店主、日々のことども
2025年10月30日木曜日
「鷲田清一折々のことば」3424を読んで
2025年6月18日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」3424では
解剖学者三木成夫の『生命とリズム』から、次の言葉が取り上げられています。
「声を出す」こと・・・によって、人びと
は労働の日々のもたらす慢性の喚起不全、
いわゆる”燻り”から・・・身を護る
人は緊張して息を詰めたり、ハッとして息を飲んだりして体を固くすると、だんだん疲れがたまって
くるようです。我々都会に暮らす現代人などは、毎日が緊張の連続で、なかなか気が休まることが
無いと感じます。
そういう時には「声を出す」。私も無意識にフーとため息をついたり、呼吸を整えたりしていると
思い当たります。これらも緊張をほぐす手段なのでしょう。
でも、一人で黙々と作業をしていたり、ものを書いたり、事務仕事に没頭していると、いつの間にか
疲労が蓄積していると実感することがあります。
そんな時にはやおら立ち上がって、両腕を左右上方に突き上げて、上体を後ろにそらし、思いっきり
伸びをする。近くに他の人が居なければ、ウーと声でも上げればスッキリとします。
また、機会がある時には、大声で歌を歌ったり、何かのひいきチームの応援で声を上げれば、後に
すがすがしい気分を味わえます。
そうして私たちは、知らず知らずのうちに、セルフケアを行っているのでしょう。
2025年10月23日木曜日
「絵のなかの散歩」洲之内徹著を読んで
「気まぐれ美術館」と読む順序が前後してしまいましたが、画商兼エッセイストの洲之内徹の美術にまつわる
エッセイをまとめた本です。
本書の魅力の一つには、著者がかつて芥川賞候補になった小説家の顔を持つこともあって、単に画家や絵画作品
にまつわる話だけではなく、それに絡めて自らの日常や身辺の雑感にも筆が及ぶところで、私には殊に彼が後に
画廊主を引き継ぐ経緯となった、田村康次郎経営の現代画廊の店員時代のエピソードが面白く感じられました。
曰く、写真家の土門拳が友人の画家鳥海青児から預かっていた鳥海の作品「うづら」を現代画廊に売りに来て、
紆余曲折があって、田村に内緒で著者が個人的に購入することになった話。田村が経営者時代に画廊の看板作品
としていた林武の「星女(ほしめ)嬢」が回り回って売りに出された時、その時には同画廊主となっていた洲之
内が意地で買い戻した話。
彼の絵画への並々ならぬ愛情や、画商としての先代経営者への対抗心が垣間見えて、美に魅せられた者、絵を商
う者の気概が感じられる思いがしました。
勿論、彼の業務である、作品を通しての画家との関わりの記述も興味深かったです。挙げればきりが無いですが、
まず岡鹿之助とのエピソード。岡の作品らしい旧作の静物画を手に入れた著者が、確認するために岡の自宅を訪
れ、その作品を本人に見せたところ、最初は色使いが違うと否定されますが、よくよく吟味して色の褪色と何者
かの加筆に気づいて、自分の作品と認定する場面。
あるいは、これをきっかけとして著者が持ち込んだ、藤田嗣治の初期の油彩画を、岡が藤田とのパリでの交友を
回想しながら、真作に違いないと語る場面。
当時日本西洋画壇の重鎮であった岡の飾らない生真面目な人柄が感じられて、好感を持ちました。
また、長谷川潾二郎が夫婦で履歴書を作成したり、スパンコールの手作りの首輪を作ったりして、飼い猫タロー
を我が子のように可愛がり、その結果長い年月を掛けて、あの名作「猫」を描き上げた話。しかもその作品には、
左半分の髭しか描かれていないのです。
この絵画自体から、画家の猫への愛情があふれ出ていると感じられました。
2025年10月15日水曜日
2025年10月度「龍池町つくり委員会」開催
10月14日に、10月度の「町つくり委員会」が開催されました。
この度の議題はまず、中谷前委員長が運営から退かれることになった「歌声サロン」を、当委員会として
これからいかに取り扱うかということについて、議論しました。
「歌声サロン」は、当初学区内の喫茶店で開催されていたものを、その喫茶店のトイレが参加者の高齢化
に伴って不便ということになり、他に適切な場所が無いかということで、前委員長が「町つくり委員会」
が後援することとして、京都国際マンガミュージアム内のティーズサロンに誘致した経緯があります。
