2016年9月30日金曜日

本田靖春著「誘拐」ちくま文庫を読んで

「吉展ちゃん誘拐事件」は、私の子供の頃の記憶の中にも、一つの暗い陰として
残っています。もっとも当時は、私自身が誘拐の対象となる可能性のある少年と
して、世間に対して大きな不安と警戒心を抱いたというのが、その心情の全てで
あったと思われるのですが・・・。

さてこの時から50年以上の歳月が過ぎ、本書で改めて事件の全容を概観して
みると、単なる善悪を超えた深い悲しみが私の心に迫って来るのを感じます。

犯人の小原保は東北の寒村に生を受け、厳しい自然条件の中、子沢山の
貧困家庭で育つうちに、栄養、衛生の行き届かない生活環境から、足に障がいを
残す状態で成長します。

生きるために時計の修理技術を身に付け都会に出ますが、遊びを覚え自堕落な
生活に陥って行きます。借金まみれの彼が愛人を得て、起死回生を狙って企てた
のがこの事件だったのです。

本書の執筆された当時、小原はすでに処刑されてこの世にはなく、著者は関係者
へのインタビュー、残された記録から丹念にこの事件を掘り起こして行きますが、
書中に浮かぶ小原は、障がいを抱えながら社会の底辺を生きるしたたかな男、
肉親や愛する相手には、時として細やかな愛情を示す優しい男、誘拐犯人の
冷酷さ、卑劣さ、事件への嫌疑で刑事から執拗な尋問を受けながらなお、口を
割らない強情さなど、様々な顔を見せます。

しかし誘拐でまとまった金を手にして後の有頂天から、一気に彼の生活が崩れて
行く有り様、また自供後の素直な服役態度や、短歌を作りながら静かに刑の
執行を待つ姿勢にこそ、彼の本来持つ美質が現れているように感じられました。

東京オリンピックを翌年に控え、高度成長期の喧騒に沸く日本社会の中に、なお
生まれながらの貧困にどうしようもなく縛り付けられる人々が、少なからず存在
したということ。一人の人間が、生まれた環境によって生活向上の可能性を
極端に狭められ、性格をゆがめられる理不尽を思いました。

小原は決して特別に凶悪な人間ではなく、私たちの誰もが、置かれた生活条件や
環境によっては、彼になり替わる恐れがある。あるいは、被害者の吉展ちゃんや
この子の親族の立場に置かれる危険性がある。

バブルの崩壊、リーマンショックを経て、私たちの社会で再び貧富の格差の拡大が
言われるようになった今日においても、本書は多くの国民にとって社会的幸福とは
何かを考えさせてくれる問題提起の書となりうると、感じました。

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