2024年12月25日水曜日
「鷲田清一折々のことば」3082を読んで
2024年5月10日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」3082では
思想史家・藤田省三の「藤田省三著作集まえがき」から、次の言葉が取り上げられています。
自分の後ろ姿は全き完了形として手も眼
も加えることが出来ない。
少し難しい表現ですが、自分の後ろ姿は、自分の目では直接見ることが出来ない。一方、他人は
自分の気づいていない自分を目撃している。人の眼差しには常に死角がある。という意味だそう
です。
なるほど本人は、自分の心の内は認識することが出来るけれども、後ろ姿で何を発信しているか
は、自分では確認することが出来ません。それゆえ、他人が自分のことをどう思っているか、
どのように捉えているかということが、余計に気になるに違いありません。
でも、いくら努力しても、自分の後ろ姿や佇まいを見ることは困難です。では、他人にどう見ら
れているかという不安や気がかりを解消するには、どうすればいいのでしょうか?
一つは自らの内面を磨き、見られても恥ずかしくない自分を作り出すこと。もしくは、他人の目
など眼中にないようにするために、平静を保つ精神力を養うことでしょうか?
しかし両解決法には共通するところがあって、要するに精神力を磨くことは、自分自身の自信を
生み出し、他人の目に揺らがない確固たる自己を生み出すことなのだと思います。
なかなか難しいけれど、私自身もそのようでありたいと思います。
2024年12月18日水曜日
平野啓一郎著「マチネの終わりに」を読んで
中年を迎えた天才的クラシックギタリストの蒔野聡史と、国際ジャーナリスト小峰洋子の、運命的でありながら、
実らなかった恋を描く、恋愛小説です。
二人の職業柄、芸術や国際政治の問題が、彼らの関係に深い影を落としますが、悲恋小説の王道とも言える、
ほんの少しの行き違いが運命を暗転させるストーリー展開が、切なく感じられました。
まず感銘を受けたのは、蒔野が招待されたマドリードでのギターフェスティバルの往路、洋子の住むパリに立ち
寄り、既に婚約者のいる彼女に愛を告白し、その返事を確かめるために帰路にも訪れた彼女のアパルトマンで、
彼女が直前まで派遣されていた紛争中のイラク、バグダッドから、身の危険を感じて彼女を頼り、避難して来た、
イラク人の若い女性と出会い、この女性を慰め、勇気づけるためにギターを弾く場面です。彼は、自分のギタリ
ストとしての使命感と、他にはこの女性を癒やす方法を見いだせないために、ギターを手に取りますが、洋子の
部屋で、無心に美しい音楽を奏でる蒔野と、その音色に感動する怯えた避難民の女性、そして慈愛を持ってこの
様子を見守る彼女の間に流れる掛け替えのない時間は、蒔野と洋子の愛を確信させ、静かな深い感動を与えます。
それまでの描写で、蒔野の天才ゆえの一種鼻持ちならない性格に、辟易することがありましたが、この場面を
経て、彼自身が芸術的にも一皮むけたように感じられました。
次に印象に残るのは、一人の人間の少しの嫉妬、悪意と時と偶然の悪戯によって、二人の愛が決定的なすれ違い
を生み出す場面です。もし休暇で日本を訪れる洋子の飛行機が遅れなければ、その時蒔野のギターの恩師が脳
出血で倒れなければ、あるいは、病院に向かう彼がタクシーに携帯電話を忘れなければ、その携帯を彼を個人的
にも慕い、後に彼の妻となるマネージャーの三谷に、取りに行かせなければ・・・。
この場面をよんでいて、歯がゆさとやるせなさに、胸が締め付けられる思いがしました。これほど悪いことが
重なることはあり得ることか?しかしこれは物語上の事とは言え、現実においても悲劇的な出来事は、往々にし
て悪い偶然の重なりによって、もたらされるとも思われます。
その意味では読書によって、このような理不尽な体験をすることは、私たちに実人生の不幸な場面での心の処し
方を、学ばせてくれるかも知れないと感じました。
2024年12月12日木曜日
「鷲田清一折々のことば」3073を読んで
2024年5月1日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」3073では
思想家、武道家内田樹の『だからあれほど言ったのに』から、次の言葉が取り上げられています。
知的であるためにはある種の無防備さが
必要だ
この言葉は、一瞬矛盾しているように受け取れます。でも、説明を読むと、なるほどとうなずかされ
ました。
内田によると、「無知とは知識の欠如ではなく、ジャンクな情報で頭がぎっしり詰まっていて新しい
情報の入力ができない状態」のことだそうです。
確かに、教育が皆に行き届かなかった過去においては、無知とは教育を受けることが出来なかった人
が陥る状態ということだったでしょう。しかし、ある程度の経済水準を達成し、義務教育制度が整備
された現在の日本では、原則としてこのような要因による無知を抱える人は、非常に少ないでしょう。
むしろ内田が指摘するように、マスメディアは言うに及ばず、SNSによる情報が氾濫する現代において
は、かえって無駄な情報によって頭がいっぱいになっている為に、本当に知るべき情報を入力出来ない
ということが起こりがちであるように思われます。
しかも今日は、社会の変化が激しく、新しく身につけるべき情報が膨大な量に達するだけではなく、
価値観の変容の速度もめまぐるしいために、必要な情報を正しく受け取る脳の態勢を整えることも、並
大抵ではないと推察されます。
では、この難題を解決するためには、どのようにしたらいいのか?内田は、ここではそのように仕向け
る教育の重要性を説いているようですが、なるほど学生の頃にそのような習慣を身につけることが重要
でしょうが、この問題は社会人になってからも付きまとう問題であると思われます。
私たちは、世に氾濫する情報をうまく整理して、その中から正しいものを受け取るようにするために、
自らの客観性や洞察力を常に鍛えなければならないと思います。
2024年12月5日木曜日
「鷲田清一折々のことば」3046を読んで
2024年4月3日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」3046では
詩人、思想家吉本隆明の長女で漫画家ハルノ宵子の『隆明だもの』から、吉本の次の言葉が取り上げ
られています。
「何か善いことをしているときは、ちょ
っと悪いことをしている、と思うくらい
がちょうどいいんだぜ」
ハルノが子供の頃、学校で赤い羽根募金があり、場の空気から何となく百円寄付したと父に告げると
「フフフン」と鼻であしらわれたと、この漫画家は本の中で回想しているそうです。
善いことも集団でなせば悪に転じうる。群れずに一人で淡々とやるのが一番強いと、父から学んだと
いうことです。
吉本らしい、少し斜に構えたようで、真理を突いた言葉であると感じました。「正義」は振りかざす
と悪になりうる。しかも数に物を言わせ押し通せば、暴力にもなりうる。このような事例は、枚挙に
暇がないと思われます。
もし自分が本心から「正義」を為したければ、単独で、少しカッコを付けるぐらいでさりげなく、
行うのが良いのではないでしょうか。そういう「正義」の行いは、ジワリと人々の心にも響くのだと
思います。例えば、『紅の豚』のポルコ・ロッソの行動のように。
2024年11月27日水曜日
京谷秀夫著「1961年冬」を読んで
雑誌『中央公論』の1960年12月号に掲載された、当時の天皇一家の殺害描写を含む深沢一郎の小説『風流夢譚』を
巡り、右翼青年の襲撃によって、中央公論社社長夫人が重傷を負い、家事手伝いの女性が命を落とした、いわゆる
「風流夢譚事件」の経緯を、当時掲載雑誌の副編集長の一人であった著者が回顧し、記述した本です。
60年以上も前の事件の詳細を、今更辿る意味があるのかと考える人もいるかも知れませんが、昨年も私の暮らす
京都で、天皇の肖像を燃焼させる表現を含むアート作品や、朝鮮人慰安婦像が展示された、「表現の不自由展」が
開催された時に、右翼団体が大量の街宣車を繰り出し、激しい抗議活動を行い、一時会場周辺が騒然とした出来事
を思い起こしても、決してこの事件は現代とは無縁とは考えられないと思われます。
さて、この事件の発端となった小説『風流夢譚』は、事件もあって書籍として刊行されていないので、私は読んで
いません。従って、内容は想像するしかありませんが、本書に記述された断片から推測されるところでは、夢物語
として天皇一家の殺害が、戯画的に表現されているといいます。
事件の一連の騒動を読み進めながら、私がまず感じたのは、ここには象徴としての天皇を一般個人とどう区別する
かという憲法解釈の問題があるかも知れませんが、どうして同時代を生きる実在の人物を殺害する描写を含む小説
を、大衆の目に触れる一般雑誌に掲載したかということです。
これは「表現の不自由展」の天皇に批判的な表現にも共通することですが、私はまず、個人の尊厳を守る前提が
あってこその表現の自由であると考えます。無論「風流夢譚事件」の頃は、左翼思想が民衆の共感を呼び、前年に
は日米安保闘争が学生のみならず、大衆的な広がりを見せた時でした。この小説の『中央公論』掲載も、そのよう
な背景を持ったことは考慮すべきでしょう。しかしこの行為が、抑圧的な勢力に言論弾圧の口実を与えたことも、
忘れてはならないと思います。
このような悲惨な事件から60年が経過してもなお、天皇を巡る表現には微妙な空気が付きまといます。これは天皇
の憲法上の立場が、戦後国家元首から象徴に変容しても、一定の日本人の心には、宗教的崇敬の対象としての天皇
像が残っているからでしょう。一人一人の個人の心情は尊重しつつも、天皇制についてタブーなく語り合える社会
の空気を醸成することが、この国の民主主義の深化につながると思われます。
2024年11月20日水曜日
「鷲田清一折々のことば」3136を読んで
2024年7月5日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」3136では
米国の政治学者ニコラス・クセノスの『稀少性と欲望の近代』から、次の言葉が取り上げられています。
私たちは、豊かさの中から稀少性に満ち
た社会を創り出してきたのである。
これだけでは、少し意味が分かりにくいですが、満ち足りた豊かな社会で、新たな需要を生み出すため
には、稀少性という購買力を喚起する原動力が必要であると、いうことのようです。
なるほど経済活動においては、本当に食料、物が欠乏している時には、欲望は自然に喚起されて、黙っ
ていてもそれらのものは消費されて行きます。例えばよく言われる例えで、喉の渇いた人には、一杯の
水が何より貴重であり、空腹を抱える人には、一片のパンが喉から手が出るくらいに求められるでしょ
う。
ところが人々の衣食住が一定程度満たされると、何も働きかけなければ、新たに物を求める衝動は、
簡単には喚起されないでしょう。そこで人々に商品を求める欲望を生み出すために、稀少性という魔法
が必要になります。
つまり、今買わなければ、これから二度と手に入らないとか、今のうちに買っておけば、価値が上がっ
て、後には高く売れるとかの、その品物にまつわる但し書きです。
私たちの資本主義社会は、このようにして延々と需要を喚起して来たのです。では私たちは、このよう
な誘惑にどのように対処すれば良いのか?
手を替え品を替えて、宣伝される情報に振り回されていては、お金がいくらあっても足りないし、後から
むなしさに囚われるかも知れません。そのような社会の仕組みを知って、喧噪から少し距離を置き、適度
に資本主義社会の利便性や、ほどほどに欲望の充足を享受しながら、堅実な生活を送ることが必要なので
はないでしょうか?