あらかじめ開催されていたものを誘致したために、以前からの参加者も学区外の人が多数を占め、学区民
は少数となっていました。それでは龍池学区の施設で開催する意味は薄れるので、今までチラシ、回覧等
を通じて学区民に告知を行い、学区内の参加者の数を増やす努力を行って来ました。
しかし、一向に参加者は増加せず、一方「歌声サロン」は外部の参加者に人気があるようで、いつも定員
オーバーになり、たまに学区民が参加を希望しても入場出来ない事態も起こってきました。そのような
状態では、本来学区民の福利厚生のために利用すべき学区施設の使用方法としては適切でない、という
指摘が以前からあって、この度前委員長が運営から退かれる機会をもって、新たに「町つくり委員会」で
今後の方針を議論することになりました。
その議論の中で話し合われたことは、「歌声サロン」という催し自体は高齢者の健康促進のために有意義
な行事ではあるけれども、学区民の参加が優先されないならば当学区の施設で開催する必然性は無い。
あるいは、当学区自治会は施設の利用料を学区民のために少額に設定しているにも関わらず、「歌声サロン」
の主催者が参加料を徴収して、演奏者などに分配しているのは、学区の事業として適切でないのではないか
ということなどでした。
以上のような検討を経て、次回「歌声サロン」が開催される10月25日に、終了後委員会を代表して委員長の
私が、今期いっぱいで(2026年3月まで)「歌声サロン」の当学区施設での開催を終了してもらう旨を、
主催者側に伝えることになりました。
他の諸課題については、次回委員会で検討することになりました。
2025年10月2日木曜日
「鷲田清一折々のことば」3416を読んで
2025年6月5日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」3416では
京友禅のメーカーを経営する那須修の『京友禅への誘い』から、あるきものの持ち主の次の言葉が
取り上げられています。
「茶席で座っていたら、膝の上の柄に励
まされているような気がした」
このような場合、お茶席で着用するような着物は、手描き友禅の訪問着が多いので、ここに描写
されている着物も、きっとそうであると推察します。
手描き友禅の着物の制作工程は、エバ縫い、下絵、友禅糊置き、地染め、蒸し、水元、友禅色差し、
揮発水洗、刺繍、あるいは金彩加工と、全て別々の職人の手作業によって担われていて、それぞれ
が技術の粋を傾けて作業に当たります。
そのようにして完成した訪問着は、最近の既製品の着物に多く見られるプリント加工の着物に比べ
て、重厚感や何とも言えぬ気品があるものです。
ここで語られているような感慨をその着物の購入者が持たれたら、メーカー側は、制作者冥利に
つきるでしょう。
苦心して作り上げられた品が、着用者の心とも共鳴して、満足のいく茶事が営まれたなら、それ
ほどの着物と所有者の幸福な関係はないと思われます。
本来、ハレの着物とは、そういうものであったと思います。
2025年9月25日木曜日
「鷲田清一折々のことば」3411を読んで
2025年5月29日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」では
見立てによるミニチュア写真クリエーター田中達也による『みたてのくみたて』から、次の言葉が
取り上げられています。
みんなが知っているものを、知っている
別のなにかに変換するからこそ、共感し
てもらえます。
眼鏡が自転車になったり、ブロッコリーが大樹になったり、ドーナツをCT検査機に見せたり、この
ような写真作品を見ると、思わずニヤッとさせられたり、お伽話のようなホンワカとした気分に
させてくれます。
そもそも、それらのもの単品では見立ては成り立たないとしても、組み合わせたり、あるいは、小
さな人間の模型を配置して、微視的な視点でその情景を演出すれば、リアリティーが生まれるとこ
ろが絶妙です。
田中自身は、「見立てとは、今あるものを組み合わせて新しい価値を生み出す術だ」と語っている
そうですが、当意即妙であると感じます。
発想や、視点を変えれば、組み合わせによる新しい価値も生まれるということは、今日の同じ国の
中での経済格差による価値観の分裂や、人種間の対立などの問題にも、解決策を見出すヒントにな
るかも知れません。
