2025年1月8日水曜日

吉本隆明著「良寛」を読んで

名利や権力を求めず、襤褸をまとい、郷里近くの荒ら屋に隠棲しながら、時に村の子供と手鞠に興じ、托鉢 三昧の生涯を送った良寛も、気鋭の思想家吉本隆明によると、ラジカルな先鋭思想の実践者の相貌が浮かび 上がることになります。 そう言われれば、それはそうでしょう。僧侶でありつつ優れた詩歌の作り手であった彼が、自らの生き方に 思想的裏付けを求めないはずがないからです。 道元に憧れ曹洞宗に入門、『正法眼蔵』を学びながら、大忍国仙という直接の師を得ます。良寛の僧侶とし ての思想を知るには、常不軽菩薩への傾倒が重要であると、吉本は語ります。この菩薩はいつも人を軽んじ ない菩薩で、人間は誰でも菩薩あるいは仏になれる存在だから、自分は何時でも何処でも誰にでも、礼拝す ると言うのです。 従って、礼拝された者たちの方がかえって、馬鹿にするなと怒ったり、罵ったりしますが、そんな反応に一 切お構いなく、ただひたすら、どんあ相手に出会っても礼拝するといいます。また良寛は、人から揮毫を頼 まれると、『正法眼蔵』のどうしたら菩薩になれるかを示す、「菩提薩捶四摂法」の条を書きましたが、そ の中でも彼は特に、「愛語」の文章を好んだといいます。 そしてこの「愛語」というのは、普段乱暴な言葉や憎む言葉を吐かないということだそうです。つまり愛す るとか、慈悲の心を持つとか、そういう言葉だけを口にして、憎しみとか人を傷つける言葉は使いません。 彼はこの戒めを徹底して、厳しく自らを律していたといいます。 余談になりますが、私自身個人的にも若い頃、自分の言葉が人を傷つけないかいつもびくびくしていて、そ れが元で赤面恐怖に悩まされたことがあります。従って、この良寛の気質に共感を覚えるところがありまし た。 このような彼の僧侶としての心のあり方は、国仙師亡き後、良寛を寺の後継者争いから排除し、郷里に帰り 自覚的に托鉢を用いた、隠遁生活を送らせることになります。 しかし彼の残した詩歌には、諦観を越えた自在の境地、清貧の中に風物を味わう余裕や遊び心があり、今な お私たちを魅了します。そこには、自身の立つ位置を低く保つことによって生まれた、アジア的な慈悲心が あると、私は感じました。