2024年11月14日木曜日
2024年11月度「龍池町つくり委員会」開催
11月12日に、11月度の「龍池町つくり委員会」が開催されました。
懸案事項の、鷹山日和神楽の龍池学区誘致については、町つくり委員で鷹山保存会でも主要な立場に
ある森さんに、時間を掛けて誘致の働きかけをして頂くということで、委員会としてはしばらくその
成り行きを見守るということになりました。
南先生の京都外大グループによる、大原学舎での星空学級の催事は、まだ準備が整わないということ
で、年明けにでも改めて日にちを設定して開催する、ということになりました。
また、大原での京都外大グループが関わられる行事としては、11月17日に地域の小学生が参加する
芋掘りが行われ、また日にちが前後しますが、16日には、各地の小規模小学校の関係者が参集する
サミットが開催されるということです。
委員会に出席された、京都国際マンガミュージアム事務局の方の報告によると、防災における地域の
避難所としてのミュージアム(旧龍池小学校)グラウンドに、設置予定のマンホールトイレは、工事
が大幅に遅れているようで、それに合わせて開催する予定の、本年度の学区民総合防災訓練の予定日
12月1日には到底間に合わないということで、訓練の日にちを改めて遅らせるか、日時が差し迫って
いるので、早急に検討することになりました。
最後に中谷委員長より、ミュージアムの敷地が西側の両替町通り沿いから、東側の烏丸通沿いまで、
約1m30cm傾斜している(西側の方が高い)ので、住民が多く暮らす両替町側から災害時に敷地に入る
時に車椅子などの高齢者には困難が伴う(現在は、階段を昇らなければミュージアムに入れない)と
いう指摘があり、従来の災害時の避難計画では、烏丸通り側から入ることになっていますが、この
課題も、改めて検討することになりました。
2024年11月8日金曜日
「鷲田清一折々のことば」3179を読んで
2024年8月18日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」3179では
兼好法師の『徒然草』第一三七段から、次の言葉が取り上げられています。
すべて、月、花をば、さのみ目にて見る
ものかは。
「月や花を見るのは目でとは限らない」ということのようです。
その場に行って、月や花を直接に見て、風情を楽しむ。勿論それが花見、月見の基本ですが、果たして
それだけが月や花を味わうことでしょうか?兼好法師はそのように疑問を投げかけています。
本当に十分に花や月を愛でるには、例えば古今の月や花を読んだ歌を知り、書画を観て、それらを巡る
素養を身につけてから鑑賞する方が、ずっと味わいが増しますし、奥行きが広がります。
また、ただ月や花そのものを見るだけではなく、その場の風情、雰囲気を含めて眺め、更には、月見、
花見の宴を終始距離を置いて「よそながら見る」ことを、月や花を見ることの極意と捉えているよう
です。
現代は、何事も効率と合理性を重視して、例えば現場に行き、月、花を美しく切り取った決定的なショ
ットの画像をものして、SNSにアップし、たくさん「いいね」をもらえたら、それで花見、月見も完結
というような風潮がありますが、兼好法師の主張は、私たちにものを愛でることの本質を、示してくれ
るようにも感じられます。
2024年10月31日木曜日
「鷲田清一折々のことば」3190を読んで
2024年8月30日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」3190では
仏文学者生島遼一の『鴨涯日日』から、友人の中国文学者吉川幸次郎の次の言葉が取り上げられ
ています。
「無用の事を為さずんば何をもって有限
の生を遣らん」
吉川から著書が届き、礼状を出したら上記の言葉を含む返事が来た、ということのようです。
この場合鷲田が記すように、「無用」は謙遜であっても、この心構えは敬服に値すると思います。
私たちは、日々の雑用、雑念にかまけて、ついつい人生が有限であることを忘れがちです。その
結果、瞬時の感情や短慮に動かされて、いたずらに右往左往してしまうのではないでしょうか?
ここに言う「無用」は本質的に無駄なことではなくて、熟慮の上に損得を越えて為すべきことで
しょう。それは、人生が限られたものであるということを十分に自覚した上に、目先の利益に
囚われず為すべきことであると考えます。
そのような心構えで日々を過ごせれば、きっと自分の人生の最後を迎えたときに、充実した生で
あったと、思い返せるに違いありません。
2024年10月23日水曜日
村上春樹著「風の歌を聴け」を読んで
前から気になっていた、村上春樹のデビュー作を読みました。ほとんど予備知識を仕込まずに読んでので、
幸いにもこの小説自体については、発表当時に近い感覚で読むことが出来たのではないでしょうか?
例えば、冒頭から登場する、主人公「僕」が敬愛する作家デレク・ハートフィールドですが、まんまと
実在の小説家と思い込んでこの小説を読み始め、末尾に添えられた”ハートフィールド再び・・・(あと
がきにかえて)”で、その思いを補強されて読了しました。
とにかく、そのような気分で読み進めると、中盤までは自意識ばかり強い、生意気な若者の、それでいて
青春期にしては消極的な生き方に、じれったさと、不快なものを感じました。
しかし終盤にさしかかり、これも著者の分身と思しい友人「鼠」が、自身が書いた小説について語る場面。
正にこの小説の題名もここから取られているのですが、小説家村上春樹の自ら能動的に働きかけるのでは
なく、開いた胸襟に飛び込んで来るあらゆるものを包摂して、物語を紡いで行く、小説作法の原点が語られ
ているようで、感銘を受けました。やはりこの小説は著者にとっても、それ以降の小説創作の指標となった
のではないでしょうか?
それ以外で村上の小説らしいと感じたところは、本作が「僕」の帰省先の阪神間の町を舞台にしているらし
いのですが、山を背景にした港町というその地理的条件が語られるだけで、地域特有の雰囲気や匂いが、
全然描かれていないということです。つまり逆にこの小説の舞台が、湘南の海岸であっても、アメリカの
ウエストコーストであっても、一向に差し支えないと思われます。それだけこの物語が、内面の世界を取り
扱っているということでしょう。
さて、読後デレク・ハートフィールドが虚構の人物であることを初めて知って、私は著者がこの作品を構築
する前提として、実在感のある架空の人物を生み出した理由を考えました。物語自体が一瞬の夢であること
を示したかったのか?あるいは読者を欺くことによって、小説というものが虚構の企みであることを強調し
たかったのか?
いずれにしても、村上春樹の小説作法には、ブラックボックスのような全ての事物を呑み込む空間を設定し
て、その中から物語が立ち現れるような、技巧が凝らされているように思われます。恐らくこの設定も、
その手段の一つであったのではないでしょうか?
2024年10月17日木曜日
京都高島屋グランドホール「第71回日本伝統工芸展京都展」を観て
毎年、日本伝統工芸展は楽しみに拝見していますが、今回特に感じるところがあったので、このブログで
取り上げてみました。いつものように、私が興味を持っている染織部門につて、感想を書いてみます。
今回特に感じたのは、全体のイメージとして、ほとんどの作品が極力無駄をそぎ落とした洗練やモダンさ、
つまり引き算的な美学に傾いている傾向があると、思われたことです。
勿論、織物の作品は、制作上の制約によって、幾何学的な模様表現になり勝ちであるのは、致し方ない
ことです。それでも配色や、手織り的な味を強調するような、素朴な表現も可能だとは思われます。
また友禅染の作品では、細かく鋭い糸目の線が強調されて、技巧としての巧みさや、労力をふんだんに
掛けていることは十分に伝わってきますが、作品の柔らかさ、豊穣さという点では、何か物足りなく
感じられました。
長引く不況、生活習慣の変化によって、伝統工芸品に対する一般の人々の見る目が厳しくなっている現在、
そのような環境での物作りは、大変な困難を伴うものだと、私のような和装業界の片隅で活動するものに
も、ひしひしと感じられます。
でもそんな時代だからこそ、手工芸品を制作する喜びや、手仕事ならではの素朴さ、些事に囚われない
おおらかさが、それを手にして、愛用する人に、十分に伝わる作品があってもいいのではないでしょうか?
生意気にも、そんなことを感じたので、記してみました。
2024年10月10日木曜日
2024年10月度「龍池町つくり委員会」開催
10月8日に、10月度の「町つくり委員会」が開催されました。
本日の議題はまず、鷹山日和神楽の龍池学区誘致について。本日の議題として取り上げるに先立ち、まず町作り
委員でもあり、鷹山囃子方でも重要な役を担われる森さんに、改めての誘致の可能性についてお尋ねしたところ、
前回誘致の可否を龍池自治連合会理事会で議題として取り上げたときに、誘致に慎重な姿勢を示された、学区内
の山鉾町の役員の方の賛同があれば可能であろうという言質を得たので、私がその山鉾町である役行者山町の
世話役の方にお目にかかって意見を聞いたところ、前回も誘致反対が本意では無く、環境が整えば話を進めれば
いいのではないかというお返事だったので、当委員会で改めて取り上げることにした次第です。
そのような経緯から、今日の委員会には森さんにも出席頂き、経緯を説明の上、改めて誘致のお願いをしました。
それに先立ち、中谷委員長より、鷹山の日和神楽が当学区を通行することは、学区の活性化に寄与するに違い
ないが、そのような決定をすることが鷹山側にとっても有益であるようにしなければならない。その点も考慮して
慎重に話を進めるべきだ、という意見が出て、それに従いこの企画を成功させるためにじっくりと取り組むことに
なりました。
具体的には、当学区の夏祭りの催しとして、鷹山の囃子方に参加してもらうとか、鷹山のメンバーを招いて、大原
郊外学舎でバーベキューパーティーを催すなどの行事を企画して、親睦を深める機会を作るということなどが例と
して挙げられます。また学区内でも、各町会長も集まられる拡大理事会で、日和神楽誘致の意義を分かりやすく
説明して、学区の総意としての理解を深めることも必要です。これから当委員会で、これらを円滑に進める方策に
ついて検討していきたいと考えます。
南先生の京都外大グループの大原学舎での催事企画については、まだ具体的な日程は決まっていませんが、近い
タイミングで、「青空学級」という催しを開催するため、準備を進めていく。そのために案内の学区内全戸配布や、
告知ポスターの掲示のために、町つくり委員の協力をお願いしたいという、お話がありました。できる限り協力を
したいと思います。
マンガミュージアム事務局からは、北館の雨漏り対策として、10月15日から18日まで、ミュージアムを休館
して保修作業を行うという報告がありました。
2024年10月1日火曜日
河合隼雄著「対話する人間」を読んで
平易で分かりやすい言葉で、人の心の不思議や、それが人間関係に及ぼす影響を、かつて私に知らせて
くれた、心理学者で、臨床心理士・河合隼雄の未読の書籍を、刊行から約30年を経て読みました。
見覚えのある懐かしい語り口に温かさを感じながら、その内容においては、30年の時間を経ても不変の
ものと、現在に至っては、日本人の生活環境が更に複雑になっていることを、実感させられました。
本書は、彼がメディア等の依頼で執筆した文章や、講演の内容をまとめたものですが、相変わらず深い
洞察力を有し、私にとっても示唆に富むものが多くありました。
特に感銘を受けたものをここに記すると、まず30年前のこの当時において、日本人の父親の権威喪失の
原因が記されています。つまり、それ以前の伝統的な家父長制大家族から核家族化が進むと、父親は
敬うべきものであるという、制度としての重石が次第になくなって、慣習として護られていた権威が
剥げ落ちます。
更に、時代の急激な変化は、父親が子供に対して保っていた、人生経験による優位を変容させ、つまり、
技術革新が、親より子の方が最新の知識を有する現象を生み出し、結果として、親の権威を薄めさせ
ます。そして、労働形態のサラリーマン化が進むと、父親が働く姿を直接子供が見る機会が益々少なく
なり、これも父親の権威喪失を促進するというのです。
この傾向は、両親の不和、子供の登校拒否、家庭内暴力などの家族問題に、大きな影を落としていたの
です。
だが現在この記述を読むと、当時の一般的な家庭の抱える問題の、適確な説明として納得させられると
共に、今日は更に家族の分断が進んで、孤立する子供が増加しているように推察され、30年前の問題は、
なお深刻度を増しているように、思われます。
また河合が本書を刊行した頃は、有名人のスキャンダルを取り上げる写真誌が人気で、発行部数を競っ
ていたようで、この社会問題の深層心理を、分析する文章も記載されていますが、これらの写真誌の
売り物記事の特徴は、盗撮まがいの迫真性を持った写真に、責任をはぐらかした無記名の野次馬的な
記事を添えていて、読者の無責任な好奇心を煽る仕掛けになっています。
そして読者たる大衆は、有名人の不祥事を知らされて義憤を抱くことによって、正義感を満たされ、
ストレスの解消にもつなげられます。
この写真誌を巡る心理は、今日のSNSの普及によって、規模においても、強度においても、圧倒的に
増強されていると、思われます。
2024年9月26日木曜日
「鷲田清一折々のことば」3041を読んで
2024年3月29日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」3041では
服飾ブランドmatohuの動画《手のひらの旅》から、能登半島の輪島塗塗師・赤木明登の次の言葉が取り
上げられています。
本当に必要なものは、この自然の奥行
き、もしくは完璧さの中にちゃんと用意
されている、ということを信じている。
能登半島地震で激甚な被害に見舞われても、この塗師は自然に寄り添う工藝の力を信じて、自らを鼓舞
しようとしているようです。
輪島塗が自然の力を借りて、形成、発展してきたように、自然は本来豊かで、たおやかで、そして時に
猛威を振るうものであったならば、それらを全て受け入れて、そこから再生し、発展しなければならない
ということでしょうか?
