店主、日々のことども
2026年5月28日木曜日
岸政彦著「生活史の方法」を読んで
生活史調査の第一人者による、実践的な方法の指南書です。
私自身、急速に衰退しつつある私の属する和装業界の、これまで培われた文化を記録することに興味が
あるので、本書を手に取りました。
そもそも生活史とは何かということから、実際の調査の進め方、編集し、記録を本、冊子として残すまで、
懇切丁寧に記されていて、著者の生活史調査に掛ける想い、この活動を広めたいという情熱が、伝わって
来ます。また本書を読んで、著者のものをはじめとして、実際の生活史調査から編まれた本を、読んでみ
たくなりました。
そもそも今なぜ生活史が注目されているのかというところに、現代社会に問い掛けるべき大きな問題性が
あります。SNSの発達によって、巷には信憑性を疑われるものまで含め情報が溢れ、社会の意識は浮ついた
状態で、確証も無く漂っているように感じられます。何が現実であるかも定かで無い状況で、地に足の付
いた庶民の日常を丹念に記録し、分析することは大きな意義があるでしょう。そのような要請に応える
べく、生活史調査が求められているのだと推察されます。
さて本書を読んで、第四章「語りの聞き方」が一番読み応えがありました。これは矢張り語りの聞き方
こそが、生活史調査の実践の核心部分で、この巧拙が結果の是非を決定するからでしょう。聞き取りに当た
り、聞き手は如何なる態度で語り手に向き合うべきか?そもそも語り手は時間を割いて、自分の人生や体験
を語ってくれるということ自体が、大変有り難いことであり、聞き手はそのことを十分に了解して、相手に
接しなければなりません。
それ故に、語り手がリラックスして気持ちよく、あるいは胸のつかえを取り払うように語ることが出来る
ために、聞き手はどんなタイミングで相づちを打つべきか否か、話の内容に質問をすべきか否か、語り手の
一般的な発言や、差別的表現に如何に対応すべきか、聞き手は相手に自分のことを積極的に語るべきかなど
の課題が出てきます。
このような懸案に対して著者は、語り手に決して強要はしないが、語ることを促すという意味で、積極的に
受動的になること、語り手の話の内容に一方では意識を集中させながらも、他方では話が円滑に進むように、
聞き取り全体の中で今どの位置にあるか、内容の位置状況を意識する、ピントを合わせない集中を提起して
います。
2026年5月20日水曜日
「鷲田清一折々のことば」3578を読んで
2026年2月16日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」3578では
NHK・Eテレの番組「スイッチインタビュー」(2月6日放送)での俳優・市川実日子との対談から、
ピアニスト・藤田真央の次の言葉が取り上げられています。
あんなに時間にルーズなイタリア人が、
あんなにパスタのゆで時間完璧とか
これは分かります。民族によって、譲れない価値観があるということですね。
例えばイギリス人の卵のゆで時間へのこだわりとか。我々日本人も、最近は全自動の炊飯器で
お米を炊く場合が多いけれど、お米を炊く時間には随分、こだわりがあったはずです。
この場合は、美食、食べ物への執着ということだけれども、それ以外にも、行動の規範や物事
に対する価値観に、それぞれのこだわりがあるはずです。
日本人は、何かと礼儀正しく、きちきちとしていて、その価値観から見ると、イタリア人は時間
観念がルーズであるように思われるかも知れないけれど、彼らにとって大切な事においては、
厳格で、研ぎ澄まされた感覚を持っているに違いありません。
そういう意味でも、見聞や体験を広め、柔軟な価値観を持つことが必要であると、思われます。
2026年5月13日水曜日
田淵安一著「西の眼東の眼」を読んで
田淵安一は、私は知りませんでしたが、戦後早い時期にフランスで評価を受け、活躍した抽象画家だ
そうです。従って、何の予備知識もなく本書を手に取ったのですが、この本の構成としてはⅠ「毎日
が今日」が、彼の生い立ちからフランス留学、画家としての地位を確立するまでの、時系列を後先に
させながら回想する随筆、Ⅱ「視る・考える」は、彼がフランス滞在の中で出会った、歴史的建造物
美術、遺物を巡る考察を記した文章をまとめたものとなっています。
彼の絵画作品も事前には知らないで読み進めたので、手探りの読書といったような覚束ない側面も
ありましたが、彼の先輩に当たるフランス滞在の日本人画家藤田嗣治や、同時代の岡本太郎について
