2026年10月6日火曜日

加藤典洋著「日本という身体」を読んで

本書を通読して、細部においては、良く理解出来たか怪しいところがあります。それはひとえに、私の 浅学によるものですが、それでもなお、全体としては、新鮮な思考に触れたような、爽やかな読後感が 残っています。 この本は、明治以降の我が国の文学者、思想家の「身体的なもの」を拠り所として、敗戦後1970年代 までの歴史的事象、諸事件を読み解き、この国の来し方を検証したものですが、まず、知識人の「身体 的なもの」に注目したところに、着想の清新さがあると感じます。 日本の近代思想は言うまでも無く、明治以降に移入された西洋思想に色濃く影響されていますが、それ でも日本人は、根底にアジア的なものの考え方を拭いがたく残存させていると、考察されます。その 事実を明らかにするに当たり、「身体的なもの」という視点は正に的確であると、私には思われました。 その導入において著者は、例えば何かの集まりに欠席するに際して、日本人はその理由として、本当は それが決定的な理由では無いとしても、身体の具合の悪さを挙げることが多いと、指摘します。これが よしんば西洋人なら、具体的な理由を明示して、欠席の意思を表明すると、思われます。 つまり日本人は、影響関係にある人々への配慮から、自身が物事を決める理由を肉体的(自然)なもの に託して、表明するのです。ここには、西洋的な客観的で合理的な意思決定行動ではなく、周囲への 影響を強く受け止めた、意思決定への態度が見受けられます。これはすなわち、西洋的価値観だけでは 動かない、現代日本人の特性を表わしているのです。 このような前提の元で著者は、明治以降の我が国の歴史を、大きく分けて「大」「新」「高」「中」の キーワードで分析していますが、詳細は本書に当たってもらうとして、私がとりわけ興味を感じ、納得 させられたのは、明治維新後の【大」の時代、人々が差し迫った西洋列強の脅威の最中、外来思想を 積極的に取り入れ、新しい国の建設に邁進した時期、この時代は人々に、一体感や使命感が芽生え、 国力増強の基盤を作りましたが、他方、強権的で楽天的、無反省で一途な拡張主義は、社会に矛盾や 軋轢を生み出し、対外的には、帝国主義的、海外進出の端緒となったのです。

2026年9月30日水曜日

小川国夫著「ヴァン・ゴッホ」を読んで

小川国夫による、ゴッホを巡る長編紀行エッセーを中心として、他にゴッホ素描と題して、この画家に まつわるエッセーをまとめた書です。約40年前の刊行ですが、少しも色あせていないと感じました。 ゴッホは短い活動期間の中で輝かしい画業を残しましたが、同時に夥しい手紙を書いて、自らの想いを 吐露しています。小川は彼の足跡を自ら辿り、絵と手紙と土地の記憶から、彼の波乱に満ちた生涯を、 時系列に沿って浮かび上がらせています。 まず私が感銘を受けたのは、ゴッホが当初画商を目指したところです。この頃の彼は、業務に励むごく ありふれた青年で、商売の心得などを弟テオに書き送っています。ところが、ロンドン勤務になって 下宿先の娘に失恋します。そこから、彼の運命の歯車は狂い始めます。牧師を志しながらも挫折して 絵画の道を目指します。そして周知の悲劇的な最後。恐らく失恋は、彼の持って生まれた情熱的な資質 を呼び覚まさせる、引き金となったに違いありません。その後の彼は、正にその情熱の奔流に突き動か されるように行動し、命尽きます。この天才の資質の発現の部分に、心を動かされました。 次に、画家を目指して修行中のゴッホが、子持ちの売春婦に思いを寄せ、結婚を夢見る場面です。彼は 彼女を更生させようとしますが、肝心の経済力はなく、彼女を含めた彼女の家族からは疎まれ、自らの 家族には大反対され、とりわけ彼の最大の理解者で、経済援助を受けるテオからも批判の目を向けられ ます。この当時彼が描いた、貧しい人々を主題とした悲惨ではあるが、感動的な絵画が彷彿とさせられ ます。 そして最後に、ゴッホとテオの切ることの出来ない深い絆に心打たれました。弟は終生彼の援助者で あり、彼の絵画の価値を信じ、画業の進展を見守る理解者でした。彼の膨大な手紙の大半は、弟に宛て たものです。ゴッホの死後、テオも後を追うように亡くなり、二人の墓は並んで建てられています。 本書に記述はありませんが、つい先年も、兄弟の死後、弟の嫁ヨーが、ゴッホの絵画の評価を高める ことに大きく貢献したことを示す、展覧会が企画されました。 本書も、彼の偉大な作品が、彼の力のみならず、家族の力によっても生み出されたことを、如実に表わ していると思われます。

