2015年12月22日火曜日

田中康弘著「山怪 山人が語る不思議な話」を読んで

私たちはどうして今、伝承に基づく不思議な話、怪しい話に惹きつけられる
のでしょうか?

それは、今日の合理的価値観が支配する日常生活においては忘れ去られ、
一顧だにされないものです。しかしかつては人々は、これらの怪しげな
出来事を当然のことと感じ、それらの不思議を受容しながら生活して来ました。
それゆえ、これらの伝承は残ったのでしょう。

ではどうして、それらの伝承は生まれたのか?根本には、この世の事象の
すべてに人間の理解が及ぶ訳ではないという考え方が、広く人々に共有
されていたことが挙げられると思います。

そのような大前提があるだけに、人は簡単には説明のつかない自然の脅威、
因縁にまつわること、倫理観に基づくことなどを、このような伝承に仮託して
受け継いで来たのでしょう。そしてそれらの語る事柄は、人びとの心の深い
ところに留まり、知らず知らずのうちに各人の生活に影響を及ぼしていたに
違いありません。

近代化と科学技術の発達によって、私たちは次第に合理的に説明の付くもの
だけに信を置くようになり、それと同時に前述のような伝承は単なる迷信、
前近代的なものの考え方の残滓と、軽んじられるようになりました。

しかしそのような人の心の狭量化は、精神世界の奥行を狭め、殺伐とした
ものにして行ったように感じられます。つまり本来人間の生活は、目に見える
もの、合理的なものだけによって、成り立っているのではないからです。今
私たちがこのような伝承に心惹かれるのは、そんな背景があると思われます。

本書は、山人が語る不思議な話によって構成されています。山は、近代化に
よって平地の緑が急速に失われて行っても、まだ荒々しい自然が最後まで
残された場所で、狩猟など自然と直に対峙する生業を営む人々が、今なお
存在する地です。

そのような地域では、伝承の精神世界は彼らの日常生活の中に脈々と
受け継がれて来たのでしょう。つまり我々がこれらの話に魅せられるのは、
失われた自然に対する憧憬という部分もあるのでしょう。

日本のこのような性格の伝承には、狐や狸に化かされる話が多いのですが、
これらの動物が私たちにとって身近であったのはもちろん、特に狐は
稲荷信仰とも密接に関わるように、神の使いと見做されていたのか、
いずれにせよ狩猟対象にある種の禁忌や恐れがあることは、逆に健全な
ことではないかと感じました。

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