は、作品にも親しんでいるので、彼らが共に活躍した戦後直ぐの時期のフランスの世相、美術関係者
の様子が知れて、興味深かかったです。
彼のフランスでの活動以前では、個性的な父母との関係や、早熟な成長環境も、芸術家の揺籃期の
エピソードとして気を引かれましたが、特に出国から船旅の記述に興味を持ちました。まだ連合国に
よる占領期で、出国許可を受けるのも容易ではなく、いざ船に乗り込んでも、船倉と大差ない四等
客室です。しかも、途中で船が停泊するアジアの国々は、反日感情が強く、船外に出て息抜きをする
ことも出来ません。敗戦後直ぐの日本人の寄る辺無さ、それでも敢えて海外に出ようとする田淵の
覚悟の程が感じられて、読む者も勇気づけられる気がしました。
また彼は抽象画家ですが、対象をまず感覚で捉えるのではなく、思索的な画家であることが、本書を
読んでいて推察されました。例えば、Ⅰの中の6「仕事の文化」では、フランスの町の石造りの文化
と、日本の町の木造の文化を比較して、造りの相違故のそこに暮らす人々の仕草の違い、そこから生
まれた条件、美意識の相違故の絵の具、画材の違いについて論じています。
この建材や建築様式、遺物など、物を起点とした西洋文化の成り立ちの考察、そこから敷衍した東洋
文化との差違、共通点に思いを巡らせる態度は確かに思索的で、Ⅱを読むと、彼の絵画制作の基底を
なす、思想を垣間見る思いがしました。
2026年5月7日木曜日
有本利夫著「もうひとつの空ー日記と素描-」を読んで
有本は個性溢れる画風を確立した洋画家で、私の好きな画家の一人です。しかし将来を嘱望されながら、
わずか38歳で夭折し、その画業は現在では既に、伝説と化しつつあります。
その作風はイタリアのフレスコ画の影響が顕著で、古色をまとい、時が止まったようでありながら、画面
の奥から音楽が流れてくるように軽やか、懐かしさとユーモア、そして詩情を感じさせるものです。
若くして亡くなったために、私の抱くイメージとしては、作風とも相まって、無垢で神に好まれる存在と
いう認識がありました。
本書は副題にもあるように、日記の抜粋と素描、発表した文章の断片をまとめたものです。レイアウトも
素晴らしく、詩画集の趣があります。
本書を読み終えてまず感じたのは、有本が次々と浮かぶイメージを、作品に描き込んでゆくひらめきの
画家ではなく、日々のたゆまぬ研鑽と葛藤の中から、絞り出すようにして作品を生み出す、努力の人で
あるということです。日記の中で彼は自らの怠惰を常々戒め、叱咤しながら画面に向き合っています。
他方彼には、先人の画家たちから学び、導き出した確固とした美意識があり、制作においては一切の妥協
を廃して、高みを目指していました。
もう一つ彼の作風と切り離せないのは、作品に宿る宗教性です。これは彼の絵画が、ピエロ・デラ・フラ
ンチェスカの影響を受けていることから、キリスト教的とも思われがちですが、単に特定の宗教を越えて、
もっと普遍的な宗教性に根ざすものであうると、推測されます。
この点は本書の中に、「普遍性ないし通俗性」という表題で掲載されている文章が、分かりやすく彼が
自らの絵に込めようとした精神を解説していると、思われます。つまり、最近(1960年代から70年代、しか
し現代にも十分に通じます。)の美術は、承認欲求あるいは難解さに傾倒して閉鎖的になって、風俗や流行
への安易な対応が目立つ。このような状況下において、古典美術を改めて眺めてみると、時代も、風俗も、
宗派を超えた普遍性、個人的ではなく、「人類は」「人類なら」といった、広い意味での通俗性が感じられ
て、何とも言えない心地よさ、安心感を与えられる。自分はそのような絵画表現を目指したい、という主旨
です。
彼の絵画制作の秘密の一端を明らかにしてくれる、好著です。
2026年4月30日木曜日
「鷲田清一折々のことば」3543を読んで
2025年12月17日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」3543では
自ら幼くして視力、聴力を失いながら、その障害を克服して、障害者の権利の向上の為に奮闘した、
作家で政治活動家、ヘレン・ケラーの『もしも3日間だけ目が見えたなら』から、次の言葉が取り
上げられています。
明日には目が見えなくなるかもしれない
と思って、世界を見てください。
彼女は、「もし3日間だけ視力が与えられたら、まず自分を支えてくれた大切な人を見たい、翌日は
人類のこれまでを見るため博物館や劇場を、3日目は働く人を見るために大都会を訪ねたい」と言っ
たそうです。