2026年9月25日金曜日

「鷲田清一折々のことば」3624を読んで

2026年4月24日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」3624では ライター・編集人碇雪恵の『そいつはほんとうに敵なのか」から、次の言葉が取り上げられています。    自分の中で整理のつかない事柄を人に話    すことはある種の暴力にすらなりうる 元来賢明な人は、自分の中でよく吟味をした事柄を人に話すでしょう。でもそれは余裕のあるシチュ エーションにおいてであり、状況によっては、その場限りで言い放つこともあるでしょう。 そこに公憤にしても私憤にしても、怒りの感情があったり、注目を集めたいとか、奇をてらう意図が あれば、その言葉は人を傷つけることもままあると思われます。更には、匿名という隠れ蓑が有れば、 なおさらです。 SNSによる誹謗中傷は、最初に発信する人も、それを受けて反論する人も、互いに一戦交える下心満々 で、言葉のバトルを挑み合っている場合も、多々あると思われます。 そのような行為は、本人たちはストレスの発散になるかも知れないけれど、建設的な議論や、状況を 改善させる方策には、全くならないと感じられます。 私自身がそのような陥穽に陥らないために心がけるべきことは、常に冷静を保つこと、自分を省みる こと、そして話す前にもう一度内容を吟味することであると思っています。

2026年9月17日木曜日

中野重治著「五勺の酒 萩のもんかきや」を読んで

中野が、敗戦後早い時期から約10年間に発表した、短編小説の中の秀作をまとめた短編集です。この時期の 共産党シンパ(反体制派)の著作者の作品を読んだことが無かったので、大変興味深く感じました。 まず『五勺の酒』です。戦前から中学校長を続ける人物が、少量の酒による酔いに任せて、恐らく友人で ある共産党員に語りかける体の小説です。敗戦によって教育現場でも、教育方針や価値観が180度転換して、 生徒は民主主義の名の下に、教師に反抗的な態度を取る。上からのお達しによって、現場の教員は自己矛盾 を感じながらも、新しい方針に沿って教育を行わなければならないことによる、忸怩たる思い。戦前には、 生徒を鼓舞して戦場に送り出し、結果無意味な戦死を招来した、慚愧の念。あるいは、部下の教師が召集さ れて戦地に赴き、戦後無事復員は遂げたが、顔面を損傷して痛々しい姿になっているのに、どう接したら いいのか苦慮する様子。更には、戦前の天皇制には批判的な心情を持っていたが、敗戦によって天皇の地位 が著しく損なわれる中で、天皇個人に対する親愛の情や、哀れみの感情に心がもだえる場面。恐らく、中野 の心が投影された学校長から、他面の心を反映させた共産党員への心情の吐露は、彼の心の揺れを表わして いるのでしょう。また、戦後早い段階からの日本共産党の運動の硬直化も指摘していて、示唆に富みます。 次に、本書の中で私が最も気に入った作品である『司書の死』です。図書館司書を「おとなしい人々、反抗 的でない人々、破壊的でない人々、善良で、どこかで人間の良さを信じている人々、しかし、消極的なとこ ろのある人々」と、定義し、終戦後の朝鮮戦争のどさくさの中で、アメリカ出張からの帰路に、不慮の死を 遂げた、友人の図書館司書の死の顛末を記します。そこには、中野の司書、ひいては書物への愛、そして 敗戦後の戦勝国による日本国民への横暴が、示されています。 最後に、『萩のもんかきや』です。主人公が旅先で出会う、戦争未亡人らしいつましい「もんかきや」の姿 が描かれていますが、和装業界に携わる私にとっては、「紋上絵師」(もんかきや)はなじみの職業で、 和装業界が著しく衰退する今日において、感慨深いものがありました。

2026年9月10日木曜日

「鷲田清一折々のことば」3612を読んで

2026年4月7日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」3612では 落語家五代目古今亭志ん生の随筆「テクッて三年」(宮﨑智之編『精選日本随筆選集 歓喜』所収)から、 次の言葉が取り上げられています。    うれしい前にはきまって、心配事や悲し    いことがあるんです。 そう言われれば、確かにそうかも知れない。思わず膝を打ちたくなるような言葉です。 望外の喜びは例外としても、些細な喜び、じわじわとにじみ出るようなうれしさは、それこそ、ちょっと した憂いや悲しみの後に、フワッとした感じで、やって来るように思われます。 だからそのようなうれしさは、もしかしたら、前提の憂いや悲しみなしには、体感することの出来ない ものかも知れません。 心配事や悲しいことで落ち込んだ心が、意外性を伴った、些細な喜び事にも感応して、うれしさや幸福感 を生み出すとでも言うように。 ですから、心配事や悲しいことがなければ、些細なこと、微かなことに喜びを感じ取れないのかも知れま せん。そう考えると、日々の心配や憂いも、先の喜びに結びつく、貴重な機会であるように感じられます。

