2024年11月27日水曜日

京谷秀夫著「1961年冬」を読んで

雑誌『中央公論』の1960年12月号に掲載された、当時の天皇一家の殺害描写を含む深沢一郎の小説『風流夢譚』を 巡り、右翼青年の襲撃によって、中央公論社社長夫人が重傷を負い、家事手伝いの女性が命を落とした、いわゆる 「風流夢譚事件」の経緯を、当時掲載雑誌の副編集長の一人であった著者が回顧し、記述した本です。 60年以上も前の事件の詳細を、今更辿る意味があるのかと考える人もいるかも知れませんが、昨年も私の暮らす 京都で、天皇の肖像を燃焼させる表現を含むアート作品や、朝鮮人慰安婦像が展示された、「表現の不自由展」が 開催された時に、右翼団体が大量の街宣車を繰り出し、激しい抗議活動を行い、一時会場周辺が騒然とした出来事 を思い起こしても、決してこの事件は現代とは無縁とは考えられないと思われます。 さて、この事件の発端となった小説『風流夢譚』は、事件もあって書籍として刊行されていないので、私は読んで いません。従って、内容は想像するしかありませんが、本書に記述された断片から推測されるところでは、夢物語 として天皇一家の殺害が、戯画的に表現されているといいます。 事件の一連の騒動を読み進めながら、私がまず感じたのは、ここには象徴としての天皇を一般個人とどう区別する かという憲法解釈の問題があるかも知れませんが、どうして同時代を生きる実在の人物を殺害する描写を含む小説 を、大衆の目に触れる一般雑誌に掲載したかということです。 これは「表現の不自由展」の天皇に批判的な表現にも共通することですが、私はまず、個人の尊厳を守る前提が あってこその表現の自由であると考えます。無論「風流夢譚事件」の頃は、左翼思想が民衆の共感を呼び、前年に は日米安保闘争が学生のみならず、大衆的な広がりを見せた時でした。この小説の『中央公論』掲載も、そのよう な背景を持ったことは考慮すべきでしょう。しかしこの行為が、抑圧的な勢力に言論弾圧の口実を与えたことも、 忘れてはならないと思います。 このような悲惨な事件から60年が経過してもなお、天皇を巡る表現には微妙な空気が付きまといます。これは天皇 の憲法上の立場が、戦後国家元首から象徴に変容しても、一定の日本人の心には、宗教的崇敬の対象としての天皇 像が残っているからでしょう。一人一人の個人の心情は尊重しつつも、天皇制についてタブーなく語り合える社会 の空気を醸成することが、この国の民主主義の深化につながると思われます。

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