2025年10月15日水曜日

2025年10月度「龍池町つくり委員会」開催

10月14日に、10月度の「町つくり委員会」が開催されました。 この度の議題はまず、中谷前委員長が運営から退かれることになった「歌声サロン」を、当委員会として これからいかに取り扱うかということについて、議論しました。 「歌声サロン」は、当初学区内の喫茶店で開催されていたものを、その喫茶店のトイレが参加者の高齢化 に伴って不便ということになり、他に適切な場所が無いかということで、前委員長が「町つくり委員会」 が後援することとして、京都国際マンガミュージアム内のティーズサロンに誘致した経緯があります。 あらかじめ開催されていたものを誘致したために、以前からの参加者も学区外の人が多数を占め、学区民 は少数となっていました。それでは龍池学区の施設で開催する意味は薄れるので、今までチラシ、回覧等 を通じて学区民に告知を行い、学区内の参加者の数を増やす努力を行って来ました。 しかし、一向に参加者は増加せず、一方「歌声サロン」は外部の参加者に人気があるようで、いつも定員 オーバーになり、たまに学区民が参加を希望しても入場出来ない事態も起こってきました。そのような 状態では、本来学区民の福利厚生のために利用すべき学区施設の使用方法としては適切でない、という 指摘が以前からあって、この度前委員長が運営から退かれる機会をもって、新たに「町つくり委員会」で 今後の方針を議論することになりました。 その議論の中で話し合われたことは、「歌声サロン」という催し自体は高齢者の健康促進のために有意義 な行事ではあるけれども、学区民の参加が優先されないならば当学区の施設で開催する必然性は無い。 あるいは、当学区自治会は施設の利用料を学区民のために少額に設定しているにも関わらず、「歌声サロン」 の主催者が参加料を徴収して、演奏者などに分配しているのは、学区の事業として適切でないのではないか ということなどでした。 以上のような検討を経て、次回「歌声サロン」が開催される10月25日に、終了後委員会を代表して委員長の 私が、今期いっぱいで(2026年3月まで)「歌声サロン」の当学区施設での開催を終了してもらう旨を、 主催者側に伝えることになりました。 他の諸課題については、次回委員会で検討することになりました。

2025年10月2日木曜日

「鷲田清一折々のことば」3416を読んで

2025年6月5日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」3416では 京友禅のメーカーを経営する那須修の『京友禅への誘い』から、あるきものの持ち主の次の言葉が 取り上げられています。    「茶席で座っていたら、膝の上の柄に励     まされているような気がした」 このような場合、お茶席で着用するような着物は、手描き友禅の訪問着が多いので、ここに描写 されている着物も、きっとそうであると推察します。 手描き友禅の着物の制作工程は、エバ縫い、下絵、友禅糊置き、地染め、蒸し、水元、友禅色差し、 揮発水洗、刺繍、あるいは金彩加工と、全て別々の職人の手作業によって担われていて、それぞれ が技術の粋を傾けて作業に当たります。 そのようにして完成した訪問着は、最近の既製品の着物に多く見られるプリント加工の着物に比べ て、重厚感や何とも言えぬ気品があるものです。 ここで語られているような感慨をその着物の購入者が持たれたら、メーカー側は、制作者冥利に つきるでしょう。 苦心して作り上げられた品が、着用者の心とも共鳴して、満足のいく茶事が営まれたなら、それ ほどの着物と所有者の幸福な関係はないと思われます。 本来、ハレの着物とは、そういうものであったと思います。

2025年9月25日木曜日

「鷲田清一折々のことば」3411を読んで

2025年5月29日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」では 見立てによるミニチュア写真クリエーター田中達也による『みたてのくみたて』から、次の言葉が 取り上げられています。    みんなが知っているものを、知っている    別のなにかに変換するからこそ、共感し    てもらえます。 眼鏡が自転車になったり、ブロッコリーが大樹になったり、ドーナツをCT検査機に見せたり、この ような写真作品を見ると、思わずニヤッとさせられたり、お伽話のようなホンワカとした気分に させてくれます。 そもそも、それらのもの単品では見立ては成り立たないとしても、組み合わせたり、あるいは、小 さな人間の模型を配置して、微視的な視点でその情景を演出すれば、リアリティーが生まれるとこ ろが絶妙です。 田中自身は、「見立てとは、今あるものを組み合わせて新しい価値を生み出す術だ」と語っている そうですが、当意即妙であると感じます。 発想や、視点を変えれば、組み合わせによる新しい価値も生まれるということは、今日の同じ国の 中での経済格差による価値観の分裂や、人種間の対立などの問題にも、解決策を見出すヒントにな るかも知れません。

