2025年7月3日木曜日

「鷲田清一折々のことば」3344を読んで

2025年2月20日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」3344では 歌人川野里子の納富信留との対話「哲学と詩歌の怪しい関係?」(川野の対話集『短歌って何?と訊いて みた』所収)から、次の言葉が取り上げられています。    共感のやり取りでは批評という言論が育    たないし、磨かれていかないですね。 つまり、今の人は他人に寄り添うようなコミュニケーションのあり方になじんでいて、下手に批判したら 相手を傷つけるんじゃないかと、過敏になっている。それでは、互いを磨き合うような言論は生まれない、 ということのようです。 これは正に正論です。あまつさえ日本人は他人に気兼ね、忖度をして、本音で相手と渡り合わず、それが 言葉のやり取りの場でも、なあなあの関係を生み出す要因になって来ました。 その上最近は、SNSの影響もあって、更に自身が批判されたり、やり玉に挙げられることを恐れて、真っ向 から本音で語り合うことが回避され勝ちであるように感じられます。 でも上述のように、そのような微温的な言葉のやり取りからは、建設的な言論活動は生まれないでしょう。 では何が肝心か?それはまず、相手との信頼関係を築くことが第一であるに違いありません。 お互いがどんな迫真的な本音の議論を戦わせても、その言辞が相手を傷つける為の物ではないという、相互 の信頼関係があるなら、心置きなく論戦を戦わすことが出来るでしょう。 そういう相手を信じる心が失われていることこそ、真の課題であるように思われます。