2026年9月3日木曜日

夏目房之介著「マンガはなぜ面白いか その表現と文法」を読んで

本書の第Ⅰ部は、NHK「人間大学」で行われた著者による講義のテキストで、第Ⅱ部は、一般大学で行われ た講義録に基づいています。所謂著者による、マンガ学の入門書です。 まず著者夏目房之介は、かの文豪夏目漱石の孫で、奇しくもと思われますが、本書出版から約30年を隔てた 現在、日本のマンガは、世界的な広がりを見せる代表的なコンテンツとなり、大学にマンガ学部が出来てい ることから考えても、著者は、マンガを学問する先駆者と言ってもいいでしょう。 本書を読み終えて、この頃は間遠になっていますが、小さい時からマンガ、アニメに親しんできた私にとっ て、今まで漫然と楽しんで来たものの、魅力の秘密がスルスルと解き明かされるような、爽快感を味わう ことが出来ました。 なんと言っても、本書の核心は第Ⅰ部で、第1章マンガ隆盛の謎で取り上げられている、現代マンガの父 手塚治虫のマンガがなぜ読者を惹き付けたかという部分で、彼の描く目の表情がそれ以前のマンガとは決定 的に違うという指摘に、ハッとさせられました。 確かに、彼以前の『のらくろ』などのマンガにおいては、キャラクターの目は黒い点で表現されて、表情が 単純化されているために、きめ細かい感情表現が出来ません。勢い、ストーリーも単純化されて、説得力の ある複雑な物語を生み出すことが出来ませんでした。ところが手塚は、ディズニーや宝塚歌劇の影響を受け て、明解で細やかな感情表現を有する、魅力的なキャラクターを生み出したのです。これ以降、マンガの 表現領域は格段に広がり、個性的な漫画家たちの切磋琢磨もあって、世界規模の読者層を獲得するに至った のです。 その他にも描線の工夫、「吹きだし」を始めとする言葉の表現法、「コマ」の構成など、読者を惹き付ける 表現効果を生み出す技法は色々とありますが、目の表情の獲得は、現代マンガ誕生の核心の秘訣のように 感じられました。 元々日本には、『鳥獣戯画』とマンガの親近性が指摘されるように、水墨画から発展した線によって絵を 表現する文化がありました。また、最近の情報化が進んだ高度資本主義社会では、物語の世界においても、 単純化、スピーディー化されたものを好む人々を増加させ、映画、テレビでも、実写を含めマンガ、アニメ を原作にしたものが多く見られます。時代は確実に、マンガ的なものが好まれる傾向を示している故に、 マンガを学問することの重要性も、益々増しているように思われます。

2026年8月26日水曜日

武田百合子著「遊覧日記」を読んで

武田百合子は、小説家武田泰淳の妻だった人で、彼の死後日記文学作品の出版で評価を得て、随筆家と して活躍したそうです。私はそもそも、武田泰淳の小説を読んだことがなく、当然百合子の名も知りま せんでしたが、彼女の出世作「富士日記」の評判をどこからか聞いて、まず本書を手に取りました。 読んでみて、その独特のとりとめの無さ、綿でくるむようなフワッとした感触が、心地よく感じられま した。しかし気楽な物見遊山、世間語りというのでもなく、作者には肩を張らず本質を見抜く、観察眼 があります。その結果この日記文学は、人間の日々の営みに潜む、機微哀歓を滋味深くあぶり出してい ます。 まず作者は、まだ娘が小さかった頃、家族で暮らしていた夫の実家の寺に、会津から奉公に来ていた 女中の若い女性に習って、あちこちを遊覧すると宣言します。その女性は、休みの日に誰も知り合いの いない都会で、好奇心の赴くまま色々なものを見て回り、場の雰囲気になじんで目一杯満喫して帰って きたそうです。 作者もその振る舞いを理想として、無垢な心で貪欲にあちこちを見て回り、感じたことをありのままに 綴ろうというのです。正にそのようなスタンスで、訪問先の情景が記されてゆきます。現在からすると 一昔前なので、各所の風物も興味深いですが、特に彼女が訪れた先で接する人の描写が素晴らしいと感 じました。 例えば上野東照宮の章で、東照宮ぼたん祭りを訪れて牡丹を観賞していた彼女が、句会を催している グループに遭遇し、その中の和服の女性が、集合の合図があって急ぐ余りに、石畳につまずき倒れる 場面。着物をかばうために頭から突っ込み、衣裳が直接地面につかないように、頭で身体を支えてじた ばたしながらも力尽きて、石畳の上に平たくなる滑稽な描写。その後に続く、何事も無かったように立 ち上がり、微笑んで集合場所に向かう様子は、その女性の羞恥の入り交じった矜持を感じさせます。 あるいは、京都で作者の女学生の頃の恩師と会う場面。事情は分かりませんが、彼女とその娘は、夫の 墓参に京都を訪れる度に、恩師に会い、食事をごちそうになるという。先生に高価なものをおごらせて はならないと気遣いながらも、ついつい食べたいものを口に出してしまい、先生に余分の出費をさせて しまいます。そのやり取り、関係性が、両者の絆を感じさせます。 本書の写真は、作者の娘武田花が担っていて、文章と合わさって、独特の雰囲気を醸し出しています。