観が色濃く残っていたこの
時代に、一家の家長である著者の分身としての主人公が、小説家という社会的
地位もあるにも拘わらず、自身の痴情を赤裸に描く。しかも当の女弟子やその
父親、自らの妻には外面君子のような態度を装いながら、その実内面的には
自分勝手な欲情に翻弄される様子を微に入り細を穿って描写する。この小説
執筆への向き合い方や覚悟は並大抵のものではなく、それ故我が国の文学の
既成概念を揺るがすほど、革新的であったのでしょう。
他方、明治期のような貞操を巡る性道徳や倫理観は随分希薄になり、個人の
自由が尊重される現代社会においても、他者を傷つけない道徳律や
プライバシーの保護という観点からかえって、外面的な品行の正しさが求め
られる社会環境にあって、人間というものが往々に利己的な感情に揺り動か
され、思い悩む頼りない存在であることを、繕うことなく明らかにしている点に
おいて、深く人の心を掘り下げた優れた小説であると感じました。
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