ことに現代は、利便性、効率性が優先されて、工藝のような手作りの品物の価値が、顧みられなくなって
います。だからこのような逆境の時代に、根こそぎ痛めつけられた、輪島塗を復興することは、並大抵で
はないでしょう。
それでも尚かつ、この伝統工藝品を再び盛り上げるには、現代に通用する新しい価値を創造しなければ
ならないはずです。そのヒントが、その品を購入して、使ってみようという人に、自然本来の価値を再
発見させるようなものとして動機付けられるなら、それは素晴らしいことだと思います。
それにしても再び、能登半島を襲った豪雨、工藝に携わる人々の熱い気持ちが持続することを、切に願い
ます。
2024年9月19日木曜日
古井由吉著「楽天記」を読んで
老境を迎えつつある思索的な作家の日々を綴る、現実と内面世界のあわいを描くように思われる、長編小説
です。
まず私の心に残ったのは、この作品に流れるゆったりとした時間です。本書が書かれたのが30年以上前なので、
現在と単純に比較は出来ませんが、もう作家自身が死去しているとは言え、もし彼が現在存命だったとしても、
彼の内面にはやはりこのような時間が流れているだろうと推察させる、そのような普遍的なリアリティがあり
ます。
そして本書執筆当時の作者より10歳以上年老いている今の私にとっても、このようにゆったりとした老境で
生死を見つめることは、一つの適わぬ理想であると感じられました。
とはいえ私も老境にさしかかり、作者の綴る心境には、共感できるところも多くありました。まず、旧友の父
の晩年の様子について。伴侶を先に失い、絶望の余り一時俗界との交渉を断つ有様などには、私の人生の経験
の上からも、悲哀を伴ってうなずけるところがありました。
また大学教授であったこの旧友が、体調を崩し連絡が取れなくなった時に、彼の消息を尋ねようと主人公に
近づいた謎の女性。主人公は友人の妻とも親交があるために、この女性に対して慎重な対応をしますが、正に
私も友人の異性関係で微妙な立場に立たされたことが、懐かしく思い出されました。
そして、その友人が突如として亡くなった時には、私も自分の人生の中で失った親しい二人の友の面影が思い
浮かんび、それぞれの印象的な思い出、あるいは亡くなった時の経緯、感慨が蘇り、心なしかしんみりとした
想いに包まれました。
最後に主人公が脊椎狭窄症の手術で入院するくだり。手術前の緊張感や、術後麻酔が覚めた後の感覚が覚醒する
様子、徐々に傷が癒え、身体機能が復活する過程など、私の大腸がん手術の体験と通じるところがありました。
恐らく、ある程度の人生経験を積まなければ、本書のしみ出すような悲哀を帯びた滋味は、味わえないところが
あり、その点でも、本書購入後かなりの時を経て読んだことには、意味があると感じられました。
2024年9月11日水曜日
2024年9月度「龍池町つくり委員会」開催
9月10日に、9月度の「龍池町つくり委員会」が開催されました。
まず、京都外大グループとの大原学舎での催事計画についての報告は、南先生が現在海外出張中のため、
具体的な進展はありませんでしたが、順次これから計画を詰めていくということでした。
また、大原自治連からの龍池学区自治連との連帯を深めたいとの申し出について、過日南先生が現地で
大原自治連の副会長と話し合われた内容は、現地で大原と龍池が連携して催しを行い、その企画段階に
京都外大グループが関わるという形で進めるというもので、その是非が当委員会で本日審議され、
各委員からも賛成が表明されました。
問題は、当学区からかなりの距離があり、交通の便も良くない、京都の郊外にある大原地区まで、どの
ようにして催しの参加者を連れて行くかということで、参加者各自が公共交通機関で参加するのみなら
ず、25名ぐらいが定員の京都バスをチャーターすることも検討され、コロナ禍も一段落しているので、
企画の魅力と勧誘の方法によっては、それぐらいの人数を集めることも可能かということで、引き続き
京都外大グループに、魅力的な企画を立案して頂くよう努力して頂くことになりました。
鷹山の日和神楽の龍池学区への誘致については、最初に鷹山保存会から打診があった時には、学区内の
一部から異論が上がったために、辞退した経緯もあり、新たにどのような形で保存会の方にアプローチ
していくかということを、当学区在住の鷹山の関係者とも綿密に協議して、今回は実現するように、
慎重に計画を進めていくことになりました。
2024年9月5日木曜日
「鷲田清一折々のことば」3034を読んで
2024年3月22日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」3034では
未来の人類研究センター編『テクノロジーに利他はあるのか?』から、美学者・伊藤亜紗の次の言葉が
取り上げられています。
漏れてしまうものがあるということが、
社会性を生み出すと思うんです。
何事もきっちりと型にはめ込んだり、こうでなければならないと規定してしまうと、その中では瑕疵
なく、無難にことが運んでも、そこから派生して生み出されるものは得られない。
人間の社会活動も、決して無機的なものではなく、生物の一種による有機的な活動であるのだから、
そこからあふれだし、漏れ出るものが必要なのでしょう。
ところが現代の社会では、出来るだけ無難に、当たり障り無く物事を行うことが求められているように
感じられます。
なるほどそうすれば、一見問題なく、スムーズにことが運営されるように見えるけれど、それでは
意外性もなく、発展性もなく、面白味もないように思われます。
私も出来れば、もっと人間くさく、土臭く、ぬくもりのある人との関係を築いていけたらと、思います。
2024年8月28日水曜日
「鷲田清一折々のことば」3028を読んで
2024年3月15日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」3028では
タイの少数民族ムラブリの研究者伊藤雄馬の『ムラブリ』から、次の言葉が取り上げられています。
人間は意味のないことをやりとりすると
きにこそ、仲がよくなる。
そういえば私も、自宅から出かけたり、帰ってきたとき、ご近所の人と他愛ない言葉のやりとりを
して来たものです。
曰く、「今日は暑いですね。」「いい天気ですね。」「お早いお出かけで。」などなど・・・
決して相手から明確な返答を期待している訳ではないけれど、でもこう問いかけて、帰ってくる答え
に相づちを打つ。それが何気ないコミュニケーションであり、相手への気遣いなのでしょう。
でも、何か日常生活にせかされるようになり、心の余裕もなくなってきたのか、最近はただ単に挨拶、
更には黙礼だけでご近所の人とすれ違うことが多くなりました。
新型コロナウイルス感染症の蔓延によって、なるべく他者との接触を減らすことを求められた、時期
があったということも影響しているのでしょうが、上記のことばのように、他愛ない言葉のやりとり
を減らすことは、他者との関係を希薄にするのだと身をもって感じます。
また少し、道で出会った人との会話を増やすように、心がけましょうか。
2024年8月20日火曜日
近藤一博著「疲労とはなにか」を読んで
私自身65歳を過ぎて、日々疲労を感じやすくなると共に、疲労というものが感覚的なものであるという思いを
強くして来ました。というのは、健康診断を受けても、体調のバロメーターとなる体重、血圧、血液の諸数値
などは数字で示されるにも関わらず、疲労度というものは、自分自身の感覚でしか認識出来ないものと、実感
して来たからです。それ故本書の、疲労とはなにかを生理科学的に探求するという命題に大変興味を持ち、頁
を開くことになりました。
のっけから驚かされたのは、日本と欧米の疲労の受け止め方の違いです。つまり欧米人には、疲労を感じる
まで労働することは自己管理の欠如という感覚があり、疲労の科学的研究も重視されてこなかったといいます。
疲労をある意味美徳とも受け止める日本人によって、疲労の研究が積み重ねられて来たことは、怪我の功名と
言えるかも知れません。
さて疲労は、生理的疲労と病的疲労に大別出来、生理的疲労は日常私たちが感じる疲労です。この疲労のメカ
ニズムは、体の末梢組織で起こった様々なストレスに反応して炎症性サイトカインが生成され、これば脳に
入ることによって、ストレスに対抗してタンパク質の合成を起こらなくすることで、この時当人は疲労感を
持つというものです。
すなわち、自身の体に与えられた筋肉の過剰な疲れやウイルスの感染、怪我などのストレスに対抗して、状況
をより悪くしないために、新たなタンパク質の生成をストップするという反応だということになります。これ
はつまり、疲労感を感じた時には状態が改善するまで、体を休めた方がいいということです。
ここでも驚かされたのは、この疲労の程度を測定するために著者たちのグループは、人間の体内に潜伏する
ある種のヘルペスウイルスが、疲労に伴って再活性化する性質を利用する方法を発見したことで、これによっ
て疲労の研究は、画期的に前進したということです。
また病的疲労は、慢性疲労症候群やうつ病、新型コロナ後遺症など、正に今日的な疾患ですが、著者たちは、
続いて先ほどのヘルペスウイルスの持つ遺伝子が、慢性疲労症候群とうつ病の原因物質であることを突き止め、
新型コロナ後遺症においても、同様の性質を持つ遺伝子を、新型コロナウイルスが有していることを発見した
のです。
これらの原因遺伝子は脳内炎症を誘発して、慢性的な疲労感をもたらすといいます。体内に潜伏するウイルス
が、人の気分をも支配するという事実には驚きを禁じ得ませんが、人間は自らの肉体のみならず、体内の細菌
やウイルスと共生することによって、初めて生命を維持することが出来るという現実に、改めて気づかされた
気がしました。
2024年8月14日水曜日
2024年8月度「龍池町つくり委員会」開催
8月13日に8月度「龍池町つくり委員会」が開催させました。まずお詫びすべきは、7月度「町つくり委員会」の
報告を、このブログに掲載することを失念したことで、前回は特筆すべきことはなかったので、今回敢えて
触れることはしまあせんが、以降出来るだけ毎月の委員会の報告を掲載するようにしたいと思います。
さて、今回最初に報告を受けたのは、南先生の京都外大グループによる、祇園祭の役行者山のお手伝いについて
で、大原郊外学舎で行われた消防分団主催のバーベキュー・パーティーに参加されたメンバーが、そのとき消防
分団員で、祇園祭における役行者山責任者でもある林さんのお誘いを受けて実現したものです。
その報告によりますと、メンバー6名ほどが、祇園祭後祭りの期間の3日間、ちまき作り、物販、巡航手伝いに
参加されたということで、皆さん今までに祇園祭を観ることはあっても、行事に参加することは初めてという
ことで、貴重な体験であったということを実感を持って語ってくれました。
また気づいた点として、祭りの担い手が減少していて、外部の者が積極的に手伝う意味が増していること、以前
に比べて外国人観光客が増えて、英語等での案内表示があれば、彼らにもっとこの祭りを楽しんでもらうことが
出来るのではないかという意見が出ました。
来年以降も、南先生のグループは、町つくり委員会の一員として、役行者山のお手伝いを続けて頂けるという
ことで、当委員会は鷹山の日和神楽の龍池学区通行の実現を目指していますので、学区内の他の山、役行者山、
鈴鹿山の各町内に理解を得る為にも、この活動を継続したいと考えます。
次に、町つくり委員会主催の催事として、南先生より、10月あるいは11月の土曜日の夜2時間ぐらい、大原学舎
で龍池学区の子供と保護者対象の天体観察イベント「夜空学級」を行いたいという提案がありました。これは、
子供たちに星座についての説明を行い、その後実際に夜空を観ることによって、天体に興味を持ってもらうと
いう趣旨の活動で、参加者は各自家族単位、弁当持参で、自家用車等で現地集合してもらう予定ということです。
この計画を進めるということになり、次回の「町つくり委員会」で更に詳細を詰めることになりました。