2025年9月18日木曜日
岡野八代著「ケアの倫理ーフェミニズムの政治思想」を読んで
本書を実際に読んでみるまで、私は恥ずかしながら、故人の介護に対する倫理について述べた書であると
思っていました。それで一通り終わった両親の介護を振り返るという意味でも、この本を手に取ったので
すが、読み終わると個人的な介護について述べた本ではなく、歴史的に介護を担わされてきた人々、主に
女性の立場から、従来の社会、政治のあり方について異議を申し立てる活動の変遷、現状を語る書でした。
フェミニズムの政治思想の副題がついている所以ですが、ともかく当初の読書目的とは違うとはいえ、
予想だにしなかった、つまり私の社会や政治に対する考慮から抜け落ちていた視点を提示してくれたとい
う意味で、興味深い読書であったと感じました。
本書の主題を一見して、そういうことに思い至らなかったということ自体が、私にフェミニズム的視点が
欠けている証左なのですが、私が教育を受けてきた頃には、フェミニズムという発想はまだありませんで
した。父(男性)は外で働き、母(女性)は家庭で子を育てながら家事に勤しむ。そういう家父長的な
家族制度が広く行き渡る認識でした。
しかし、そのような常識に縛られた社会では、女性は抑圧され、権利を制限されることになります。この
ような立場に甘んじることを良しとしない、革新的な女性の異議申し立てが、フェミニズム運動の端緒で
すが、本書ではこの運動が主に、アメリカで広く認識され、発展する原動力として、ケアの倫理を思想の
中心に据えています。
つまり、介護を担う立場の人々の発想、思考を、従来の男性中心の社会で培われた思想哲学上の正義と
対等に対峙させることによって、来るべき未来に相応しい公正な社会思想、政治政策が生まれるように
仕向けるというものです。
さて、現実の日本社会の状況を見てみると、男女平等の指標が先進国で最下位であることからも分かるよ
うに、決してフェミニズムの思想が広く認知されているとは言えないでしょう。しかし今日、少子化によ
る人口減少や高齢化社会の到来、貧富の格差の拡大が、コロナ禍後更に顕著になって、弱い立場の人々を
ケアする政治政策の重要性が増しています。
この事実は、女性の地位向上を目指す施策とも相まって、フェミニズム運動に影響を受けた政治思想が、
浸透し始めていることを示すに違いありません。フェミニズムの思想哲学は、先人の努力によって、着実
に地歩を固めつつあるのです。
2025年9月10日水曜日
2025年9月度「龍池町つくり委員会」開催
9月9日に9月度の「町つくり委員会」が開催されました。
今回はまず、8月30日に開催された、「龍池夏まつり」の結果報告ということで、京都国際マンガ
ミュージアムの事務長勝島様より、参加者数が約500名で前回(2023年)より約一割増えたそうで、
コロナ禍前にはまだ及ばないまでも、回復傾向が顕著であるという嬉しい発表がありました。
催しの運営上は、プログラムのメニューが結果として予定よりも多くなったにも関わらず、進行は
時間通りスムーズにこなすことが出来たということで、やはり鷹山のお囃子が参加者の体験企画も
あって、場を盛り上げるのに大いに役立ったという結論になりました。
その他にも、医健のバンドの演奏の時に、音が大きいという苦情の電話があったようですが、それ
は例年のことで、一時のことでもあるので、ことさら次回改善すべき事柄でもないということでし
た。
子供向けのゲームコーナーでは、スタッフの人数が少なく、子供が殺到した時にはスムーズにさば
けなかったという報告が、実際に担当してくれた南先生グループのメンバーの一人からあり、この
点については、次回には人数の割り当てを増やす対策を取る必要があると感じました。
飲食のコーナーは、開催時間当初は長い行列が出来ましたが、次第に混雑も収まり、以降は待ち
時間も少なく飲食物を提供出来たようです。ただし、今回は催しの終了ぎりぎりまで、飲食物を
提供していたので、受け取った食券、金銭の集計、後片付けがの終了が大変遅くなり、次回は30分
前ぐらいに提供を終わらせることが出来ないかという、提案が勝島様からありました。これも改善
事項であると思われます。
今回の委員会は、夏祭りの総括でお開きとなりました。
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