2025年9月18日木曜日

岡野八代著「ケアの倫理ーフェミニズムの政治思想」を読んで

本書を実際に読んでみるまで、私は恥ずかしながら、故人の介護に対する倫理について述べた書であると 思っていました。それで一通り終わった両親の介護を振り返るという意味でも、この本を手に取ったので すが、読み終わると個人的な介護について述べた本ではなく、歴史的に介護を担わされてきた人々、主に 女性の立場から、従来の社会、政治のあり方について異議を申し立てる活動の変遷、現状を語る書でした。 フェミニズムの政治思想の副題がついている所以ですが、ともかく当初の読書目的とは違うとはいえ、 予想だにしなかった、つまり私の社会や政治に対する考慮から抜け落ちていた視点を提示してくれたとい う意味で、興味深い読書であったと感じました。 本書の主題を一見して、そういうことに思い至らなかったということ自体が、私にフェミニズム的視点が 欠けている証左なのですが、私が教育を受けてきた頃には、フェミニズムという発想はまだありませんで した。父(男性)は外で働き、母(女性)は家庭で子を育てながら家事に勤しむ。そういう家父長的な 家族制度が広く行き渡る認識でした。 しかし、そのような常識に縛られた社会では、女性は抑圧され、権利を制限されることになります。この ような立場に甘んじることを良しとしない、革新的な女性の異議申し立てが、フェミニズム運動の端緒で すが、本書ではこの運動が主に、アメリカで広く認識され、発展する原動力として、ケアの倫理を思想の 中心に据えています。 つまり、介護を担う立場の人々の発想、思考を、従来の男性中心の社会で培われた思想哲学上の正義と 対等に対峙させることによって、来るべき未来に相応しい公正な社会思想、政治政策が生まれるように 仕向けるというものです。 さて、現実の日本社会の状況を見てみると、男女平等の指標が先進国で最下位であることからも分かるよ うに、決してフェミニズムの思想が広く認知されているとは言えないでしょう。しかし今日、少子化によ る人口減少や高齢化社会の到来、貧富の格差の拡大が、コロナ禍後更に顕著になって、弱い立場の人々を ケアする政治政策の重要性が増しています。 この事実は、女性の地位向上を目指す施策とも相まって、フェミニズム運動に影響を受けた政治思想が、 浸透し始めていることを示すに違いありません。フェミニズムの思想哲学は、先人の努力によって、着実 に地歩を固めつつあるのです。

2025年9月10日水曜日

2025年9月度「龍池町つくり委員会」開催

9月9日に9月度の「町つくり委員会」が開催されました。 今回はまず、8月30日に開催された、「龍池夏まつり」の結果報告ということで、京都国際マンガ ミュージアムの事務長勝島様より、参加者数が約500名で前回(2023年)より約一割増えたそうで、 コロナ禍前にはまだ及ばないまでも、回復傾向が顕著であるという嬉しい発表がありました。 催しの運営上は、プログラムのメニューが結果として予定よりも多くなったにも関わらず、進行は 時間通りスムーズにこなすことが出来たということで、やはり鷹山のお囃子が参加者の体験企画も あって、場を盛り上げるのに大いに役立ったという結論になりました。 その他にも、医健のバンドの演奏の時に、音が大きいという苦情の電話があったようですが、それ は例年のことで、一時のことでもあるので、ことさら次回改善すべき事柄でもないということでし た。 子供向けのゲームコーナーでは、スタッフの人数が少なく、子供が殺到した時にはスムーズにさば けなかったという報告が、実際に担当してくれた南先生グループのメンバーの一人からあり、この 点については、次回には人数の割り当てを増やす対策を取る必要があると感じました。 飲食のコーナーは、開催時間当初は長い行列が出来ましたが、次第に混雑も収まり、以降は待ち 時間も少なく飲食物を提供出来たようです。ただし、今回は催しの終了ぎりぎりまで、飲食物を 提供していたので、受け取った食券、金銭の集計、後片付けがの終了が大変遅くなり、次回は30分 前ぐらいに提供を終わらせることが出来ないかという、提案が勝島様からありました。これも改善 事項であると思われます。 今回の委員会は、夏祭りの総括でお開きとなりました。

2025年9月4日木曜日

「鷲田清一折々のことば」3386を読んで

2025年4月23日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」3386では 写真家島尾伸三の『魚は泳ぐ』から、次の言葉が取り上げられています。    狡さを訓練できない人は、すがるも    のを必要としていますね。 ここで言う狡さ(ずるさ)は、狡猾ということではなくて、処世術における器用さ、柔軟さ、 世慣れた対処法というニュアンスを含む言葉でしょう。 だから、真っ正直や、固定観念に囚われる頑固さなどは、これと対極の性向であると思われ ます。 このような意味の狡さを備えた人は、何事にも臨機応変に取り組み、周りの人との間に軋轢 を生まずに、世を渡って行くことが出来るのでしょう。そして、そういう人が、独立心をも 持ち合わせていると言えるのでしょう。 しかし私は反面、このような処世術に長けた人は、現実にもそれほどに生きて行く上で器用 な人が少ない故に、孤独感にさいなまれることも多いのではないかと思います。 人は誰も一人では生きて行けなくて、多くの人の助けがあってこそ生きて行けると思うので、 狡さもそこそこに、少し間の抜けたところもあってこそ、人として愛される人間ではないか と考えるのですが、いかがでしょう?

2025年8月28日木曜日

「鷲田清一折々のことば」3380を読んで

2025年4月14日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」3380では 俳人正岡子規の短歌集『子規歌集』から、次の言葉が取り上げられています。    夢さめて先ず開き見る新聞の予報に晴れ    とあるをよろこぶ 正岡子規が長い闘病生活を強いられたのは周知の事実なので、その俳人がこのような歌を 残したことには、簡単ではない意味があると感じられます。 その人の心を深い心労や心痛が支配している場合、人はなかなかささやかな喜びに、心を割 くゆとりがないと推測されます。 しかし子規は、毎日の天気のような、病床にある者にとってはほんの些事についても、喜び を見出し、それをしみじみとした調子で、歌にしたのでしょう。そこには、俳人ならではの 豊かな感性と、心のゆとりを感じさせます。 現在の効率優先で、社会的な疎外感に囚われやすい世の中において、日常に追い立てられて 生活している私たちも、得てして身の回りの些細なことに、喜びや感動を見出せ難くなって いるように思われます。 そのような自分の精神状態に、改めてきづかせてくれるという意味でも、この歌には、かけ がえのない価値があると思われます。