2024年8月2日金曜日
丸谷才一著「樹影譚」を読んで
川端康成賞受賞の表題作を含め、三編からなる短編小説集です。やはり作者は、素晴らしい技巧の持ち主と感じ
させられ、それぞれ隅々まで目が行き届き、さながら磨き上げられた工芸品の趣があります。
40年近く前の作品ですが、短編の創作技術という意味では、現代を上回ると感じられます。つまり、現在のそれ
は形より感覚が重視され、また世の中が更に複雑化、個別化して、その結果主題が表層化、それでいて細分化
されて、奇をてらったり、意表を突くような語り口が重視されているように感じられます。その点本書の三部作
には、『夢を買います』が少し現代的ですが、オーソドックスに人間心理の深層や人の交わりの機微を掘り下げ、
読後に滋味を感じさせるところがあります。
さて三部作の中でも、やはり一番印象に残ったのは、頁数も最も費やされている表題作『樹影譚』で、景色の中
で壁に映る「樹の影」が、なぜ特定の人を惹き付けるのか、という疑問を契機として編まれた短編小説です。こう
して改めて問いかけられると、私にとっても壁に映るそれも適度な濃度の木の影は、穏やかさや、懐かしさを感じ
させると思い至ります。
大体が木陰というものが、強い日射しや暑さから人を護るという意味で好ましいものと考えられ、風景画などでも
「樹の影」は魅力的なものとして描き込まれている場合が多いです。更にその影が壁に映るとなると、それは人に
限定された特別な情景を思い起こさせることになるでしょう。
この短編では、この主題に対する作者の文学的な博覧強記を提示した後、作者自身の創作した物語へと移って行き
ますが、その物語の主人公、幾分作者本人を投影していると思われる、小説家、文芸評論家古屋逸平は、故郷に
帰省した折に、彼の読者というある旧家の老女の元を訪れ、嘘とも誠ともつかぬ自身の出生の秘密を聞かされます。
そして半信半疑の内に、彼にこの話を信じさせる根拠となるのが、この「樹の影」の記憶なのです。
物語の結末近くに至り語りは一気に暗い熱を帯び、彼の記憶は、混乱の中に遠く前世まで遡って行きます。人間の
深層心理の不思議をえぐり出す、傑作であると感じました。
2024年7月26日金曜日
「鷲田清一折々のことば」3021を読んで
2024年3月8日付け朝日新聞朝刊「鷲田清一折々のことば」3021では
劇団「変態」の情報誌「IMAJU」(第81号)から、比較文学者西成彦の次の言葉が取り上げられています。
過去の古傷とともに生きる生き方を身に
つけるのが、老いるということだ。
確かに人は生きる上で、様々に心身を傷つけられ、それにじっと耐えて生きながらえてきたに違いあり
ません。
特に「弱者」という立場にある人は、なおそのような逆境に立たされる機会が多いと思われます。でも
ここで言うところの「弱者」は、何も特定の限られた人ではなく、逆に大多数の人が「弱者」で、それ
こそ「強者」こそがごく限られた一部の人でしょう。
このように考えると、大部分の人が心に傷を負い、それに耐えながら生きて、年老いていくことになり
ます。
でも傷つき耐えるということを、何もネガティブにだけ捉える必要は無いのではないでしょうか?
つまり、人にはこのような逆境に耐えて、自分の心が鍛えられていくという側面もあると、思うのです。
そのように古傷をうまく飼い慣らし、自分の心の糧として生きていく。そうすることが出来たら、自らが
「弱者」として被った悪意を再生産して、他者を「弱者」に仕立て上げることもせずにすむでしょう。
少なくとも私はそのようにありたいと、心がけていきたいと思います。
2024年7月18日木曜日
「鷲田清一折々のことば」3015を読んで
2024年3月2日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」3015では
フランスの批評家ロラン・バルトの『記号の国』から、次の言葉が取り上げられています。
贈られる物は中味ではなく、その箱であ
るかのようだ。
この批評家は日本を訪れ、人々の贈答行為、とくにその包装に強い印象を受けたといいます。
木や紙の箱に入れられた贈答品は、のし紙をかけた上に、水引できれいな結び目を付けて結ばれ、
さらに美しく折り目を付けた包装紙で包まれて、相手に渡されます。
このような習慣のない欧米人には、時には、中味よりも包装装飾の方が立派に見えるかも知れま
せん。
でも日本人のこの習慣は、相手に贈る品に更に値打ちを付けるために、行われていると推察され
ます。
つまり贈答品に、相手への真心、敬意を加味することによって、よりこの行為のかけがえの無さ
を演出していると思われるのです。
物を贈るという行為にも、贈り主が満足することよりも、相手が喜ぶことを第一に考える。相手を
まず立てるという日本人の習慣は、良きにつけ悪しきにつけ、廃れて来ているように感じられます。
それは仕方の無いことかも知れませんが、私は少なくとも、真心を込めて贈られるにふさわしい
私の店の商品を、これからも提供して行きたいと考えています。
2024年7月11日木曜日
「鷲田清一折々のことば」3002を読んで
2024年2月18日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」3002では
作家多和田葉子の随想集『カタコトのうわごと』から、次の言葉が取り上げられています。
感性は思考なしにありえないのに、考
えないことが感じることだと思っている
人がたくさんいる。
そういえば我々は、感性といえばただ感じることで、考えることとはまた別だと思い込んで
いる場合が多いと思われます。でも感じるためには、思考を通して感性を鍛えることが必要
なはずです。
ではどうして、このような捉え方が生まれたのか?私が思うに、一つは瞑想を重視するよう
な仏教的な思想によって、自然のありのままを感じることが何よりも必要というような、
無念無想を奨励する価値観を身につけているから。
あるいは、このコラムでも取り上げられているように、日本人が男性的な固い思考に拘泥し
て、女性的な柔らかい思考を感性という言葉で括って、一段下に見ているから?
いずれにしても、現代社会では、ますます美意識や柔軟な思考によって鍛え上げられた、
感性の価値が増しているように思われます。
私たちは常に前向きに、感性を磨き上げるべきでしょう。
2024年7月5日金曜日
森田真生著「数学する身体」を読んで
私自身大学は文系の学部に進んだので、数学を学んだのは高校生の時までで、それ以降はどちらかというと
数学と無縁の生活を送って来ました。だからどこかで、数式を見ても何かよそ事のように思ってしまうとこ
ろがあります。
そんな私が本書を手に取ったのは、数学に苦手意識はあるけれど、現代のような高度にIT化された社会では、
数学的思考法が必要ではないかと考え、そのようなものに少しでも近づけたらと思っているからでもありま
す。
さて本書を読んで、私に数学というものへの知的想像力が足りないからか、何か核心に触れられないもどか
しさと、消化不良のような不全感を感じました。しかしその反面、すんなりと腑に落ちた部分もあり、知的
好奇心をかき立てられた部分もありました。その相反する感覚がモヤモヤと後を引いていますが、ここでは
それが正しいかは別にして、本書によって自分が納得させられた点、知的な刺激を受けた点について、書い
てみます。
まず数学が、数の計算という実用から始まったことは、私でも想像がつきます。人間は手の指が10本、足の
指が10本なので、それ以上の数を正確に把握するために、計算法が生まれました。また数学における十進法は、
人間の身体の構造から自然に導き出されたのでしょう。この点において、数学が身体と深く結びついた学問で
あることは理解出来ます。
そして古代ギリシアで幾何学的な証明が発達したことは、ギリシア哲学とも密接に関わり、近代ヨーロッパ
思想、資本主義的科学技術の発達の礎となったのでしょう。また後に数式に記号が取り入れられて、数式が
個別の計算式から普遍性を追求する手段となって行ったのも、まだ自然な流れとして理解出来る気がします。
しかしそこから数学の発展が概念化を生み出し、更に電子計算機の誕生へと発達していく過程は、専門的過ぎ
て私には雲をつかむようでした。
ところが、電子計算機という究極の計算する機械が、心を持つ可能性を示した数学者チューリングについての
記述は、私の好奇心を大いに刺激しました。つまり、暗号の解析のために高度な計算を限りなく繰り返す電子
計算機が、その過程の学習を通して、人間の心に近い能力を獲得する可能性がある、ということです。
これは現代のAIの発達の原型でもあり、高度化して人間の身体性を排除した数学が、再び身体へと回帰したと
いうことでしょうか?また次の章で取り上げられた、日本を代表する数学者岡潔は、数学から出発して東洋的
思想へと至る、正に数学的思考と身体の調和を体現した人物かも知れません。
2024年6月26日水曜日
「鷲田清一折々のことば」2974を読んで
2024年1月20日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」2974では
ドイツ文学者種村季弘の「雨の日はソファで散歩』から、次の言葉が取り上げられています。
身の回りの一つ二つのものを捨てれば、
かなりの程度世を捨てられるし、世から
捨てられるのである。
私たちは、圧倒的にものに囲まれた世界に生きています。それを実感したのは、私が生まれ
育った明治時代に建てられた京町家を取り壊し、新しい住居兼店舗付き集合住宅に建て替えた
から。
旧居の老朽化と、家業を継続するために、当初は断腸の思いで決断したのですが、実際に建て
替える課程で、一番心痛を感じたのは、長い年月の間に家の中にため込まれた、曾祖父時代
からの古道具類を処分することでした。
現実に捨てるとなると、それぞれの品物にまつわる私の幼い頃からの記憶がフラッシュバック
して、身を切られるような切なさ、裏さみしさを覚えざるを得なかったのでした。
全てを処分してからは、一種の空虚感、心にぽっかりと穴の開いたような、どうしようもない
やるせなさを感じました。
そして2年ほどの歳月が流れた今、改めて振り返ってみると、ある種のしがらみを逃れたような、
前向きで清々しい気持ちでいられる自分を感じます。
古い生活を守っていける余裕があるなら、それも素晴らしいのですが、私は今現在、悔いは無い
と思っています。
2024年6月19日水曜日
唐十郎著「佐川君からの手紙 舞踏会の手帖」を読んで
本書を私の本棚の片隅に眺めながら、長年読まずに来たのに、今回手に取った理由は、先日フェースブックで、
佐川一政氏の弟と思しき人の現在の姿を伝える記事を見たからで、その記事の中で一政氏や両親は既に亡くなり、
弟さんだけが取り残され、単身夢の跡のような日常を送っているということでした。それで、最後の後押しを
された気分で、本書を読み始めたのです。
劇団状況劇場のテント公演で全国を股にかけ、一世を風靡した劇作家唐十郎の1983年度芥川賞受賞作の小説で、
その当時購入した単行本なので、今は亡き吉行淳之介や大江健三郎の評が帯に添えられています。私の記憶では、
本書自身が世間の大きな反響を呼んだのは、1981年6月にパリ在住の日本人留学生佐川一政被告がーオランダ人
女子留学生ルネ・ハルテヴェルトを射殺、遺体を電動肉切り器で切り刻んで食べるという、いわゆるパリ人肉食
殺人事件の被告本人がー、著者がこの事件を映画化する噂を聞いて、著者宛てに手紙を送って来たことにイマジ
ネーションを得て、本書を執筆したからで、2年前に日本全国を震撼させたあのショッキングな事件と、唐十郎
という希代の人気劇作家が直接的につながる形での小説誕生に、センセーショナルな期待が高まったからでしょ
う。
実際に唐十郎は、佐川被告の手紙での呼びかけに答えるようにその当時のパリを訪問し、刑務所で面会を試み
ながら果たせず、そのことを本書にも記述していますが、まず忘れてはならないのは、この小説が色々な要素
