2026年1月29日木曜日
「鷲田清一折々のことば」3449を読んで
2025年7月24日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」3449では
19世紀ドイツの哲学者ショーペンハウアーの『自殺について 他四編』から、次の言葉が取り上げ
られています。
人生とは通例、一連の叶わなかった希
望、仕損じられた計画、気づくのが遅す
ぎた誤り以外の何ものでもなく・・・
何と適確な定義でしょう。まず私はそう感じて、膝を打つ思いでした。私たちは、何かで満たされた
時、何かを成し遂げた時、直ぐにそれでは次には何を求めるかと考えてしまう生き物です。
そうして人類は発展し、文明を築き、現在に至っているに違いありません。人間の現状には満足しな
い向上心、貪欲さ、それら諸々の欲望が、地球を席巻する現代文明を生み出したのでしょう。
地球上に生息する他の生き物は、本能的に自らの種の繁栄を求めているとしても、それはあくまでも
自然の摂理の範疇においてであり、自然環境を越えて自らの勢力圏を拡大することまで指向している
訳ではありません。
ところが人間の欲望は、遂には地球環境の許容量を越えて、宇宙へと拡張して行こうとしています。
人類の発展は、このような人間の特性に預かるものであったとしても、事ここに至ると、自らを滅ぼ
し兼ねないとも思われます。
そして人類全体の運命だけではなく、それぞれの人間の人生も、矢張り性とも言える現状に満足出来
ない欲求や、不安、猜疑心に振り回される質のものなのでしょう。ただ、個々の人間は、その際限
ないストレスのサイクルから逸脱することが可能かも知れません。
向上心は失わなくても現状に満足し、足るを知るという心安らかな心境で生きていくことが出来れば
・・・。私が叶えたい生き方です。
2026年1月20日火曜日
澁澤龍彦著「幻想の画廊から」を読んで
恐らく、このようなジャンルの絵画について語るのに打って付けの著者による、幻想絵画を巡る美術評論
です。
私は西洋美術の歴史の中で、ややもすると日陰の存在とも思われる、このような絵画にも惹かれるところ
があるのですが、本書を読んで一番の気づきは、このジャンルの絵画が正統な絵画の伝統の影響をはっき
りと、引き継いでいることを知ったことです。
例えば、西洋絵画における初期の静物画が、単に動かないものを写実的に描写するのではなく、宗教的な
意味での存在そのものの神秘や、命を授かったものはやがて死を迎えるという儚さを表現しようとして描
かれたものであり、多くの幻想絵画における画面の静謐さは、そのような伝統を継承するものであるとい
うことです。
従って、近代において注目度を増した幻想絵画のジャンルは、新しいようで根源的な人間の精神構造に、
創作のルーツを求められるものであり、社会的発展による着想や表現技術の多様化が、一気にこの種の
絵画の流行をもたらしたのでしょう。そう考えると益々、幻想絵画への興味が膨らむことになります。
本書で澁澤が取り上げた幻想の芸術家たちから、特に私が興味を惹かれた数人について記すると、時間が
止まった廃墟のような町を闊歩する色白で豊満、豊かな陰毛を蓄えた全裸の女性たちを描く、画家デルヴ
ォーにとって彼女らは性的渇望の象徴であるといいます。しかしこの画家は、敢えて扇情的な女性を描く
のではなく、内に秘めた欲望の対象としての女性を美しい空間の中に描写することによって、鑑賞者の
想像力をかき立てるのです。
他方ヴァルチュスは、デルヴォーと同じような静寂の世界を描きますが、その登場人物はそれぞれの追憶
の世界に取り憑かれているようです。特に彼の好んで描く不自然な姿勢の少女たちは、その頃の少女のみ
が持つ切なさやエロティシズムを体現しているようで、鑑賞者の心をざわつかせます。
リルケの「マルテの手記」にも取り上げられている、パリのクリュニー美術館の「貴婦人と一角獣」は、
中世のタピストリーの名品ですが、粗暴で手の付けられない存在でありながら処女には従順なこの獣は、
神秘的で魅力的な存在として、冷たいエロティシズムを湛えた情念の女を描いたモローも、格好の題材と
してこの獣を美女に添えています。
2026年1月14日水曜日
