2025年9月10日水曜日

2025年9月度「龍池町つくり委員会」開催

9月9日に9月度の「町つくり委員会」が開催されました。 今回はまず、8月30日に開催された、「龍池夏まつり」の結果報告ということで、京都国際マンガ ミュージアムの事務長勝島様より、参加者数が約500名で前回(2023年)より約一割増えたそうで、 コロナ禍前にはまだ及ばないまでも、回復傾向が顕著であるという嬉しい発表がありました。 催しの運営上は、プログラムのメニューが結果として予定よりも多くなったにも関わらず、進行は 時間通りスムーズにこなすことが出来たということで、やはり鷹山のお囃子が参加者の体験企画も あって、場を盛り上げるのに大いに役立ったという結論になりました。 その他にも、医健のバンドの演奏の時に、音が大きいという苦情の電話があったようですが、それ は例年のことで、一時のことでもあるので、ことさら次回改善すべき事柄でもないということでし た。 子供向けのゲームコーナーでは、スタッフの人数が少なく、子供が殺到した時にはスムーズにさば けなかったという報告が、実際に担当してくれた南先生グループのメンバーの一人からあり、この 点については、次回には人数の割り当てを増やす対策を取る必要があると感じました。 飲食のコーナーは、開催時間当初は長い行列が出来ましたが、次第に混雑も収まり、以降は待ち 時間も少なく飲食物を提供出来たようです。ただし、今回は催しの終了ぎりぎりまで、飲食物を 提供していたので、受け取った食券、金銭の集計、後片付けがの終了が大変遅くなり、次回は30分 前ぐらいに提供を終わらせることが出来ないかという、提案が勝島様からありました。これも改善 事項であると思われます。 今回の委員会は、夏祭りの総括でお開きとなりました。

2025年9月4日木曜日

「鷲田清一折々のことば」3386を読んで

2025年4月23日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」3386では 写真家島尾伸三の『魚は泳ぐ』から、次の言葉が取り上げられています。    狡さを訓練できない人は、すがるも    のを必要としていますね。 ここで言う狡さ(ずるさ)は、狡猾ということではなくて、処世術における器用さ、柔軟さ、 世慣れた対処法というニュアンスを含む言葉でしょう。 だから、真っ正直や、固定観念に囚われる頑固さなどは、これと対極の性向であると思われ ます。 このような意味の狡さを備えた人は、何事にも臨機応変に取り組み、周りの人との間に軋轢 を生まずに、世を渡って行くことが出来るのでしょう。そして、そういう人が、独立心をも 持ち合わせていると言えるのでしょう。 しかし私は反面、このような処世術に長けた人は、現実にもそれほどに生きて行く上で器用 な人が少ない故に、孤独感にさいなまれることも多いのではないかと思います。 人は誰も一人では生きて行けなくて、多くの人の助けがあってこそ生きて行けると思うので、 狡さもそこそこに、少し間の抜けたところもあってこそ、人として愛される人間ではないか と考えるのですが、いかがでしょう?

2025年8月28日木曜日

「鷲田清一折々のことば」3380を読んで

2025年4月14日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」3380では 俳人正岡子規の短歌集『子規歌集』から、次の言葉が取り上げられています。    夢さめて先ず開き見る新聞の予報に晴れ    とあるをよろこぶ 正岡子規が長い闘病生活を強いられたのは周知の事実なので、その俳人がこのような歌を 残したことには、簡単ではない意味があると感じられます。 その人の心を深い心労や心痛が支配している場合、人はなかなかささやかな喜びに、心を割 くゆとりがないと推測されます。 しかし子規は、毎日の天気のような、病床にある者にとってはほんの些事についても、喜び を見出し、それをしみじみとした調子で、歌にしたのでしょう。そこには、俳人ならではの 豊かな感性と、心のゆとりを感じさせます。 現在の効率優先で、社会的な疎外感に囚われやすい世の中において、日常に追い立てられて 生活している私たちも、得てして身の回りの些細なことに、喜びや感動を見出せ難くなって いるように思われます。 そのような自分の精神状態に、改めてきづかせてくれるという意味でも、この歌には、かけ がえのない価値があると思われます。