から一見実録小説に見えながら、実際は著者一流の幻想小説であるということです。
つまり、著者は被告の手紙や事件の記録、現場に佇んだ実感をヒントにして、空想の翼を縦横に広げ、虚構の
演劇空間としてのこの物語を作り上げているのです。それが証拠として、唐十郎は小説の中に、自身の祖母から
イメージされたK・オハラという架空の登場人物を創作し、この異国で絵画のヌードモデルとして生計を立てる、
輝かしい裸身を持った若い日本人女性は、佐川被告の人肉食殺人事件に深く関与するのですが、この女性が事件
に絡まることによって、肉感的で生々しく、残忍な出来事は、グロテスクではあるが耽美的な事柄へと見事に
すり替えられているのです。
著者の鮮やかな手さばきに、感心させられる小説です。
2024年6月12日水曜日
2024年6月度「龍池町つくり委員会」開催
6月11日(火)に「龍池町つくり委員会」が開催されました。
今回は、前回に決定した、短期的視点、長期的視点に則って、話し合いを進めていきました。
まず、6月20日(木)に開催される、自主防災会の総会に合わせて、マンガミュージアムに貯蔵する水、食料
等災害用備蓄品の量、扱いについて議論を進めました。これは前回の拡大理事会で、能登の災害ボランティア
として参加した経験のある、ある町会長さんから、当学区の水の備蓄はどれぐらいの量であるかという質問が
あり、その答えにそれではとても足りないのではないかという意見が出されたからです。
当学区の避難所マンガミュージアムは、ビジネス街に隣接しており、またミュージアムという機能からも、
もし日中に地震災害が起これば、大変多くの避難者が殺到する可能性があります。しかしそれに対して、現在
のところ水、食料の備蓄は限られ、その量で避難者に対応するには、心許ないところがあります。
まず、当委員会にはマンガミュージアムの事務長も参加して頂いているので、避難所開設時の事務局の役割に
ついてお尋ねしたところ、ミュージアム側はあくまで器としてこの施設を提供し、実際の避難指揮については、
龍池自治連の連合会長に従うということ。ミュージアムに想定されている避難者数は409名であること。この度
京都市より下水を利用したマンホールトイレ5基が設置されますが、その使用限度数が1日50回で、5基で50回X5
の250回であることが報告されました。
実際の災害時には下水が使用可能かも分からず、またダンボールベッド、毛布等の休息用の備品も少ないのです
が、それらに代用するものを如何に充実させていくか、また水、食料等はあくまで予備用で、学区民一人一人
に、各自で備蓄するように働きかけること、これらのことが確認されると共に、来る自主防災会総会で、各町
会長に説得力のある説明をすることが、必要であることが認識されました。
長期的視点に立った活動計画である、京都外国語大学南先生との共同事業は、本日は南先生と一緒に協力して
くれる、OB、現役生さんそれぞれとの顔合わせがあり、次回以降に具体的な活動計画を練っていくことになり
ました。
2024年6月4日火曜日
高畑勲著「映画を作りながら考えたこと」を読んで
ご存じ、宮崎駿と共に、数々の名作アニメを生み出した、スタジオ・ジブリの中心メンバーで、アニメ映画
監督、プロデューサー高畑勲の携わった映画についての論考、対談等をまとめた本です。文字通り映画制作
の舞台裏を語ったもので、それ自体に、例えば優れた創作作品に接した時のわくわくするような気分は感じ
られませんが、本書を読むことによって、慣れ親しんだあのジブリ映画が生まれた背景、制作者の意図が
より深く理解出来て、個々の映画を初めて観た時の感動が蘇って来るのを感じました。その意味で大変幸福
な読書体験でした。
本書によって気づかされたことは色々ありますが、まず最初に印象に残ったのは、高畑勲と宮崎駿が東映動画
の組合活動を通して出会ったということです。当時のアニメーターの厳しい労働環境への問題意識を二人が
共有していたということで、以降のジブリ作品の根底に、社会問題への真摯な問いかけが存在していることに、
改めて納得させられました。
また、このことにも通じますが、宮崎駿が自らの原作を映画化して「風の谷のナウシカ」を完成させた時に、
プロデューサーとして参加した高畑が、映画の完成度を30点と、かなり辛口に厳しく採点したことが挙げられ
ます。
この映画は、近未来の核戦争によって荒廃した世界に生きる一人の勇敢な少女が、その世界においてもなお
武力を行使し、覇権を競う人々が招いた人類滅亡の危機から人々を救う、哲学的で深遠なテーマを有する原作
を、壮大なスケールで迫力たっぷりに、それでいて詩情豊かに描いた傑作で、この作品によって宮崎監督の名
は一躍有名になりましたが、高畑は敢えて、彼の更なる環境問題への鋭い切り込みの可能性を信じて、この
ような採点をしたのでしょう。
次に感銘を受けたのは、高畑自身が監督をした「火垂るの墓」の制作意図として、戦中の食糧不足の中で、
主人公の少年が幼い妹を連れて辛く当たる遠縁の未亡人の家を飛び出す場面、この少年の行動が、忍耐を美徳
とするのではなく、誇り高く現代的で、現在の若者にも共感を得やすいのではないかと述べている部分で、彼
が制作当時の若い世代に、戦争の悲惨さを如何に訴えかけるかということに、切実に腐心していたことが窺え
て、改めて感心させられました。
2024年5月29日水曜日
NHK夜ドラ「VRおじさんの初恋」を観終えて
久々に深い余韻を残す、ドラマを観ました。といっても、初回から観た訳では無く、偶然放送されて
いる時間にテレビをつけると、ぎこちない表情のセーラー服の少女と、奇抜な服装の明るい美少女が、
幻想的な空間で、親密なようでたどたどしい会話を交わしていて、その特異な映像表現に引き込まれ
て、結局最後まで観ることになりました。
実は、セーラー服の少女は、さえない中年サラリーマン直樹のVRの中でのアバターナオキで、美少女
は、社会的成功を収めながらも、一人娘と断絶して、さみしい老後を過ごす、余命宣告を受けた老人
穂波のアバターホナミだったのです。
以降、ホナミに人生初の恋をしたナオキが、現実の世界でも穂波と交流を持つようになり、二人の
人生は、充実したものに変わって行きます。
VRの世界の中で芽生えた、年齢も性別も超越した恋は、人と人の心の交わりの尊さを、示してくれる
ものでした。
私自身ナオキに感情移入して、老いらくの恋心をくすぐられました。
2024年5月22日水曜日
「鷲田清一折々のことば」2967を読んで
2024年1月13日付け朝日新聞朝刊「鷲田清一折々のことば」2967では
数学者森毅の随想「歴史のなかの自分」から、次の言葉が取り上げられています。
時代をこえて超然と生きるなんて、つっ
ぱりすぎ。さりとて、時代を気にして引
きずられっぱなしも気にくわぬ。
歴史を知ると、ふだん当然と思っていることに距離をおける。時代とは適度な「間合い」をもって
つきあうのが大事、とこの数学者は言います。
確かに前時代的な生き方は、現実から浮き上がりすぎ。でも時代に流されていては、翻弄されるだけ
でしょう。
要は適度な間合いが大切。でもそれが難しい。ついつい日常に追われ、時代の状況に流されてしまう。
そこで大切なのは、歴史を知り、学ぶということなのですね。
人間は長い歴史の中で、経済生活においても、医療科学技術においても、確実に進歩を遂げてきた
けれど、でも根本的なところでは、変わっていない部分が多々あります。そのために戦争や紛争の
愚行を繰り返し、不安や欲望に駆られて、冷静に考えるとあり得ない行為に走ることもあります。
歴史は、その事実をある時には客観的に伝えていて、私たちの思考や行動の指針になると思われます。
だから歴史を踏まえつつ、でも現実の向かう方向にも目をやりながら、時代に乗り遅れないように
生きることが必要なのでしょう。私も時代の先端には追いつけないながら、古くさくはならないように
心がけたいと思います。
2024年5月16日木曜日
2024年5月度「龍池町つくり委員会」開催
5月14日(火)に京都マンガミュージアム自治連合会会議室において、「町つくり委員会」が開催されました。
コロナ禍もあり、しばらく委員会は休止していましたが、この度副委員長に就任した私が議事進行を行うと
いう形で、毎月第二火曜日に開催することになりました。それに伴ってまた、当日の委員会の内容をこの
ブログに記録して行きたいと思います。
今回は、「新年度の活動方針及び計画試案」というテーマで、これからの活動の方向性について話し合いまし
た。
まず「短期的視点に立った活動計画」と「長期的視点に立った活動計画」に分けて、短期的視点では、自治連
各委員会における後継者の発掘育成、各委員会活動の検証、マンガミュージアム・オープンハウス、マンガ
ミュージアム仮装パレードへの当委員会からの参加について話し合いました。
これはコロナ禍の自治連活動の自粛期間もあって、各委員会を担う委員の高齢化、不足が明らかになり、この
ままに放置すれば将来的に深刻な担い手不足になることが避けられず、現在の各委員会のメンバー全体で、新人
のスカウト活動をしてはどうかということで、具体的な方法は本日は決まりませんでしたが、当委員会の委員
全員でこの危機感を共有して、方策を考えていくことになりました。
また各委員会活動において、現在の問題点を改善していくこと、具体的には町つくり委員会では、当会が各委
員会のつなぎ役として機能するために、各委員会の意見をくまなく反映できるように、それぞれの委員会から
メンバーを出してもらうこと、また、防災委員会においては、防災総会に今年1月の能登半島地震の救援活動に
参加した消防署員に体験談を語ってもらう場を設けて、総会を充実させること、体育振興会の人手不足を解消
するために、各町役員から応援派遣をしてもらうこと、などです。
マンガミュージアムについては、オープンハウスを実施することによって、学区民にミュージアムへの認知を
深めてもらい、またミュージアムが主催する仮装パレードに当学区からも参加することによって、積極的な
交流を図ろうということです。
長期的視点では、京都外国語大学南先生のご協力を仰いで、住民のコミュニケーションを深める企画を、これ
から考えていくことになりました。
2024年5月10日金曜日
色川武大著「狂人日記」を読んで
色川武大の本を初めて読みました。私にはこの作家の別ペンネームである、阿佐田哲也での著作「麻雀放浪記」
などのイメージの方が、強くあります。
それで、大衆的作品を描く無頼派小説家の先入観を拭えないで読み始めましたが、直ぐにこの作品は、人間存在
の本質を捉えようとする、本格的な純文学小説であることに気づかされました。
署名からして、「狂人日記」とセンセーショナルですが、主人公は自分が狂人であると信じて精神病院に自主的
に入院した、50歳代の独身の男です。
無論彼には、異常と思われる自覚症状があり、また周囲から見れば、奇行や度を超した精神の昂ぶりが観察され
ますが、読者である私には、辛い生い立ちや不幸な人生体験から鑑みて、彼が一般の人間より少し感受性が強く、
神経過敏であるだけで、もし我々も彼と同じ立場に置かれたら、このように尋常ならざる精神状態に陥ることも
十分にあり得ることだ、と感じました。つまり私は、彼の思考や一挙手一投足に感情移入して、本書を読み進めた
のです。
そのような観点から、彼が同じ病院の入院患者である、若い女性圭子に導かれて退院、同棲を経て死を迎える経緯
を見ると、彼を苦しめているのは、自分が社会生活に順応出来ないことや、夫又は長男として、家族を扶養出来
ない劣等感、後ろめたさであることが分かります。
彼は退院後、圭子の労働と献身的な介護、そして実の弟の経済的援助によって、生活を維持することが出来ますが、
その状態は一見恵まれているように見えて、彼にとって、申し訳なさに身を切られるような酷薄なものでした。
ただ病院内とは違って、彼の圭子や弟に対する負い目が増していくに連れて、彼の内面の妄想は減退して行きます。
