2016年9月23日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」527では
ある戯れ言葉から、次のことばが取り上げられています。
たかが服、されど服
私は仕事柄最低限の清潔感は保つようにしていますが、もともとものぐさ者で、
服装にはあまり頓着しない方です。
しかし儀式に出るために礼装をする時や、晴れがましい場に行かなければ
ならないので着替えをする時などには、その服装をすることによって身が
引きしまったり、これから立つ場への心の準備が出来ることがあります。
また参加した催しが予想に反して改まったもので、自分が着て行った服装が
場にそぐわないと感じられた時、何か臆するような、不安な心持になって、
その催しを十分に楽しめなかったり、いつもより消極的な言動しか出来ない
こともありました。
それほど服装というものは、日頃は気付かないけれども、場面によっては
私にとっても、心のありように一定の影響を与えるものだと感じます。
あるいは有名、無名の人も含めて、その人のファッション、着こなしが、その
人物の人と成りや、魅力をうまく引き出していて、思わず感心することも
あります。
更には、時折美術館で開催される有名なファッションデザイナーの回顧展を
観ると、彼らの時代を切り開いた先進性や独創性に、ファッションの奥深さを
感じさせられることもあります。
身体の一部のようでいて、それをまとう者に有形、無形の影響を及ぼすもの、
和装も含め衣装とはそういうものなのでしょう。
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