2025年8月21日木曜日

黒川創著「京都」を読んで

第69回毎日出版文化賞受賞作です。先般新聞の書評欄で、「京都<千年の都>の歴史」と共に、京都を知る ための書として記載されていたので、合わせて読みました。約10年前の刊行で、連作小説のそれぞれの作品 が回想として書かれているので、現在からは更に遠ざかった頃のこの町の様子を描いていることになります。 また、私自身の人生の時間は、これらの連作で取り上げられている時期と重なっている部分が多くあります が、京都市中心部の中京区の辺りに暮らしてきたので、本書の舞台が主に市街周辺部ということもあって、 生活実感が微妙にずれている部分もあります。 この連作集は、今記したようなそれぞれの地域(町)の記憶と共に、経済的に恵まれた階層ではない、庶民 の生活を描いています。 以上のような要因もあって、私が本書を読んでまず感じたのは、自分の長く暮らす京都という町の記憶を共有 する懐かしさと、同じ街に住みながら、知り得なかった庶民感情に今更触れた、ある種のうずきと言っても いい戸惑いでした。 この本を読んでいて私が誘われたのは、小学生時代の追憶でした。というのは、私はその頃、父が祖父母の 営む商店である実家から離れて暮らしていた関係で、この市の繁華街を校区に持つ小学校に通っていました。 校区内には花街を初め飲食店、風俗店、パチンコ店などが軒を連ね、しかも当時は今と違って職場と住居が 一緒だったので、種々の家業の家の子供でクラスが構成されていました。 そのような事情もあって、私は小学生でありながら友達の家へ遊びに行くという名目で、通常18歳未満立ち 入り禁止の場所に出入りしていたのです。これらの家の子供は、国籍が違っていたり、大人びていたり、世間 ずれしているように感じられる場合もありました。本書の主人公たちは、私には彼らと重なるように思われる ところがあります。恵まれない運命に翻弄され、生き方を制限され、それぞれ町の名も無い一員として生きて 行くというように。 京都という都市は長い歴史があるだけに、地域の記憶も、各人の出自の因縁も、重層的に重ねられていて、 複雑に絡み合っています。それが歴史的な街の世間というものだったのでしょう。 しかし最近では、中心部でも町内の人間関係が希薄になって、町民が市外に移り、代わりにマンション、宿泊 施設が増えて、町自体も表面的に取り繕われて平板化しています。最早、本書に描かれたような濃密な庶民の 暮らしも、遠い幻と言えるかも知れません。

2025年8月13日水曜日

2025年8月度「龍池町つくり委員会」開催

8月12日に、8月の「龍池町つくり委員会」が開催されました。今回は、8月30日に行われる「龍池夏祭り」での 町つくり委員会メンバーの役割分担を決めることが主要なテーマで、実際の準備は当日午後2時頃からテント張り 等を始めるので、参加できる委員はそれに準じてマンガミュージアムに集合することになりました。 また、京都外大の南先生のグループメンバーは、当日2名が参加できるということで、それぞれの時間の都合に 合わせて、設営手伝い、ゲームコーナーの手伝い等をしてもらうことになりました。 「龍池夏祭り」の天候等による開催の可否は、晴天時はグラウンドにて実施、雨天時はAVホールとミュージアム 館内において実施、ただし、台風の直撃の可能性がある天気予報が出た場合には、当日提供する食材の準備の 都合で、8月27日までに開催できるかどうかを判断する、という取り決めが確認されました。 また、進行上話が前後しますが、今年の祇園祭における委員会メンバーの取り組みの活動報告として、まず、 役行者山の手伝いをしてくれた南先生グループからは、厄除けちまきの制作を行ったこと、そのほか山にちなむ お守り、記念品等の販売の手伝いをしたことなどの報告がありました。 私と寺井委員は、誘致を計画する鷹山の日和神楽を実際に見学して、順路を進行する様子、また、休憩所での 接待の様子をつぶさに見て、実際に誘致する場合に、どのような準備をしなければならないかを考えていく上で 大いに参考になったという話を、報告しました。 9月3日に龍池学区大原学舎で実施される、もえぎ幼稚園の野外活動には、自治連の大原学舎の担当で、当委員会 の委員でもある長谷川委員が当日立ち会ってくださいますが、南先生グループからも2名に手伝っていただく ことになりました。

