2024年4月3日水曜日

平野啓一郎著「ある男」を読んで

不幸な出来事のため離婚し、故郷に帰った女性が、再婚して幸せな家庭を築きますが、夫が事故で急死して 彼の親族に確認すると、全くの別人であることが判明します。一体その男は、どこの誰であるのか?この ショッキングな事件から始まる物語は、取り残された妻が亡き夫の素性調査を、弁護士に依頼することに よって展開して行きます。 まず心に残るのは、難病の次男の治療方針を巡り前夫と対立し、その子供の死後離婚し、長男を連れて故郷 に帰ったくだんの女性が、老舗温泉旅館の次男として生まれながら、父親への骨髄移植を巡り家族と対立し、 縁を切って家を飛び出した自称{谷口大祐」と出会い、結婚する場面です。 最近の医学の目覚ましい進歩の中で、重症の治療の選択肢は格段に増えながら、それでも結局は救えない命 がある、という厳然たる事実が突きつけられます。生死を分かつ紙一重の差の理不尽!その悲哀を存分に味 わった二人の人間が、人間不信に固く心を閉ざした状態から手探りで互いの真心を見出し、心を通わせる 様子に、読んでいて心が高鳴りました。それだけに、亡き夫が本物の「谷口大祐」ではなかったことが明ら かになった時、心がざわめきました。 他方この不幸な妻が、前回の離婚調停に続いて夫の捜索を依頼した弁護士もまた、自らの出自が在日朝鮮人 であるという負い目を持ち、日本人である妻との関係に軋轢を抱えています。そして自らのこの負の感情が、 彼が余り報酬を期待出来ないにも関わらず、不幸なこの事件の依頼人の望みを叶えるべく奔走する、原動力 になっているように感じられます。 この弁護士の苦悩に寄り添う予備知識や経験を、私は持ち合わせていませんが、本書の中で懸命に真実を 探求する彼の姿を通して、人間の生い立ちとその彼の人生の関係、ある一人の人物がその名前を背負って生 きることの意味、過去、現在そして未来と、他者を愛することの関係などについて、大いに考えさせられま した。 また著者は、日本における死刑制度廃止を広く世間に訴えかける作家でもあり、本書は被害者家族は言うに 及ばず、加害者家族のケアの必要性をも暗に示しているように感じられました。

0 件のコメント:

コメントを投稿