彼女の場合は特別な例としても、誰しも自分に与えられている能力、条件、環境を当たり前のことと
考えて、それに対する感謝を怠り、注意を払わず、安易な日常を過ごしがちであると思われます。
自らの恵まれていることに気づき、その希少な機会を無駄にしない為に、人生に真剣に向き合うこと
が出来たなら、その人の生き方は、自ずとより意義深いものになると思われます。自壊を込めて、
そのように感じます。
2026年4月23日木曜日
「鷲田清一折々のことば」3505を読んで
2025年10月22日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」3505では
平田堤による聞き取り『木ぴっこぬいてたら、家をもらった。』から、DYIによる場所づくりに
取り組んできた足立繁幸の次の言葉を取り上げています。
「買うってことは、自分を高める機会と
縁を切ることでもあると思うんです」
現代人は、「生活に必要なものを一から自分で作るより、既製品を購入したり、作業を外注した
りして金銭で賄いがちである」と足立は言っています。
確かに私たちが手作りしたり、自分で修理したりするものは極限られています。それが手軽で、
便利でもあり、当然のことと考えがちです。
でもその結果、「生きているというヒリヒリした感覚も、物から届く生々しい情報も見失ったの
ではないか」と彼は問いかけます。
私たちは、そこに何の疑問も感じないでやり過ごしていますが、そう言われればハタと思い当たり
ます。安易さや効率重視に寄りかかって、大切なことを忘れているのではないかと。
自分でやってみたら、それを作ったり、成し遂げるための苦労が分かる場合もあるし、実際に修繕
や物づくりに取り組むことによって、より良くするためのアイデアが浮かぶ場合もあります。
人はそのような大切な機会をみすみす失っている、とも言えますし、最近趣味や、旅行の目的とし
て何かを実際に体験したり、手作りしたりすることが好まれるのも、日頃自分の生活でそのような
部分が欠如しているからかも知れません。
2026年4月15日水曜日
2026年4月度「龍池町つくり委員会」開催
4月14日に、2026年第3回の「町つくり委員会」が開催されました。
まず、4月16日の「龍池自治連合会の理事会」で審議される、当委員会の令和7年度の活動報告書、
収支報告書、令和8年度の活動計画書をメンバーに配布し、内容確認をしてもらいました。
概要は、昨年度の活動として、「龍池夏祭り」への「鷹山お囃子」「歌声サロン」の出演、大原
文化センターにおいて、大原町つくり委員会との交流、京都国際マンガミュージアムでの、京響
70周年「京の音楽会」の応援、手伝いです。なお、この音楽会には、総数約100名、その内学区
民37名の参加がありました。
今年度の計画で決定しているのは、6月27日の「祇園祭 役行者山会所 見学会(役行者山をもっ
と知ろう)で、午前の回 10時~11時、午後の回14時~15時の2回実施します。5月はじめに告知
と申し込み用紙を各町に配布し、5月の「龍池自治連拡大理事会」で、私から各町の町内会長に
再度説明、告知を行う予定です。
そして、活動報告書等の確認を終えてから、私の方から今年度の当委員会の新たな取り組みにつ
いての2点の提案をしました。1つは、最近一戸建てであれ、マンションであれ、新しく当学区
内に住むことになった人に、如何に町内会に入会してもらうか、ということが課題になっており、
そのための入会勧誘のチラシを当委員会で作成しないか、というもので、これについては各委員
から、各町内会、一戸建て、マンションによっても事情が異なり、一律のものは作れないのでは
ないかという意見が出て、今後検討していくことになりました。
2つ目は、これと関連して、学区内に新たに住むことになった人用に「龍池学区便利マップ」を
作成しないか、というもので、これは学区内のパン屋、飲食店、医院、薬局、クリーニング店、
その他の施設などを、見やすく、簡潔にまとめた地図を作って、町内会に入会した新住民に特典
として配布するという計画で、この案については、委員から一部の店を宣伝することにならない
か、という懸念が表明されましたが、南先生からは大変興味深いという意見も頂き、次回委員会
までに、もし作成するならば、実際に調査活動をしてもらうことになる、町つくりゼミグループ
で、実施の是非を検討してもらうことになりました。
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