2025年8月7日木曜日

「鷲田清一折々のことば」3352を読んで

2025年3月4日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」3352では 作家宮田珠巳による『宮田珠巳の楽しい建築鑑賞』から、景観デザインの研究者八馬智の次の言葉が取り 上げられています。    「見方が分からないときはスルーしてい    た風景なわけです。」 八馬は、建築において室外機の取り付けに着目する研究者で、実際に取り付けられた室外機を建築ごと 写真に撮ることによって、それまで気づかなかった新たな風景を発見することが出来ると言います。 つまり、本来目立たないように取り付けてある室外機に着目しながら写真を撮ることによって、今まで 見えなかった新たな視点を獲得することが出来ることを、「日常の絶景」に出会えたと表現するのです。 この視点は大切であると思います。私たちは日常の中で、ついつい見落としていたり、敢えて眼中に入ら ないようにして、無視していることが多々あると思います。 それで事足りることは多いのかも知れませんが、そのような態度に慣れきってしまって、見落としている ことも、往々にあると思われます。 だから敢えて通常には見ないものに視点を定めて、その角度からものを見ることは、新たな発見をもたら せてくれたり、更には新たな思考法を生み出してくれるかも知れません。 既存の価値観に囚われない、柔軟な思考を獲得するなめにも、必要なことであると思われます。

2025年7月30日水曜日

麻田雅文著「日ソ戦争」を読んで

第二次世界大戦の中の日本の関わった戦争を語る時に、歴史記述を含めて、日ソ戦争に触れる部分は、従来 極めて少なかったと思われます。それは両国の戦闘が、戦争終結の年1945年8月8日以降と極端に短期間で あり、また戦後東西冷戦が始まり、米国を中心とした西側に与した日本が、東側の中心ソ連と敵対する立場 になり、同国との外交関係が極めて希薄に推移したことが大きいのでしょう。 しかし実は、この日ソ戦は、戦後我が国のみまらず、東アジアの国際秩序に多大な影響を及ぼし、また、 ソ連の後身のロシアが北朝鮮と結託して、ウクライナへの侵略戦争を行っている現在、私たちにとっても 日ソ戦の詳細と推移を知ることは、極めて重要であると思われます。そこで開いた本書ですが、読了して私 自身、示唆されるところがかなり多いと感じられました。 まず日本の敗戦で戦争が終結する間際に、ソ連が日ソ中立条約を破棄して一方的に宣戦布告したことについ ては、戦争終結を急ぐ米国が、ソ連に強く参戦を働きかけ、実際にソ連参戦後も武器、物資を手厚く援助 したことを知りました。その点では、我々がかの国に抱いていた卑劣のイメージは、やや和らげられるかも しれませんが、開戦後は、ソ連兵による日本の傀儡国家満州国の日本人移民や、朝鮮半島、千島列島、樺太 在住の民間日本人への虐殺、暴行、強姦、強盗が横行し、日本人捕虜のシベリアへの強制連行も行われまし た。また日本が無条件降伏を宣言後も、自国領土を拡張するために侵攻を止めなかったという事実は、今日 のウクライナ戦争を想起させます。 日本軍の大陸侵略の是非はここでは置くとして、軍中枢の大本営が最後まで、ソ連による米国との仲裁の働 き掛けに望みを繋いだ見通しの悪さ、大陸駐留の関東軍が、ソ連参戦の時期を見誤った楽観主義、更には 現地在住の民間人を守れなかったことは、当時の日本軍の欠点を如実に表わしています。 またソ連が進出することによって、中国国内で共産党政府が勢力を伸ばし、中華民国政府が結果的に台湾に 追いやられることになったこと、米国、ソ連の取り決めで、朝鮮半島でのソ連軍の進行地点が38度線までと されたために、戦後南北の分断国家が生まれたこと、ソ連に不法占拠された日本の北方領土がなぜ存在する かということを、本書で改めて知ることが出来ました。