これは彼が、他者の想いに意識を集中する余りに、自分自身を狂わせる余裕を失っているように思われます。
結局彼は、圭子への愛と優しさ故に、自らの生を終わらせることになりますが、最後まで彼が、男らしさの桎梏の
価値観から抜け出せなかったことが、大変哀れに感じられました。
かく言う私も、もし自分がこのような立場に置かれたら、泰然と状況を受容する余裕があるとはとても思えません
が、本書は、一般の社会生活から逸脱した狂人に託して、男らしさを求められる日本の男性の生き辛さ、またそれ
に対する女性のたくましさ、更には、精神病者など社会的弱者の置かれた厳しい状況を訴えかける、深い問題意識
を含む書であると感じました。
2024年5月4日土曜日
沢木耕太郎著「深夜特急2 マレー半島、シンガポール」を読んで
文庫本では2ですが、単行本では「深夜特急」三部作の第一部後半部分に当たり、前半で“インドのデリー
からイギリスのロンドンまで、乗り合いバスで行ってみたいと思い立ち・・・”と語っていたこの長い旅の
出発の理由が、後半の最後の部分でもっと掘り下げて述べられています。
それは沢木が大学卒業後、規則正しく出退社を繰り返す普通のサラリーマンの仕事に馴染めず、何となく
フリーのライターになり、更にはライターの仕事の依頼が増えて自分の拘束される時間が多くなると、何の
ためにこの仕事をしているのか分からなくなって、長期外国旅行という理由を付けて逃げ出したくなる。
つまり、現実逃避から脱却するための、これから自分は何を生業として、何のために生きるべきかを問う、
根源的な旅だったのでしょう。この旅行記の魅力の原点として、この著者の問いかけが通奏低音となって、
絶えず鳴り響いていたことを忘れてはならないと思います。
さて、深夜特急1の香港、マカオに対して、2でのマレー半島、シンガポールは、沢木にとって当初印象が
悪かったようです。これは香港、マカオが開放的でバイタリティーに溢れているのに対して、タイ、マレー
シアが内向きで後進的、シンガポールもこの当時まだ現在の繁栄に至っていないという事情があったかも
知れません。しかし彼もシンガポールでの滞在を終える頃には、バンコク以降の町に香港の幻影を求め、
失望した自分の過ちを反省しています。若い彼はルポルタージュにおいて、先入観を持って取材をすること
の弊害に気づいたようにも思われます。
とはいえ、本書の最大の魅力は、沢木が現地の言葉が話せないにも関わらず、その土地の安宿に潜り込み、
娼婦やそのヒモなど最底辺の人々と体当たりで交流するところにあり、その結果一般の旅行者ではなかなか
体験することの出来ない、彼の地の社会の生の姿や庶民気質を知ることが出来ることです。彼のその貴重な
体験が、時を隔てても、私のようななかなか日本から足を踏み出さない人間にとっては、新鮮であるのは
言うまでも無く、逆に年月の経過という観点からは、東南アジアの国々への日本の経済的立場の変化も感じ
させられました。
本書で著者のアジアでの旅は終わり、深夜特急3ではいよいよインドに向かうといいます。本書の最後では
沢木もこの旅を通して、自身の内面に真剣に向き合う目を獲得したように思われます。この長い旅の記録は、
彼の成長物語でもあるのでしょう。
2024年4月24日水曜日
「鷲田清一折々のことば」2953を読んで
2023年12月29日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」2953では
朝日新聞学芸部編『余白を語る』から、日本への永住を決めた米国の映画評論家ドナルド・リチーの次の
言葉が取り上げられています。
そうなるはずのものはいいのです。
リチーは、日本人は芸術を愛する民と言われるのに「自然をバラバラに」し、カネにも凄く執着してきた。
それに「新発売」も好き。でも本当は、髪が薄くなっても抗わずに「自分の自然さと外の自然さをうまく
会わせ」てゆくそのシゼンタイがいいのにと語ります。
日本人は一体いつからこのようになったのか?かつては、身なりを飾らないことや清貧に、価値を見出して
いたというのに!
日本人はよく周りの目を気にします。だから、一般的な日本人の尺度が変質してきたということでしょう。
上述のような特徴が現れてきたということは、日本人の西洋化、資本主義的価値観の浸透、そして経済的に
豊かになったことが挙げられるに違いありません。
このような価値観の変容は、日本の国に著しい経済発展をもたらしました。それは一時期、大多数の人々を
飢えや貧困から救ったかも知れません。しかし現在、経済は停滞し、それと同時進行する少子高齢化と共に、
新たな格差問題も生まれています。
右肩上がりする経済状況ではない社会で、我々は如何に充実した生を過ごしていくか?そのためには、最早
過去の生活には戻れないにしても、その頃の価値観を見直してみることは必要かも知れません。
2024年4月17日水曜日
アンヌ・デルベ著「カミーユ・クローデル」を読んで
「巨匠ロダンの弟子であり、悲劇の美貌の天才女彫刻家」。本書の著者で、当のカミーユの復権に一役買った
演出家でもある、デルベらの尽力もあって、今日ではすっかり上記のイメージが定着している、約30年も前に
刊行された彼女の伝記小説を、私が今読む意味を改めて考えてみると、読後に私が得たプラスの部分としては、
すでに持っていた固定観念が解体され、深められたこと。逆に惜しむらくは、私に彼女の弟、外交官で著名な
詩人、劇作家のポールに対する知識があれば、この読書は更に意義あるものになっただろうということです。
まずカミーユに対するイメージが更新された点から述べてみますと、本書のカバーにも採用されている、20歳
の頃の彼女の写真は、既に広く知られたものとなっていて、私も目にしたことがあり、彼女の人となりを想像
する有力な判断材料となっていました。つまり、色あせたモノクロ写真に浮かび上がる彼女は、美貌でしかも
聡明、勝ち気そうですが反面、痩せ細り、はかなげで、未来の悲劇を予告するようです。
このイメージがこびりついていたために、私は彼女が絶対的な権力を持つロダンに、才能も愛も吸い尽くされ
たか弱い女性と思い込んでいました。しかし本書を読むと、彼女のこのような部分は一面に過ぎず、他面男性
の専売特許であった彫刻界に、20歳にも満たぬ年齢で単身飛び込む、男勝りで情熱的、芯の強い女性で、力
仕事も辞さず、また弟ポールに対しては、高飛車で強権的、嘲笑的な態度を取っていたことも分かりました。
師ロダンに対しても、彼が身勝手で、優柔不断であったこともありますが、最後は彼女が主体的に決別した
ように想像されます。結局彼女は、時代に先駆けて生を受けた女性彫刻家で、溢れる才能はあるにも関わらず
評価が追いつかず、その結果経済的にも追い詰められ、反面男に対する情熱を有する女性であったために、
ロダンと内縁の妻との間の三角関係にも苦しみ、自らの身を滅ぼすに至ったのでしょう。
カミーユは言わば、時代の犠牲にもなった芸術家であったので、彼女が著者らの努力によって復権し、展覧会
が開催されたり、ロダン美術館に展示室が設けられていることは、せめても彼女への報いであると思われます。
ポールについても、私に彼の作品への知識があれば、カミーユと彼の関係を通して、理解が深まったものと
思われます。
2024年4月12日金曜日
「鷲田清一折々のことば」2931を読んで
2023年12月6日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」2931では
女優倍賞千恵子の連載「あの時のわたし」(「暮らしの手帖」27号)から、次の言葉が取り上げられて
います。
風が吹くと葉っぱの裏側が見える。これ
が好きです。
映画「寅さん」シリーズに出演するなど、その国民的女優がこのような言葉を発すると、心に響くもの
があります。
女優業は常に脚光を浴びる華やかなもの。でも反面いつも多くの人の視線に晒されて、プライバシーを
犠牲にしなければならない、一般の人より遙かに不自由を感じなければならない職業でしょう。
そのようなプレッシャーをやり過ごすために、傲慢な態度に出たり、飲酒に逃避したり、海外に住居を
移したりする人も見受けられるようです。
でもこの女優は、普段の自分を出来るだけ目立たなくさせることで、平静を保って来たように推察され
ます。
そして、出たのがこの言葉。周りに生かされているという自覚や、目配りが行き届いた姿勢、普段の
倍賞さんを実際には知りませんが、そうした謙虚さを、私はこの言葉から感じ取りました。
また、自然の些細な変化、物事の裏側やはかなさに想いを向けることは、私たち普通の人間にとっても、
大切なことだと思われます。さっと吹き抜ける涼風のような、爽やかさを感じさせる言葉でした。
2024年4月3日水曜日
平野啓一郎著「ある男」を読んで
不幸な出来事のため離婚し、故郷に帰った女性が、再婚して幸せな家庭を築きますが、夫が事故で急死して
彼の親族に確認すると、全くの別人であることが判明します。一体その男は、どこの誰であるのか?この
ショッキングな事件から始まる物語は、取り残された妻が亡き夫の素性調査を、弁護士に依頼することに
よって展開して行きます。
まず心に残るのは、難病の次男の治療方針を巡り前夫と対立し、その子供の死後離婚し、長男を連れて故郷
に帰ったくだんの女性が、老舗温泉旅館の次男として生まれながら、父親への骨髄移植を巡り家族と対立し、
縁を切って家を飛び出した自称{谷口大祐」と出会い、結婚する場面です。
最近の医学の目覚ましい進歩の中で、重症の治療の選択肢は格段に増えながら、それでも結局は救えない命
がある、という厳然たる事実が突きつけられます。生死を分かつ紙一重の差の理不尽!その悲哀を存分に味
わった二人の人間が、人間不信に固く心を閉ざした状態から手探りで互いの真心を見出し、心を通わせる
様子に、読んでいて心が高鳴りました。それだけに、亡き夫が本物の「谷口大祐」ではなかったことが明ら
かになった時、心がざわめきました。
他方この不幸な妻が、前回の離婚調停に続いて夫の捜索を依頼した弁護士もまた、自らの出自が在日朝鮮人
であるという負い目を持ち、日本人である妻との関係に軋轢を抱えています。そして自らのこの負の感情が、
彼が余り報酬を期待出来ないにも関わらず、不幸なこの事件の依頼人の望みを叶えるべく奔走する、原動力
になっているように感じられます。
この弁護士の苦悩に寄り添う予備知識や経験を、私は持ち合わせていませんが、本書の中で懸命に真実を
探求する彼の姿を通して、人間の生い立ちとその彼の人生の関係、ある一人の人物がその名前を背負って生
きることの意味、過去、現在そして未来と、他者を愛することの関係などについて、大いに考えさせられま
した。
また著者は、日本における死刑制度廃止を広く世間に訴えかける作家でもあり、本書は被害者家族は言うに
及ばず、加害者家族のケアの必要性をも暗に示しているように感じられました。
2024年3月27日水曜日
吉見義明著「草の根のファシズム 日本民衆の戦争体験」を読んで
先の大戦終結から80年近い歳月が過ぎました。身近からその体験者がどんどん少なくなっています。例えば
実際に従軍した父、兄を戦争で失った母は、もうこの世に居ません。それに伴いあの大戦の影は、次第に
薄くなっていくように感じられます。翻ってロシアのウクライナ侵略、イスラエルのパレスチナ自治区ガザ
侵攻と、世の空気は、またきな臭くなって来ています。
本書は、第二次世界大戦開戦直前から、敗戦直後に至るまで、日本の名も無き庶民の日記から民衆の生の声
を集め、時々の人々の直接の想い、ものの考えかを、丹念に拾い集めた書です。
私の読後の感慨をまず記しますと、私の成長過程で、両親の言葉の隅々や、過去への向き合い方から感じた
もの、またまだ社会全体がまとっていた、戦争の影響を否応なく感じさせられて来たものが蘇って来るよう
で、苦々しさを伴いながらも過去を思い返すような一種の懐かしさを抱き、他方公教育で反戦平和思想を