2026年1月度「町つくり委員会」開催
1月13日に、第1回の「龍池町つくり委員会」が開催されました。
まず、京都国際マンガミュージアム1F AVホールで3月14日(土)に開催される、京都市交響楽団の70周年
を記念する、京響メンバーによるアンサンブルコンサート「京の音楽会」を、龍池自治連合会と併せて、
町つくり委員会も応援、協力することの賛否について協議し、賛成ということに決定しました。
これは一般の来場者はコンサートは無料ですが、ミュージアムの入館料が必要なのに対して、龍池学区民
には参加を促すという意味で、ミュージアム側の配慮で、この日は特別に免除するという企画で、当委員
会委員は来場の学区民の識別を担うことになりました。さらに龍池文化協議会にも協力をお願いすること
になりました。
次に、6月に祇園祭関連行事として企画している、役行者山での学区民対象の勉強会については、寺井委員
が制作された告知チラシの原案を持参され、それを元に6月27日を候補日として、南先生に役行者山の世話
役である林さんと、話を詰めて頂くことになりました。
龍池町つくり委員会委員と大原町つくり委員会委員の方の顔合わせについては、3月7日午後5時に我々が
大原の文化会館を訪問して、交流することに決定し、龍池からは私、寺井委員、長谷川委員が参加すること
になりました。この訪問を通して、これからの交流方法を決定したいと考えています。
次回の2月10日の第2回「町つくり委員会」は、メンバーの交歓を兼ねて、近辺の飲食店で開催することに
決定し、寺井委員に場所を設定して頂くことになりました。昨年「龍池町つくり委員会」が新体制になって
から、まだメンバーで飲食を伴う集まりを持ったことがないので、一度互いを知り、結束を固めるためにも
このような懇親会を行った方が良いということになった次第です。南先生グループの学生の方には、会費の
内一部を補助するということに決定しました。
2026年1月8日木曜日
加賀乙彦著「岐路 下巻」を読んで
正直下巻は、私にとっては期待に違うものでした。上巻は2.26事件の勃発で終わり、この国の激動の時代
の中で、時田病院の院長一族にどのような運命が待ち受けているかということが私の興味の中心でしたが、
下巻では上巻ほどに彼らの運命は、政治や社会問題の直接的な影響を受けること無く、内向きの生活が描か
れることに終始し、しかも物語は、上述の事件後短い期間で終わりを迎えたからです。
つまり下巻は、利平の妻菊江の死去によって、繁栄を遂げた時田病院が衰退の兆しを見せるところで終わっ
ています。あれほど万能に見えた時田利平も、自らの体力の衰えと共に勢いに陰りを見せ始め、病院運営か
ら私生活まで全般を支えていた菊江の死によって、独善的な姿を顕著にし始めます。菊江の今際の際の懇願
にも関わらず、また子供たちの反発も押し切って、妾のいとを後妻に迎え、病院の放漫経営には拍車がかか
り、医師、看護婦など職員の結束も緩んでいくように感じられます。
そのような状況の中で、初江は不倫の子である可能性もある第四子を出産することを通して不倫の解消を
決意し、夏江は菊江の遺志を汲んで、意に沿わぬ利平の腹心の医師と結婚し、母に代わる事務長として病院
経営と父の素行の矛盾を一手に引き受け、力尽きて、離婚と病院を去ることを決意します。
物語はここまでしか語られず、読者はその後の日本の破局という歴史的事実を知っていますが、この病院や
人々にどんな運命が待ち受けているかは分かりません。ただ予測出来ることは、一時の繁栄の後の空しさだ
けです。
下巻で唯一当時の時事情勢を知らせてくれるのは、冒頭の敬助の目を通した2.26事件収束の顛末です。
果たしてこれが史実通りであるかは分かりませんが、綱紀粛正を唱えた一部血気盛んな若手陸軍将校が、
当時の内閣の主要閣僚を殺害し、その行動を一時は支持するかに見えた陸軍の大勢は、次第に彼らを罰するこ
とによって事態の沈静化を図り、結果として彼らの意に沿わぬ形で、当時の陸軍中枢が政治的発言力を増し、
戦争への坂道を転げ落ちて行くのです。
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