一見地味な題材を扱うこの本が、なぜこんなに良く売れているのか不思議に感じ
ます。
考えてみれば、”応仁の乱より後が今日に通じる話”という言い方も京都には
有るくらいで、私なども、「応仁の乱」という言葉は知っていますが、実際にそれが
どんな歴史上の事件であったのかは漠として分からないので、きっとこの本を購入
する人々には、それが一体どのようなものであったかを知りたいという、私と同じ
ような知識欲が有るからに違いないでしょう。
さて本書を読み進めて行くと、応仁の乱が大名畠山氏の跡目争いを巡り、
既存勢力側の有力大名細川勝元を中心とする東軍と、新興勢力側の有力大名
山名宗全を中心とする西軍に分かれて戦い、長い戦乱の末、とりあえず東軍の
勝利に帰したということが見えて来ますが、その過程はかなり入り組んでいて、
一方の味方が他方に寝返り、果ては将軍家の跡目争いにまで発展して、おまけに
勝者敗者のはっきりとした立場上の優劣が付かぬ形で終結するという、はなはだ
中途半端な戦です。
これではなるほど、生半可では実態を把握出来ないことが理解されます。
本書では、争いの中心の都から適度な距離を置き、しかし戦乱の波及や荘園
経営上の影響などから、切実な利害関係を有する奈良興福寺の僧経覚と尋尊の
日記「経覚私要鈔」と「大乗院寺社雑事記」を中心の史料として、この複雑な
成り行きを読み解いています。その結果読者も、ある程度の臨場感を持って経過を
追うことが出来るように感じられました。
それにも係わらず、応仁の乱の終結時点では、何か消化不良の感を免れ得なかった
のですが、ことがこの本の終盤の明和の政変に至り、一気に複雑に絡んだ因果の
糸が解きほぐされるようなカタルシスを感じました。
これは応仁の乱の終結から十数年の時を経て、微妙な状態に棚上げされていた
ものが時の重みに耐えかねて、雪崩落ちたような事件で、歴史というものが時として
人の感情の集合体によって動かされるものであることを、改めて感じさせられました。
この本を読むと戦争や紛争は、たとえ当事者の一人一人は争いが早期に終結する
ことを望んでいるとしても、いったん実際の戦いが始まってしまうと、様々な要因が
絡んで、往々にして容易に終わらせることが出来ない性質を有するものであることが
見えて来ます。この真理は、今日においても不変であるでしょう。
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