根幹として教えられた、民衆は一方的な犠牲者であるような反軍国主義の公式見解とは違う、庶民の実情を
赤裸々に提示されるようで、改めて歴史の真実を知るような生々しさを感じました。
その中でも印象深かったところを拾ってみると、本書が書き出されている満州事変前後には、天皇制の前提
の下ではありながら、民衆の間に民主的なものの考え方があり、事変開始直後の一時的な熱狂はあっても、
戦闘の早期終結を望む声は大きかったと言います。しかし世界恐慌や異常気象による庶民の生活の困窮が、
次第に対外進出による生活の向上に、世論を傾けて行きます。
このような考え方の前提には、欧米人へのコンプレックスと周辺アジア住民への優越意識があり、それが
八紘一宇という美名の元に、日本の対外進出を正当化し、民衆の支持を広く集めることになります。
また実際の大戦が始まると、十分な兵站準備を整えない日本軍の場当たり的な戦術によって、現地住民から
の略奪暴行、殺戮が繰り返され、その環境に投げ込まれた日本軍兵士は、次第に理性を失って行きます。
そして敗戦後も、非戦の想いは民衆の中にいち早く浸透して行きますが、戦中の蛮行の自己正当化の意識は、
なかなか消えません。庶民の側からあの大戦の実情を見ることによって、戦争というものの悲惨な本質を
あぶり出す、労作でした。
2024年3月16日土曜日
島崎今日子著「ジュリーがいた 沢田研二、56年の光芒」を読んで
沢田研二(ジュリー)は、地元京都出身ということもあり、私にとって身近に感じられるスターでした。
もっとも、コンサートに行くほどのファンではなく、実際に会ったことはないけれど、少し年長の知り
合いからは、彼のデビュー前の噂も聞き、テレビで映し出される彼の妖艶な歌唱の姿を見ても、遙か
遠くの存在とは思われないところがありました。
また、彼の主演したドラマ「悪魔のようなあいつ」では、彼の演じた三億円事件の犯人に、破滅型の
ヒーローとして、シンパシーを感じていたものでした。しかしいつか、彼がテレビから遠ざかり、同時
に私も年を重ねて、私の中のジュリーが次第に遠景に退いて行った時に、目にしたのが本書でした。
従って私自身、自分の若かりし日をなぞる思いで、この本を読みました。
実際に読み進めてみると、常に時代の表街道を歩いているように思われた全盛期の彼が、様々な曲折に
直面し、試行錯誤を重ねながら、トップスターの座を維持していたことが分かります。ザ・タイガース
の一員として、ファンから熱狂的な支持を得た時代、本人たちの音楽指向とは違うアイドル路線を求め
られ、次第にメンバー間に齟齬が生まれてグループ解散に至る様子。
またグループサウンズ退潮の中で、所属プロダクションが起死回生を目指して結成を働きかけた、タイ
ガースのメインボーカル沢田研二と、ザ・テンプターズのメインボーカル萩原健一(ショーケン)を
ダブルボーカルに据えたPYGが、ジュリーはソロ歌手として、シューケンは俳優として、それぞれの道を
歩み出したために消滅する経緯には、各自が自分の生き方を求めて、懸命に模索する様子が見えます。
しかしその中でも、自らの歌う曲をヒットさせることを最上の価値とする、沢田の信念はぶれることな
く、彼はスターの座に居続けるために、新しい音楽の傾向を積極的に取り入れ、ビジュアルや演出に工夫
を重ねて、常に新しいジュリーであり続けたのです。容姿や歌唱力に恵まれながらも、彼がそれにも増し
て努力に人であることを、改めて気づかされました。
本書は、そのような彼の音楽活動の軌跡を追うことによって、図らずも現代歌謡曲史にもなっていると
感じられました。またこの本を読むことによって、このジュリーが如何にこれから彼の老後に向かい合う
かということにも、興味を持ちました。そこを描く続編にも、期待したいと思います。
2024年3月8日金曜日
「鷲田清一折々のことば」2928を読んで
2023年12月3日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」2928では
小林秀雄との対談『人間の建設』から、数学者・岡潔の次の言葉が取り上げられています。
内容のある抽象的な観念は、抽象的と感
じない。
つまり、ー人間の思考は、内容のない観念だけを相手にしているといずれ破産する。世界は「分かり
きったことほどわからない」し、人も「大きな心配ほど心配しない」ものだが、その限界を越えたけ
れば、逆に手許にある個人の問題を離れてはいけない。ーということだそうです。
うーん、難しい。私のような凡人には、簡単に理解出来ることではないけれど、でも例えば、私が
「人間の生きる目的は何か?」と考えた場合、抽象的に観念をもてあそんでいたら、袋小路に陥る。
だけど具体的に、どうしたい、ああしたいと目標を並べれば、以外と真理に近づく、ということで
しょうか?
そんな単純なことではないと一喝されそうですが、凡人に対する教訓としては、我々は、常に物事を
自分に引きつけて考えるべきだ、ということのように思われます。皆さんは、どう思われますか?
2024年2月29日木曜日
富岡多恵子著「水上庭園」を読んで
先般亡くなった詩人で小説家の著者の、恋愛という切り口で紡ぐ、1960年から1990年に至る詩的回想を
巡る小説です。従って筋道立てたストーリーはほぼありませんが、個人の体験を超えたその時代の空気が背景
から浮かび上がり、忘れがたい印象を残しました。
まずこの恋愛の主人公の一人A子が、著者の分身であることは間違いないとして、もう一方のドイツ人Eが誠に
非現実的で、存在感も希薄です。なぜならA子より十歳以上年下のEとA子は、A子の新婚旅行の途次のシベリア
鉄道の列車内で出会い、二人の恋愛が30年ほどのモラトリアムを経て、かりそめの形であれ刹那成就すると
いう物語の展開であるからです。
A子はEに好意を抱きながら、あくまで自分の既婚者としての立場を堅持し、それでいてEに甘え、時には姉のよう
に振る舞います。このような話の成り行きを見ていくと、Eとは著者がドイツ人に抱くイメージを具現化した存在
と思われて来ます。そしてそのように考えると、この間の著者のドイツに対する想いの蓄積が、浮かび上がって
来ます。
1989年ドイツでは、東西対立の最前線であった、ベルリンの壁崩壊という大きな歴史的変化がありました。
それ以前には、同じドイツ人が東西に分かれ、思想的対立を余儀なくされる緊張と閉塞を経て、一気に悲願が成就
される形での統合が実現したのです。
この解放されたドイツにA子はEを訪ねます。Eは以前に比べて思想的な理屈っぽさや、若気の衝動性は影を潜め、
随分落ち着いているけれども、一所に止まることを望まない漂白の精神を失っていません。それを確かめたA子は、
安心したのではないでしょうか?
この物語の中の印象的なシーンは、A子がEの車でベルリンへ向かう途中、映画の野外撮影現場に行き会う場面です。
映画のシナリオも執筆するA子(著者)は、現実と夢想の境界が次第に曖昧になって、目の前で演じる女優に自らを
同化させて、場面も近松の「道行き」に変化していく、幻想的なシーンが現出されます。
この描写には、文学者富岡多恵子の詩情の核心を、浮かび上がらせるような切迫感があると、感じられました。
2024年2月22日木曜日
沢木耕太郎著「深夜特急1 香港・マカオ」を読んで
若き沢木耕太郎の代表作「深夜特急」三部作の第一部、『深夜特急第一便」の前半部分、“インドのデリー
からイギリスのロンドンまで、乗り合いバスで行ってみたいと思い立ち、26歳で仕事をすべて投げ出して旅
に出た”著者の、最初の訪問地香港・マカオでの体験を記した書です。
行動派の著者特有の当たって砕ける無鉄砲さが清々しく、それでいて自分を客観視出来る冷静さや思慮、行
きずりの人をも思い遣る優しさがあって、この紀行文に独特の魅力を添えています。
今から約50年前のことなので、本書に記された現地の状況もかなり変化していると推察されますが、その
土地や現地の人々が醸し出す、今に変わらぬ特色や気質が活写されていると思われ、また当地での著者の
体験の中に、人間という存在の普遍的なものが顔をのぞかせていると感じられて、興味深い読書体験でした。
さて香港到着後著者はひょんなことから、「黄金宮殿」という立派な名前の宿屋を紹介されて泊まることに
なりますが、直にこの宿はラブホテルと思しき安宿であることが判明します。しかし、現地の庶民の隠れ家
的な安価な宿に潜り込めたことによって、滞在中腰を落ち着けてゆっくりと住民と交流し、名所を巡り、
食事、酒を楽しむことが出来たのでした。
これはツアーで回る一般の観光客には絶対に味わえない体験で、本書の大きな魅力の一つになっています。
この宿にまつわるエピソードの中で、一番心に残るのは、宿に入り浸る21歳の娼婦が著者に興味を抱き、彼
の部屋を訪れる場面で、互いに言葉は通じず、手探りで相手の気持ちを知ろうとするところが初々しく、
結局体を触れ合うことも無く、彼女が部屋を出て行く姿に、甘酸っぱい余韻が残りました。
しかし本書におけるハイライトは、著者がマカオのカジノでゲームに興じる場面で、彼は「大小(タイスウ)」
という器具を用いたサイコロ賭博を試みるのですが、やっているうちにディーラーの駆け引きの癖や、場に
居合わせる他の客を含めた勝負の雰囲気から、次第にサイの目が読める手応えを感じ、どんどんのめり込んで
行きます。著者は幸い、最後に巻き返してわずかな損失でその場を切り抜けることが出来ましたが、臨場感溢
れる描写で、賭博のヒリヒリするような魅力、恐ろしさを、たっぷりと味わわせてくれました。
今まで賭博に惹かれる人の心理が全く理解出来なかった私は、本書のこの場面を読んで、賭博の醍醐味は、我々
の人生において大きな決断をしなければならない場面を、疑似体験させてくれることにあるのかも知れないと
感じました。
2024年2月15日木曜日
「鷲田清一折々のことば」2917を読んで
2023年11月22日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」2917では
作家幸田文の随筆集『老いの身じたく』から、次の言葉が取り上げられています。
くろうとはどの道の人も、みなあと片付
けがうまい。
いけ花の先生の、花を生け終えた後の、的確な後始末を見て、この作家の感じた感慨だそう
です。
確かに私の体験でも、総じて腕の立つ職人の人は、立つ鳥は跡を濁さずとでもいうのか、
あと片付けがきれいで、上手だと思います。大工さん、植木屋さんなど。
逆に私が若い頃、家族の留守中に急に思い立って、家の台所で料理のまねごとをしたら、本人
は家族の帰宅後に喜んでもらえると高をくくっていたのに、台所が大変散らかっていると、
大目玉を食らった経験があります。正に自分の未熟さをさらけ出していたのでしょう。今
思い出すと、赤面ものです。
このことからも分かるように、プロの技は後始末も含めての技で、技の研鑽の基礎の根底に、
後始末があるのでしょう。だから技術の上達を焦って、いくら表面的な修練を積んでも、
片付け、整える心が育っていなければ、本当の意味での技の習得は出来ないのだと思います。
一つの仕事にきっちりときりを付けて、次の仕事に移る。そのような仕事上のメリハリも大切
だと思われますし、職人仕事に限らず、何か物事を行うときの心構えとしても、必要なこと
だと思います。
2024年2月7日水曜日
「鷲田清一折々のことば」2916を読んで
2023年11月21日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」2916では
哲学者和辻哲郎の『倫理学』から、次の言葉が取り上げられています。
人間の成り方、それを我々は「存在」と
いう概念によって現そうとする
和辻によると、個人は「もの」として何か実体のようにあるのではなく、さまざまな行為の連なりの
中にあるといいます。つまり、社会的生き物である人間は、単なる生物の個体と違って、生まれて
から現在に至るまでの、経歴や行為、思考の後によって特定されるべきである、ということでしょう
か?
確かに、私たちは他者をそのような尺度によって見定めますし、反対に他者からも、そのような尺度
によってどのような人間であるか見なされているのでしょう。
だから、人間は生まれてから固有名としての自分を形作るのであって、理想論を言えば、生まれた
環境によってあらかじめ優劣が付けられるべきではないのでしょうが、現実は生育環境によって人生
が規定される部分も大きいということでしょう。
それ故、恵まれた環境に生まれて能力を発揮する人よりも、恵まれない環境に生まれたにも関わらず、
逆境を乗り越えて能力を発揮する人の方が、更に尊いように感じられます。
少なくともこの社会が、人をその成し遂げたことによって評価出来る社会であってほしいと思います。
2024年1月31日水曜日
山口昌男著「「敗者」の精神史」を読んで
明治以降「敗者」の立場を出発点として、主権者側とは異なる視点で、我が国の精神文化に影響を与えた
人々の生き方を跡づける書です。
明治以降の「敗者」の代表的なものは、維新に際して佐幕側に付き、新政府から冷遇を受けた人々ですが、
彼らは一般に反骨心から逆境に立ち向かい、あるいは、斜に構えて在野の立場から独自の魅力的な思想を
生み出し、更には、超然とした態度で孤高の精神文化を醸成するに至っています。
頁数の多い書籍なので、取り上げられている人々の範囲も幅広いのですが、ここでは、私が特に興味を
惹かれた数件の事象について書いてみたいと思います。
まずは明治以降の政府主導の急激な近代化から、少し外れた分野としての独自の百貨店文化の誕生につい
て。江戸時代に富を築いた大手呉服商が、明治になると近代化、西洋化の波にさらされ、業態の転換を
求められ、商品の提供のみならず、娯楽、美意識を含めた、庶民の文化を創生する装置としての百貨店
誕生へと向かって行きます。
その課程において、同じく生き方の転換を求められた経済界、工芸美術界、出版広告、文学思想界の幅
広い人々が、関わって行くのです。そう考えると、今日の消費文化の基底にも、この頃に築かれた価値観
が脈々と受け継がれ、形を留めていると感じられて、納得させられるところがありました。
次に、官製ではない在野の私立大学の誕生について。明治以降国の設立した帝国大学のみならず、独自の
教育方針に基づく私立大学の創設の動きが起こりましたが、例えば同志社大学の場合、江戸時代鎖国の
国禁を犯して渡米した新島襄が、帰国後明治政府に影響力を持つ元佐幕派であった旧会津藩士、山本覚馬
の助けを借りて、キリスト教教育の大学を設立するに至ります。このエピソードは、私も同志社出身で
あるだけに、感慨深いものがありました。
最後に、国画創作協会展における「穢い絵」事件について。美しさのみならず、女性の内面の醜さをも
表現する絵画を描いた甲斐庄楠音が、同展の主導的画家土田麦僊に「穢い絵」と批判されて、画壇を去る
ことになります。甲斐庄は楠木正成の血を引き、歌舞伎など伝統芸能への造詣が深く、自らも女形に共感
を覚えるところがあり、その嗜好も含めて、日本画の正統」を重んじる麦僊と相容れないところがあった
と思われますが、甲斐庄の絵画は、今日革新的であると再び脚光を浴び、再評価が進んでいることは、
文化の成就の一端と、好ましく思われるところがあります。
2024年1月24日水曜日
「鷲田清一折々のことば」2915を読んで
2023年11月20日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」2915では
民俗学者・柳田国男の随想「教育の原始性」から、次の言葉が取り上げられています。
日本の伝統には、文字は勿論口言葉にも
表されないで、黙々と伝はつて居るも
のがあったのである。
柳田によると、シツケは元々「人を一人前にする」ことで、昔は「あたりまへのことは少しも教え
ずに、あたりまへで無いことを言い又は行ったときに、誡め又はさとす」のが常であったという
ことです。
つまりは、教える側が教わる者を、初めから強制的に正しい形にはめ込むのではなく、教わる者が
気づくように導くということでしょう。
でもこの方法は手間や時間がかかるので、先にマニュアルを定めて、相手をその鋳型に押し込める
ようになったのでしょう。
そのような教育法が、個性のない、型どおりのことしか出来ない、上からの言いつけに従うばかり
の人間を大量に生み出しているのは、間違いありません。
だから、日本の従来の徒弟制度的な鍛錬、つまり、基礎を体で覚え込ませるような指導法を、何ら
かの方法で現代の教育に取り入れることも、必要だと思います。
最も、よりスピードアップと効率化を求められる今の世では、そのように身振りと後ろ姿で伝える
ような教育は、ますます難しいように思われますが・・・。
2024年1月19日金曜日
東野圭吾著「容疑者Xの献身」を読んで
ご存じベストセラー作家の人気作ガリレオシリーズ初の長編で、直木賞受賞作です。
同シリーズは映画化もされていますが、私は今まで彼の作品に触れることはありませんでした。それ故に
本書は、大きな期待を持って読み始めました。
ミステリーなので、筋を追うことは野暮というものですが、導入部は極めてオーソドックス、付きまとう
別れた元夫から解放されるために、靖子、美里の母娘が同情の余地のある殺人を犯します。途方に暮れる
二人に救いの手を差し伸べたのは、彼女らのアパートの隣室に暮らし、靖子に密かに好意を寄せる、恵ま
れない天才数学者石神でした。
以降、石神の天才的な頭脳を駆使した、殺人事件隠蔽工作が始まりますが、読者はこの時点で、徐々に
違和感に包まれて行きます。というのは、殺人を隠蔽するには、まず死体を隠すのがセオリーなのに、
遺体は早々と発見されるのです。
この前提条件が崩れているので、直ぐに重要被疑者となり、密かに石神のアドバイスを受ける靖子と、事件
担当刑事草薙との攻防は、もどかしいものとなります。靖子の立場に立てば、捜査の進捗状況は全く分から
ず、草薙の側からすれば、事件の核心に迫れそうで迫れません。そして終盤には、石神のシナリオ通りに、
事件は真実とは違う決着に向かうかに見えます。
しかしそこで起死回生の解決をもたらすのが、草薙の友人であり、かつての石神の親しい学友で、理学部
同窓生、ガリレオこと天才物理学者湯川学です。
物語の筋に添うのはこれくらいにして、私も最後には、自分の思い込みが全く覆されて、あっと驚かされま
した。その意味では秀逸なミステリーであり、登場人物それぞれの社会環境や、置かれた立場による思考法
や、感情の機微も丁寧に描き込まれた、極上のエンターテインメント小説でしょう。
ただそれでも私には、何か釈然としないものが残りました。それは理学的な頭脳明晰者への無条件の礼賛で
あり、そのような人物を特別視するエリート主義です。
かつてお互いに一目置いていた、天才的人物二人の事件解決を巡る攻防が、この物語のハイライトですが、
湯川が、石神の自らの身を犠牲にして仕掛けたトリックを全て見破った時、ある種すっきりとしたものを
感じられなかったのは、多分このようなエリート主義にも起因する部分があると、思われました。
2024年1月11日木曜日
柄谷行人著「トランスクリティーク カントとマルクス」を読んで
最近また注目を浴びる、評論家柄谷行人の主著で、カントとマルクスを通し「資本論」の意味を解明し、来る
べき社会のあり方を構想する、スケールの大きな著作です。
正直私には、この本の語るところのどこまでが理解出来ているか、全く自信がありませんが、自分なりに受け
止めた部分について、述べてみたいと思います。
まず私が本書を読もうと志したのは、マルクス、エンゲルスの提唱を元に実現した、社会主義実験国家ソ連が
崩壊し、もう一つの陣営である資本主義は、一時普遍的な価値であるような繁栄を納めながらも、最近は貧富
の格差の増大など、様々な矛盾を露呈する中で、来るべき社会は資本主義の進化形か、はたまた社会主義に
ヒントを求めるべきなのか、本書が思考の方向付けを与えてくれるかも知れないと、思ったからです。
さて実際に読んでみると、私は上述のように、どこまで理解出来たのか定かでありませんが、マルクスを語る
ためにカントが持ち出されたのは、物事を批評する視点として定点2点の差違を比較するのではなく、対象と
移動を続ける比較物との視差に、目を向けるべきであるということを、カントの哲学を通して提示し、その
移動と視差による批評を、マルクスの「資本論」に応用して、彼の社会主義理論を解明するものであると、
解釈しました。
この解釈によると、社会主義の経済活動の肝は、生産活動にあるのではなく労働活動にあり、また企業の労働
者は、消費者となる時に企業経営者に対して優位な立場となり、従って、これからの来るべき社会は、労働
組合と消費組合が融合したような共同体が上位に立ち、個別の国家を解体して、主体となるべきである、と
いうものです。
これだけでは漠然としているように思われますが、確かに最近のニュースを見ていると、女性や性的マイノリ
ティーなど、社会的弱者の地位向上運動や、環境保護活動、あるいは被災地での有志のボランティア活動など
に、自発的な共同体による社会活動の萌芽を、見る思いがします。
これらの活動が、本当に社会全体を動かすようなムーブメントに発展するのか、今はまだ雲をつかむような
思いですが、少なくとも、これらの活動の報道に触れる時、最近感じることの少なくなった、将来への希望を
感じさせられるように思います。
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